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■   空行夢   ■

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 風が、長く伸びた髪を広げる。
 飛ばされないように、お気に入りの帽子を片手で押さえる。
 もう片手は、身体を乗せた箒の操作にそそぐ。
 彼女は、笑った。
 箒にまたがって、ようやく飛べた空が予想以上だったことに。

 地上で見知っていた場所が小さくなると、そこから新たに別の世界が地続きで現れる。
 自分の眼はなにも変わっていないのに、視界に映る世界は、まるで目を取り替えたかのように変化する。
 視界に飛びこんでくる大きな世界に、彼女は眩暈がした。
 全身が、小刻みに揺れる。
 ただし手元がふらつくのは、四方からくる風の干渉だからではない。箒の制御の難しさでもない。
 震えているのは身体だけではない。
 心も同様に震えて、喜びが湧きあがってくる。

(――!)

 喜びが活力となる。
 魔力を調整して箒を操り、新たな視界を探しだすのが心地よい。
 箒と身体が風を受け、視界には新鮮な刺激が送りこまれる。
 そのたびに心が踊り、身体が心地よい緊張感に包まれる。
 今、自分が最も高い場所にいるという高揚感。
 見下ろせば、見知っていた場所が違うものに見える不思議が広がっている。
 自分の家が、兄代わりの男性の店が、さっきまで立っていた場所が、今の彼女にはまるで違うものに見える。
 親に連れられた見た風景と、似て非なるもの。
 自分の力でこの場所に来たという、喜び。

(わたしは、いま、飛んでるんだ!)

 青い空を飛び続けていると、自分と空が一体化したような、心地よい気分になってくる。
 空の上で、魔法使いの少女は、高い空にいるのに、その上をさらに見上げた。
 雲ひとつない青い空が、どこまでもどこまでも続いている。
 明るい陽射しと、果てのない心地よさを、彼女の身体と心に与えながら存在している。
 終わりのない希望。
 そんな心地よさを、彼女は全身に感じていた。
 今までと違う視界、違う世界、違う自分。
 この空には、それが満ちていた。

 だから、危険の察知には鈍感になる。

「――!?」

 それでも背後からの攻撃を回避できたのは、日々の糧からくる幸運だったといえる。
 だが、続けて妖怪が放つ攻撃に、その幸運は長続きしない。

(うま、く……いかない!)

 箒の制御が、うまくとれない。
 突然の奇襲に慣れない道具を使いこなせるほど、彼女は器用ではなかった。
 薄ら笑いを浮かべる妖怪の弾は、彼女の身体めがけて淡々と進んでいく。

 魔法使いの少女が空から突き落とされたのは、それほど後のことではなかった。

 鈍い痛みが全身に走る。
 続いて気づいたのは、光をさえぎる黒い影。
 とっさに身体をその場から離して、ふりむく。
 そこには一匹の妖怪の姿。
 不意打ちでなければ彼女がやられるはずもない、下級妖怪の姿があった。
 彼女は立ち上がろうとするが、身体がうまく動かない。地面に落とされた衝撃が、残っていたようである。
 妖怪がその隙を、見逃すはずもない。
 意気揚々と、妖怪は魔法使いの少女に飛びかかる。
 魔法使いの少女は、相手の姿を見据える。
 一瞬の隙、一瞬の脱出、それらを見逃さないために。
 だが、その一瞬はおとずれなかった。
 なぜなら、突然に妖怪が消滅してしまったからだ。

「……え?」

 呆気にとられる。
 魔法使いの少女はなにもしていない。
 だが、なにもせずに妖怪が吹き飛ぶことなどありえない。
 周囲をふりむく前に、魔法使いの少女はあることに気づく。
 人妖の気配が、さきほどと同じ二つで変わらないこと。だが、妖怪は目の前で消滅してしまっていた。
 ゆっくりと、自分以外の気配がただよう方向へ視線を向ける。
 そこには、見たことのない少女がいた。
 紅白の巫女服をまとった、自分と同い年くらいの幼い少女。
 魔法使いの少女は、彼女が妖怪を祓ったのだと直感した。

「あなたが、たすけてくれたの?」

 黙している巫女服の少女へ、魔法使いの少女が話しかける。
 沈黙が苦手なせいもあったが、巫女服の少女は話しかけなければ去っていってしまうような気がしたからだ。
 魔法使いの少女の問いかけに、巫女服の少女は答えた。

