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■   そんな魔法の愛し方   ■

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 ――深淵を覗いて溺れるなんて、魔法使いにあるまじき失態だ。
 ――けれど、アリス・マーガトロイドの瞳は、そんな深淵と同じ深みを持っているように想えてしまう。
 ――霧雨 魔理沙は、そんな深淵な想いにとらわれることが、どうしてか近頃多くなっている。
 ――どうしようもないくらい、多くなっている。



 ∽∽∽∽∽∽∽∽∽



「……変だぜ、ああ、おかしいぜ」
「ついに発狂するのかしら?」
「ひどいぜ」

 魔理沙の呟きに、アリスの返答は手厳しい。
 それも顔見知りならではのもの。憩いの時間でなら、尚更だ。
 アリスの友人である魔理沙は、だが、反応を得るためだけに口を開いたわけではない。
 最近、アリスの様子がおかしい。
 魔理沙はそう感じているから、それをアリスに対して口にしたのだ。
 ただ、具体的になにがおかしいか、指摘できるほどにおかしいわけではない。案外に、おかしくはないのかもしれない。
 だが、なにかがおかしい。魔理沙は自分にそう感じる。
 魔理沙はそう思いながらも、その些細な違和感の原因を探り当てることが出来なかった。
 具体的に指摘できる変化はあるが、それがなぜ違和感を生じるのかがわからない。

「よく外出しているみたいだが、なにか面白いことでもしてるのか?」

 魔理沙の家を訪れたアリスに――訪れる回数も、どうしてか増えた気がする――そう聞いてみる。
 些細な変化の一つとして、アリスはよく外出するようになった。
 静寂な地で研究にいそしむ魔法使い、そうしたパブリックイメージを地で行く彼女には大きな変化だった。
 表情を崩さず、アリスは本へ落とした目線をずらしながら、こう答えた。

「面白いことじゃないわ。ただ、友人関係を見直してるだけよ」

 あー? と不理解の意を表明する魔理沙に対して、アリスはそれ以上の言葉を続けない。
 どうしてか、ちらりちらりと挙動不審に、魔理沙の様子を盗み見るだけだ。
 はてさて、と魔理沙は指折り数えながらアリスの交友関係に想いを巡らせる。
 あえて、その挙動不審ぶりには口を出さない。はぐらかされ、引っ込まれれば、真相を究明するのが難しくなるからだ。
 流れは止めない。
 ひい、ふう、みい……と数えて。

「足の指はいらないよな?」

 やや真剣な眼差しでアリスを見つめる。
 アリスは受け答える。そういう時ばかり魔理沙の瞳を直視して。

「何気に失礼な気がするけど。……まあ、でも、事実じゃないかしら」

 うーん、と魔理沙は少しばかりうなる。
 自分を含めたとしても、アリスの交友関係はあまり広くない。
 魔理沙はそう思っていたが、聞いてみると、やはりそのとおりのようだ。

「ああ、見直すっていうのは営業活動だな。主に自分のイメージ改善と今後のために」

 アリスは黙したまま、紅茶を一口ふくむ。
 澄ました顔を見るに、どうやら読みは外れたようだ。

「私の知っている中で見直すなんて、見直さにゃならないほどの関係なのか? そんなに気を使う間でもないだろ」
「……アンタにとっては、そうでしょうけれどね」

 いつものアリスらしい、やや不機嫌な呆れ顔。
 魔理沙も慣れたもので、この程度の不機嫌さなら不機嫌を与えたうちにも入らない。
 わからないのは、見直しが必要なほどに厄介な相手が思い浮かばないことだ。

「私に、霊夢。パチュリーに、慧音。後は医者に……それくらいだろ? 見直すような相手がいるのか、疑問なんだが」
「詳しいわね。まったく、ストーカーじゃないんだから」

 呆れたアリスの声に、ふと、魔理沙の心で一瞬だけ違和感が晴れる。
 アリスのことを見つめている魔理沙に、呆れるだけですんでくれていること。
 そんなことでどうしてか、一瞬だけだが、違和感が晴れてくれた。
 だが、心の中の淀みはすぐに戻る。言葉にならないからだ。

「……言うなれば、霧雨模様の晴天ありって感じだな」
「意味がわからないけど」

 心中を言葉で表してみるが、さすがの魔法使いにも心を読む術はない。
 上手く次の言葉が告げない魔理沙は、いったんそこで言葉を止める。
 そんな様子を見て、アリスはため息とともに一言呟いた。