「そうかもしれないわね」

 巫女服の少女は、冷めた声音でそう言った。
 妖怪を祓った少女の顔には、なんの感情も浮かんではいない。
 誰を相手に話したのでもない、まるで独り言のような口調。
 彼女の瞳は、助けた相手である魔法使いの少女さえ映っていなさそうな冷めたものだった。
 巫女服の少女は、まるで人形のように、感情が薄かった。
 魔法使いの少女は、彼女のそんな瞳や態度が気に食わなかった。

「ふん。たすけてくれなくても、なんとかなったのに」

 素直に感謝できない自分を感じながらも、魔法使いの少女はそう言ってしまう。

「そう」

 会話を求められたから、受け答えた。そんな投げやりな返答。
 魔法使いの少女が、視線を少女からそらす。
 少しだけ後悔しながら。

「あ、ありが……」

 そらした視線をもどしながら、呟こうとした言葉。
 その言葉は、もう一度見た巫女服の少女のためにさえぎられた。

「えっ……?」

 ふわり、と彼女は地面をかるく蹴る。
 重力が、まるで地面ではなく空にあるように。
 青い世界へ、引き寄せられるかのように。
 巫女服の少女は、静かに空へと浮かび上がる。
 その光景に、魔法使いの少女は驚く。
 少しずつ浮かび上がる少女の身体。
 地面から離れよう、とする飛び方ではない。反発するようでも、浮かび上がるようでもない。
 そもそも、あれを飛んでいるというのだろうか。
 まるで空に同化するように、そうなることが自然なように、巫女服の少女は空とともにあった。

「と、とべるの?」

 魔法使いの少女の驚きにも、

「そうね。とんでいるみたいね」

 他人事のように、巫女服の少女はそう答えた。
 巫女服を着た幼い少女は、魔法使いの少女と同じく空を飛んでいた。
 けれど、と魔法使いの少女は直感した。
 巫女服の少女が、魔法使いの少女より、この空になじんでいることに。
 道具の力を借りず、魔力も使わずに、巫女服の少女は空を飛んでいた。
 巫女服の少女は、当たり前のように空に存在していた。
 まるで空を飛ぶことは当然であるかのように、巫女服の少女は魔法使いの少女の目の前に浮かんでいた。
 魔力の制御がおぼつかない魔法使いの少女に、その光景は衝撃的だった。
 巫女服の少女は、魔法使いの少女の眼に、何の苦もなく飛んでいるように見えたからだ。
 自分がこんなに苦労して空を飛んでいるのに、この少女はどうして当たり前のように空を飛ぶことが出来るのだろう。魔法使いの少女はそう思った。
 悔しかった。
 嫉妬した。
 だから、そんな感情を、表情にはおくびにも出さずに話しかけた。

「ねえ、あなたの名前はなんていうの?」

 優しく、女の子らしく、友達になりたいように。
 内心の悔しさを押し隠しながら。
 魔法使いの少女の問いかけに、巫女服の少女は淡々と名前を答えた。
 名乗りあった後、雑談する。

「じゃあ、この先の神社にすんでいるの?」

 会話の中で、巫女服の少女はこの近くの神社に住んでいるのだと教えられた。
 魔法使いの少女は、ありがたいと思った。
 相手が逃げないというのは、追う側にとっては好都合だったからだ。



 その日から巫女服の少女は、魔法使いの少女にとって大切な人となった。
 友人であり、ライバルであり、家族よりも近しい他人となった。
 彼女が動きそうな事件には、そういった縁で、たいがい首を突っ込んだ。面白半分のときもあったが、残り半分は巫女服の少女がいつも占めていたからあまり関係がなかった。
 いつしか魔法使いの少女は、巫女服の少女がいないとつまらない自分を感じ始めていた。
 巫女服の少女――博麗霊夢――は、魔法使いの少女――霧雨魔理沙――にとって、追いつくべき目印の一つとなった。
 苦もなく空を飛び、幻想郷の物事を当然のように受け止める。
 霊夢が当たり前に見ている『空』を、いつか自分も見ること。
 魔理沙にとって、手に入らない『空』を見ることは、とても収集欲をくすぐることだった。
 それが、眼に見えないとしても。

 夢は続く。
 月日を重ねる二人の姿が、現れては消えていく。
 食事の風景、だらける風景、弾幕ごっこの風景、現れては流れる過去の記憶。
 そんな夢の途中で、魔理沙は気づく。
 気づいて、眼が覚める。
 いつの間にか、あの日の空が見えなくなっていることに。
 ふっと、見上げれば。
 そこに見たかった『空』はなく、ただ霧雨によって覆われた空が広がるだけ――。






 ――それもまた、一時の――






(――夢、か?)

 暖かい日差しが、ベッドに横たわる魔理沙を包んでいる。
 外は朝日がカーテン越しに刺さるくらいの快晴。
 なのに、魔理沙の寝起きは優れなかった。
 頭をベッドから持ち上げて、周囲を見渡す。
 見覚えがあるのに違和感がある部屋。あらゆるものが、大きく見える。
 まるで他人の部屋のようだ、そう感じるが否定する。
 これが今の私の部屋なんだ、魔理沙の意識がそう語りかける。
 魔理沙のなかで、夢と現実が混じりあう。
 過去がもう一度、魔理沙のなかに戻ってくる。
 だが、過去の幻影は肉体の時間に破れる。
 次第に、過去と現在の区別が魔理沙の中で明確になる。
 明確に目覚め始めた意識で、魔理沙は過去の夢を思いだす。今とは異なる昔を。

(なんだか、懐かしい夢だったな)

 どうして、あんな夢を見たのだろう。
 始めて霊夢と出会った日のこと。
 あの頃から彼女は、空を飛んでいた。
 普通の人間で、普通の巫女だった。
 そう見えた彼女は、その実そんな存在以上ではないのに、それを犯すことを許さなかった。
 彼女が魔理沙の前に現れてから、それが一度たりとも破られたことはない。
 彼女が、幻想郷の規律でなかったことは一度もない。

「……今も大して変わらない、か」

 苦笑する。
 霊夢は昔から、なにも変わっていない。
 同様に、自分の立場も変わっていないのだろうと魔理沙は思う。
 その証拠に、今日も魔理沙は博麗神社へ箒を向ける。
 あの頃よりもスムーズになった箒さばきで、空を駆けながら。



 暑い日差しを帽子でさえぎりながら、魔理沙は博麗神社の敷地へ降りたつ。
 目の前には、いつもどおりに境内を掃く霊夢の姿があった。

「よう霊夢。邪魔していいか」

 歩み寄る魔理沙に霊夢は返す。

「ダメだって言って帰ったためしがないんだけど」
「寂しいお前を見過ごせず、おかげで言葉の裏を読むのが癖になったんだ。むしろ賠償を請求する」
「寂しくないし。それに、なにその曲解。むしろお金は私が――」
「なんだ? お前が昼間に起きているなんて珍しいな。焼かれちまうんじゃないか?」

 話しかける霊夢をすりぬけて、魔理沙は縁側に腰掛ける吸血鬼と従者に話しかける。

「あら、日光が弱いなんていうのは迷信なのよ。人間が空を飛べるというくらいにね」
「なるほど。なら、お天道様の機嫌が良い日にわざわざ遊びに来るお前は変わり者なんだな。主に吸血鬼的な意味で」

 レミリアは苦笑してお茶をすする。
 その横に座り込む魔理沙の腰元には、いつの間にかお茶が置かれている。
 ちらりと魔理沙は従者を見るが、動いた様子はなかった。

「あんたらが来るのはかまわないけど、暇なの?」

 霊夢の一言に、ふりかえった魔理沙が反論。

「お前に言われたくはないぜ」
「あなたに言われたくないわ」

 横から飛び出てきた声と重なる。

「どう見ても暇なのはあんたらでしょうが」

 むしろこの場には、暇を持て余している存在しかいないのではなかろうか。
 黙したままの咲夜は、内心でそんなことを考えてはいた。だが口には出さない。TPOは大事だ。

「しかし、ここも暑いな」

 会話の流れを無視して、魔理沙が帽子と箒を横に置いて吐息をつく。
 胸元をパタパタとさせ、内側に空気を送り込む。
 女の子としてはだらしない姿だ。だが、それに対して突っこむような同性はこの場にいない。

「当然でしょ。夏なんだから」
「春巫女なんだから、ここだけ春にならないか?」
「なるか」

 魔理沙の無茶な願いを一蹴する霊夢だったが、額には汗が浮かんでいる。
 薄手の巫女服は夏対策のものだが、それだけでしのげるなら人間楽に生きられる。
 霊夢は掃除をする手を休め、魔理沙たちが座る縁側へとやってくる。

「お、サボリか。さすがだな」

 魔理沙のからかいに、霊夢は冷静に対処する。

「今日の仕事が終わっただけよ」

 微笑して、レミリアが口を開く

「ずいぶん短い仕事ね。働き者の咲夜とは大違いだわ」

「わたしは普通の巫女なの。異常な働き者と一緒に出来ないわ。つうかするな」

 二人のツッコミをくらいながらも、霊夢は日陰に入り一息つく。
 口に出さないだけで、暑さが身に染みているのも事実なのだった。

「……」

 霊夢が座った位置に、こそこそとレミリアが近寄る。
 肩が触れ合いそうな距離まで近づいたのにそれほど暑さを感じないのは、吸血鬼の体温が低いからだろうか。
 そんなことを考えながら霊夢はゆっくりと立ち上がり、肩をよせようとしたレミリアを軽やかにかわす。

「なあ、せめてもう少し離れないか?」

 移動の後、魔理沙にはそう言われる。

「そうよ霊夢。その艶やかな喉元に触れられるくらいこちらにいらっしゃい」

 体温とは違う部分が熱そうな吸血鬼の元へ、霊夢が戻る気になるはずもない。

「……はあ、しょうがないか」

 そう呟いて日陰を出ていく霊夢に、魔理沙は声をかける。

「おい、どこへ行くんだ?」
「母屋の準備をしてくるから、少しここで待ってなさい。まだあっちのほうが風通しが良くて涼しいから」

 それに広いし、と霊夢は内心で付け加える。

「準備するから、少し待ってなさい。片付けもしなけりゃいけないし」
「見られて困るものでも置いてあるのか?」
「そういうことにしておけばいいわ」
「そうか。よし後で楽しみにしておく」

 二人で話していると、レミリアが口を挟んだ。

「霊夢一人じゃ大変でしょうから、咲夜。お前も手伝いなさい」

 突然の命令にたじろぐようなメイド長ではない。
 二人がレミリアのほうを向くと、命令にうなずく咲夜の姿があった。
 ついでまばたきの時間もかけずに、彼女は霊夢の横にたたずむ。
 その瞬時の行動に、魔理沙は彼女が犬と呼ばれる理由を見た気がした。

「なにか手伝うことはある?」
「それほどないけど、そうもいかないようだから、頼むことにするわ」

 霊夢の気遣いで、咲夜は彼女とともに母屋のほうへ赴く。
 縁側に残ったのは、魔法使いと吸血鬼のみとなった。



「なにを笑っているの?」

 レミリアが指摘するまで、魔理沙は自分が笑みを浮かべているのに気づかなかった。

「あ、いや……なんでだろうな」
「霊夢を見て笑っていたようだけれど、可笑しいところなんてあったかしらね」

 そう言われて、魔理沙のなかで夢の風景が思い出される。

「昔のアイツは、もう少し巫女っぽいふりをしてたなぁって思っただけだ。気にするな」
「気になるわね。そういった含みは」
「残念だが、後が怖いから拒否権を発動するぜ」

 懐かしそうな表情を浮かべる魔理沙に、レミリアは言う。

「あなたは、幼い頃から霊夢を知っているのね」
「いわゆる恥ずかしいことまで知ってるぜ。後が怖いから言わないが」

 苦笑する魔理沙。
 唐突に、レミリアが呟く。

「そういえば、珍しいことね。霧雨魔理沙」

 淡々と名前を告げるレミリアの声音に、魔理沙はいぶかしさを覚える。

「なんのことだ?」
「こうして私とあなたが共にいることが、よ」

 魔理沙はゆっくりと湯飲みを置き、レミリアに向き直る。
 緊張の源から、眼を離さない。
 緊急の事態は、常に想定すること。
 それは、今朝の夢で再確認させられた考えでもあった。

「けっこう顔合わせはしていると思うがな。お前が図書館にいることも多いし」
「そうね。けれど、この場所で二人きりになることは少ないわ」
「まあ、暑いからな。涼みにくるにはちょうどいい」
「なら、私がもっと涼しくしてあげましょうか?」

 レミリアも、ゆっくりと魔理沙へ顔を向ける。
 彼女が浮かべる表情に、魔理沙は懐かしさを感じた。
 そして、この吸血鬼に顔を合わせた判断は間違い出なかったと知る。
 吸血鬼が浮かべていたのは、紅い月夜に浮かべる瞳と視線。
 始めて魔理沙とレミリアが出会った、あの夜の表情だったからだ。

「そんな真面目顔のお前も珍しいな」
「そんなに怯えたあなたは、珍しくもないのにね」

 暑いのだから、汗はこぼれる。
 肌寒く感じ始めたのは錯覚だ、魔理沙はそう理解する。
 こぼれているのは、目の前の相手のせいではないと思いきかせる。

「らしくないな。お茶でも飲んだらどうだ?」
「本来はこちらが正しいのよ、霧雨魔理沙。吸血鬼としての私は、本来お前と口をきくような立場ではないのだから」

 ああ、それはそうだ。
 霧雨魔理沙は、内心でだけそう呟く。
 目の前にいるのは、吸血鬼の王。
 それに即した皮肉のほうが、今の場にはあっている。

「お前みたいなのがお日様の下で言ったって、説得力はなにもないぜ?」
「……それもそうね」

 あっさり、吸血鬼は幼い少女の顔に戻る。
 レミリア・スカーレットは幼い少女相応の表情で、魔理沙に対して微笑んだ。
 今度は威嚇でない、知人としての微笑だ。
 安心した魔理沙は、手元にあったお茶を口元に注ぐ。
 気のせいか、喉下を流れるお茶が先ほどよりも冷めていた。

「まあ、たまには真剣にならないとな。なまるのは、そうかもな」

 場をとりつくろう魔理沙の言葉に、しかしレミリアは言葉を合わせなかった。

「あなたは人間ね。霊夢と同じ」

 新たな話題は、しかし魔理沙にとって当たり前すぎることだった。
 だから、頷く。

「そうだな。それでお前は吸血鬼だ。それがどうかしたのか?」
「残念ね」

 ――残念なことなんて、なにもないぜ。なんのことだ?

 そんな当たり前の回答を、魔理沙はなぜか口に出せなかった。
 レミリアは、言葉を続ける。

「諦めがつかないでしょ。なまじ同じだとね」
「同じというのは、人間としてって意味か?」
「私が吸血鬼というくらい、それで正解よ」
「私と霊夢は、確かに人間としては同じだが、違う人間だぜ。人間と吸血鬼というほどには違わないけどな」
「だから、大変ねって言ったのよ」

 いらだちを含んだ声で、魔理沙は言う。

「なにが言いたい?」
「私は羨ましいだけよ」

 どこか寂しさを含んだ声で、レミリアは答える。

「羨ましくて、逆に安心する。あなたを見ているとね」

 知人から向けられる微笑。
 正確には、知り合いの吸血鬼から向けられる微笑。
 人間に向けられた、悪魔の微笑。

「彼女と同じでなくて良かったわ。だって、同じだったらこちらに誘うことが出来ないものね」

 レミリアの口元に、三日月が浮かび上がる。
 細く伸びた犬歯を覗かせながら。

「吸血鬼らしい考え方だな」
「同じでないなら、惹きこめばいい。身も心も、その全てを」
「あいつが許すとは、思えないがな」

 それが真実だと、魔理沙は知っている。

「だから、私は待っているのよ」

 レミリアはしかし、魔理沙の悲観的なニュアンスなど意に介さない。

「なにを……」

 魔理沙はなにかを問いかけようとしたが、

「お嬢様、お茶の準備が出来ました」

 咲夜の言葉が割って入ったため、途中で遮られてしまった。
 だが、そんな咲夜の気遣いを無視して、魔理沙は再度レミリアに問う。

「お前は、霊夢をどうしようって言うんだ?」
「別に、どうもしないわよ。今はね」

 レミリアが、そう答える。
 さきほど見せた吸血鬼の微笑みを浮かべながら。

「待っているだけよ。彼女とお茶を飲む戯れをしながら、その瞬間をね」



「遅れていったほうがいいかもしれないわね」

 レミリアの様子から判断したのか、咲夜はそう呟いた。
 魔理沙もうなずいて、しかし、納得はしていない表情を作る。

「そうだな。原因がなんだかは知らんが」
「惚気(のろけ)が耐えられなかったんじゃないかしら」

 さらりと呟やかれた一言に、魔理沙は慌てて否定の意を示す。

「いや、少なくとも私にはその気はないぜ」
「なくても、ね」

 納得のいかない魔理沙に対して、咲夜はそう呟いた。わずかに陰りをおびた表情で。

「……なあ」
「なにかしら」

 話題を変えようと、魔理沙が口を開く。
 もともと、黙っているのが好きな性分ではない。

「前々から聞きたいと思っていたことがあるんだが」
「答えられる範囲なら、かまわないわ」

 答えかえす咲夜の表情は、いつもどおりの瀟洒な表情だった。
 彼女に、魔理沙は問う。

「お前、どうやって空を飛んでるんだ?」

 魔理沙の質問に、咲夜は少しためらいながら口を開く。

「そんなことを聞いて、どうするの?」
「たまたま、今日が聞きたい日だったんだろう」

 たまたま今朝見た夢で、幼い自分は上手く飛べなかったから。
 返答をはぐらかしたのは、そんなことが理由だというのが、少しばかり恥ずかしかったから。
 そんな魔理沙に対して、咲夜は受け答える。

「空間制御の応用よ。時間と空間、それらを操って、わたしは空を飛んでいるわ。残念だけど、それ以上の種明かしは出来ないわ」
「実はわからないとか」
「そうかもしれないわね。わからないけれど」
「じゃあ、生まれつきの力なんだな。わからないんなら」

 その言葉に、咲夜は顔をしかめる。

「……違うわ。そうであれば、わたしがここにいることはないだろうから。もっと上手く、嘘がつけただろうから」
「そうか」
「そうよ」
「なあ」
「なにかしら」
「やっぱり、アイツのためだったりするのか。空を飛べるようにしたのは」

 今頃、霊夢とお茶でもすすっているであろう少女のことを思い浮かべる。
 咲夜はうなずいて、理由を述べる。

「お嬢様に添い、同じ場所へ行くことが叶う。館の移動や仕事にも有益だし。第一、幻想郷は飛行できないと不便なことが多すぎるから」

 魔理沙は、理由をあげる咲夜にぽつりと呟く。

「いわゆる、メイドとしての理由ってやつだけなのか?」

 魔理沙の言葉に、咲夜は言葉を止める。
 次いで、なにかを思い出したのか、咲夜は突然苦笑する。

「思いだし笑いか?」
「……今から言うこと、笑わないって誓える?」
「さあ? 笑うかもしれないぜ」

 魔理沙はひねた答えを返すが、咲夜は気にせず言葉を続けた。

「そうね。もうひとつ、あるにはあるわね」

 思い出すというよりは、物思いにふけるように、咲夜は告げた。

「お嬢様の見ている世界を、少しでも見てみたかっただけなのよ。ほんの少しでも、一緒に」
「……いろいろ聞いてると、一瞬どころか一生ついていそうな気がするがな」
「わたしが見たかったのは、そういう意味での時間じゃないの」

 魔理沙の言葉を、咲夜はやんわりと否定する。

「一緒に空を飛ばせていただけるだけでも、喜ぶべきことなんだけどね。見ているものは、やっぱり違うわ」

 帽子のつばを目元におろして、魔理沙は問う。

「今まで、それを見たことはなかったのか?」
「……あの日、わたしたちは永遠の夜を二人で駆け抜けた。本当の月を取り戻すために」

 永夜事変のことだろう、と魔理沙は思い当たる。

「あの日見た光景は、すぎさっていった一瞬だけれど、お嬢様と同じ場所にいたと思えるものだった。そうね、例えば……あの偽りの空間を越えて開けた一瞬――」

 咲夜はそこまで言って、少しばかり口を閉じる。
 その光景を思い出しているのだろうか。主(あるじ)と見た一瞬を。
 魔理沙は想像する。咲夜が思い出しているものを。
 少しばかりの時間がたって、ゆっくりと、咲夜が口を開く。

「――あの一瞬は、お嬢様と同じ風景を見ていたのだと思えるわ」

 だが、と魔理沙は心の中で呟きながら回想する。
 その一瞬は、普通の人間には刺激が強すぎる場所だったのではないか。
 人間よりも妖怪が欲する光がある場所だったのではないか。
 そんな心中を、魔理沙は呟きに変える。

「その一瞬で、狂っちまった可能性があったのに、お前は幸せだったのか?」
「そうでなければ、わたしはお嬢様と同じ空を飛ぼうなんて思わない」
「人間なのに、か?」
「勘違いしないで。わたしは人間である前に、『十六夜咲夜』と呼ばれるメイドなの。お嬢様に仕える人間のメイド。それ以上でも、それ以外でもないわ」
「名は性格を表す、か」

 魔理沙は、皮肉を込めて言う。

「お前は、それだけで満足できるんだな」
「あなたが求めすぎなのよ。知識でも物でも妖怪でも、求めれば限りがないわ」
「そうだな。でも、それが私なんだ。こればかりは変えられないぜ」
「手に入らないものがあるということも、意識しておくべきだとわたしは思うけれど」
「蒐集家を甘く見ちゃいけないぜ。一度集めたものは捨てられないんだ」

 魔理沙の言葉に、咲夜は眼を細めて冷たく呟く。

「限度を知らなければ、もう手に入っているものも見つけられなくなるわよ」

 最後の一言はナイフのように、すっと魔理沙の心に忍び込んだ。
 二人の間を沈黙が支配し、そのまま口を開くことなく時間がすぎていく。
 気まずい時間を破ったのは、咲夜だった。

「そろそろお嬢様がお呼びになるだろうから、行くわね」

 腰をあげる咲夜に、魔理沙は言った。

「そうだな。お前は、確かに完全で瀟洒なメイドだ。早く行ってやるといいぜ」
「あなたは正しく魔法使いね。理解できないことを理解しようとする」

 そう言って、咲夜はその場を立ち去った。

 魔理沙は、咲夜が立ち去った後も、縁側に腰掛けつづけていた。
 そして、咲夜のように思い出していた。
 顔見知りの妖怪と駆け抜けた、永夜事変のことを。
 あの夜を魔理沙とともにすごしたのは、霊夢ではなかった。
 魔理沙が組んだ相手は、気心の知れた妖怪だった。
 過去に二度も三度も弾幕しあい、口喧嘩はなんどしたか数え切れない。
 いがみあいながら、認め合う。
 ややこしい、憎らしい、似て非なる魔法使いの妖怪。
 そんな彼女が、魔理沙を事件に引っぱりこんだ。
 彼女はパートナーとして、魔理沙を最良の相手に選んだのだった。
 魔理沙が彼女をどんなふうに捉えているのか、向こうもわかっていたからだろう。
 案の定、一人と一妖は事件の核心に迫るほどのコンビネーションを見せた。
 あの夜、魔理沙とアリスは同じ空を飛び、同じ一瞬にいたのだろう。

(……違う)

 その空は、咲夜が求めていたものだ。
 魔理沙が求めているのは、そうした一瞬のことではない。
 子供の頃に見えなくて、そして霊夢が見ていたはずの『空』。
 魔理沙が見たいのは、「霊夢が見ている」『空』なのだ。
 それは、「霊夢と見る」空ではない。
 「霊夢が見続けている」『空』を、見てみたかったのだった。
 日常から続く、日常とは違う、『空』を見続ける巫女の世界を。
 決して届かない、『博麗霊夢』という存在を。
 知りたかったのだ。誰よりも。






「結局、あんたはなにしにきたの?」

 縁側で空を見上げていた魔理沙に霊夢は声をかける。

「夕涼みだ。快適だぜ」

 茜色の空は、涼しい風を運んでくる。

「昼に来たのに、夕涼み?」
「まあ、今日はたまたまそういう日だったのさ」

 霊夢は言うには言ったが、自分の言葉の意味を気にはしていないようだ。
 いつもどおり、魔理沙に次の言葉で聞く。

「夕飯、食べていく?」
「それは悪いな。でも、いいのか?」

 魔理沙の気を使った一言に、逆に霊夢は虚をつかれる。
 きょとんとした顔を戻し、ため息まじりに一言。

「あんたが遠慮するなんて、らしくないわ。気を置く仲でもないでしょうに」

 その霊夢の一言に、魔理沙はふっと立ち上がる。

「気を使う仲でもない、か」

 くるりと霊夢に向き直った魔理沙は、言う。

「なあ、霊夢」
「なに?」
「一緒に、飛ばないか」
「……いや、なんのこと?」

 すっと、魔理沙は空を指差す。

「空を飛ぼうぜ。いつもと同じに、だけど無目的に」






「気持ちいいわね」

 夕方の心地よい風を全身に浴びて、霊夢が呟く。

「まだ陽があるからな。夜は嫌いだ。変な奴しかいないし」
「今日来てた吸血鬼みたいなのとか?」
「そうと言うのかもしれないぜ」

 赤い夕焼けに照らされながら、魔理沙は考える。
 魔理沙が夜が嫌いだというのは、嘘ではない。
 少なくとも、人間は夜の世界が苦手だと魔理沙は思う。
 けれど、昼も夜も、霊夢には変わりがないのだろうか。

「お前はどこに行っても、「気持ちいいわね」って言ってそうだな」
「誰が相手でも大丈夫なように、ってとこかしら」
「嘘だな」
「どうかしら。今ここにいるわたしが、わたしなんだから。その場その場にならないと、なにを言うかなんてわからないわよ」

 のん気にそんなことを言う霊夢は、魔理沙にとってあのころと変わっていないように見える。
 成長しようと願った魔理沙と、変わらずにいようとする霊夢。
 苦もなく飛べるようになり、あのころよりも空を自由に飛べるようになった。
 あの日とは違う。
 霊夢が遠い存在に感じられた、あの日の自分とは違うはずだった。
 なのに、今もって、まるで追いつけないのはなぜなのか。
 あの頃と同じ、けれど違う、二人で飛ぶ空で、魔理沙はそう感じ入る。

「……魔理沙?」
「ああ、いや。なんでもない。眼にゴミが入っただけだ。詮索するな」

 一緒に飛びたかっただけだ。
 けれど、そうなってからわかってしまうこと。
 一緒に飛ぶことが、一緒にいられることでも、一緒になることでも、ないということ。

 待ってくれているはずがない。
 待ってくれる、相手などいない。
 進んでいけば、以前と異なる姿が浮かび上がってくるだけ。

 博麗霊夢は、博麗霊夢として『空』を飛び。
 霧雨魔理沙は、霧雨魔理沙として空を飛ぶ。

 長い長い時を経て、近づく場所。
 まだまだ道の途中のはずなのに。
 魔理沙にとっての空は、どこまでも『空』になることはない。

 はてさて、と魔理沙は思案する。
 生まれ持った『空』が続くのは、どんなに素晴らしくても厭(あ)きてしまいそうだ。
 だが、終わることのない空はどこまでも優しく冷たい。

 喜ぶべきか、悲しむべきか。

 二人は、重なることなく空を飛んでいく。
 交わってしまえば、墜落するから。
 重ならないままに、空の上を並んで飛ぶ。

 子供のころの、些細な目標。
 それが叶ったはずなのに、あの頃からなにも変わっていない。
 やっぱり二人は、巫女服の少女であり、魔法使いの少女であって、そこからなにも変わっていない。
 自分が見れない風景を、霊夢は今も見ている。

 魔法使いの少女は、巫女服の少女を見ながら想う。
 一緒に飛ぶ夢は、空の上でなら叶う。
 それだけで、喜ぶべきことなのだろうに。満たされるべきことなのだろうに。
 それ以上を求めてしまうのは、珍しいものを求める蒐集家の性なのだろうか。
 ともに飛ぶ夢より、ともに重ならない存在であることを求めはじめているのは、儚い夢にすぎないのだろうか。

 必要なのは、身の程を知れということか。
 それとも、身の程を知ったうえで付き合うことか。
 あの永夜事変の夜のように、恐れながらも立ち向かうことか。

 答えなんて、考えても出るはずがない。
 手に入らないものを求めているのだから、答えなんて出るはずがない。
 それでも『空』とまじわる一瞬が続けば、その片鱗は見えてくるのかもしれない。
 たとえ届かないとしても、たとえ霧雨の空だとしても、目的地はいつか見えてくるのかもしれない。
 それが、望まなかった場所だとしても。

 物思いに沈んだ魔理沙へ、霊夢が声をかける。

「ねえ、だいじょう……」
「なあ、今日の夕食はどっちが作る?」

 そんな霊夢の声をさえぎって、魔理沙が問いかける。

「……そうね。今日はあんたが作りなさい」
「残念ながら、私は和食派なのだ」
「いや、わたしも和食派なんだけど」
「つまりは、お前が作っても問題ないってことさ」
「あるわよ。たまには、魔理沙の食事も食べてみたいし」
「私の食事代は高いぜ? 弾幕ごっこの景品ぐらいにな」
「あら、パターン作りごっこは私の得意分野よ」
「知ってるぜ。だから、そう易々と認めるわけにはいかないのだ」

 二人はうなずいて、ゆっくりと対峙する。
 ある程度の距離をおいて、霊力と魔力を整えなおして、お互いを認めあって、二人とも苦笑する。

「あんたも、素直じゃないわね」
「お前が素直すぎて、強すぎるんだよ」

 そうして二人は胸元からスペルカードを取りだし、力の解放を宣言した。

 そこから広がるのは、いつもと同じ遊びの風景。
 ルールに則(のっと)った、戯(たわむ)れの一つ。
 触れあったら終わってしまう、即(つ)かず離れずの交じり合い。
 幻想郷という「空」で二人が繰り広げる、弾幕ごっこの光。

 二人で彩(いろど)る、新しい「空」の一時。