「わたしのことをおかしいおかしいって言うけれど、アンタのほうがおかしいんじゃないの?」

 そう言われて、はたと想う。
 どうしてアリスのことをおかしいと、気になっているのか。
 ――それがわからなくなってきた魔理沙でもある。
 確かに、原因もわからずに相手のことを問い詰めるのは理にかなっていない。
 魔法使いらしくない自分の行動に、魔理沙もおかしさを感じてはいる。
 ただ、それでも、と魔理沙は考える。
 アリス・マーガトロイドは、なにかがおかしいのだと。
 なにかが、自分の中でおかしいのだと。
 そう、感じているのだ。

「……まあ、でもおかしい気はする」
「どうしてよ」

 しっかりと魔理沙を見つめて話しかけるアリス、これも案外に珍しい。
 珍しいというか、新たな違和感の原因でもある。
 それを、アリスは気づいているのだろうか。
 そんな疑問を向けたくもなる。
 視線を向けられることはおかしなことではない、と魔理沙も思っている。
 だが、なにかを調べるように全身を見られているのは、やはりおかしいだろう。
 巧妙な視線の動きは些細な動きだけれども、そのつながりが映しているものは、おそらく魔理沙という個人全体のものだ。
 観察されているような気になる。

「とりあえずロックアウトだ。人をじろじろ見るのは心象がよくないぜ」
「会話するなら人の眼を睨めって言うでしょ」
「言わないぜ」

 魔理沙を見つめるアリスの視線は、真剣そのもの。
 まるでなにかを観察するかのように、様々な部位を盗みとるように視線でとらえる。
 気になるので再度問いかけようとすれば、今度は自然に視線を外すようになってきた。
 巧妙だ。さすがは七色の魔法使い。手練手管はお手の物なのか。始めて気づいた言いがかり。いつか使ってみようと想う。
 ともかく、アリスが変だ。魔理沙はそう確信している。

「変なのは、わたしじゃなくてアンタのほうよ」

 そんなことはないぜ、そうアリスへ告げられない自分も少しばかり変なのかもしれない。
 なぜなら、そんなふうに観察されていることが、それほど嫌ではないからだ。
 人形のように澄んだアリスの瞳が、こちらに向けられている。そう考えるだけで、妙な居心地と、違和感を感じる。
 アリスと自分への違和感を抱えながら、魔理沙はそんなことを意識していた。

 ――そんなアリスの視線の意味を問い詰められない自分に、少しばかりのおかしさを感じていた。



 ∽∽∽



 青い空へと、葉が流れる。
 風の流れはやや冷たいが、耐えられないというほどでもない。
 むしろ、熱すぎも寒すぎもしない穏やかさが、心地よいほど。

「この神社は静かだな。精神集中にはもってこいだぜ」

 境内に腰掛けて物思いにふけりながら、魔理沙はそんなことを呟く。
 どこか上の空な彼女へ、神社の巫女は淡々とした口調で告げる。

「そうかしら。あんたん家のほうが、よほど静かだと思うけれど。宴会もないしね」
「巫女さんがのんきだから、みんなのんきになっちまうんだな」
「静かさと関係ないでしょ、それ」

 手元のお茶をすすりながら、魔理沙の言葉に突っ込みを入れる。
 博麗 霊夢にとって、魔理沙とのそんな会話は日常でしかない。
 とはいえ、普段と違う部分があれば、気にもなる。

「精神集中だなんて、らしくない言葉ね」

 のんきと言った人間の顔は、馴染みの人間が見れば、あまりのんきそうには見えない。
 それに、わざわざ精神集中などという単語を魔理沙が呟くことに、霊夢には少しばかり違和感を覚える。
 天性ではなく、努力によって、自分の力を支えている。魔理沙は、そう言う人間だ。
 その集中力や意識力は、自分などよりとても高い。霊夢はそれを知っている。
 ただ、それを口に出すことは大変にまれなことだ。お互いにとって、そういった部分はあまり触れない場所でもある。
 特に魔理沙は、そういった部分を表に出すことを好まない。特に、霊夢に対しては。
 ……なのに、である。

「ん。そうじゃなくて、だな」

 歯切れの悪い回答も、珍しい。
 言いよどむ魔理沙の顔が、霊夢の関心をひく。
 平素はそんな感情を起こされない、霊夢をだ。

「……?」

 疑問符を浮かべる霊夢は、魔理沙の答えを黙して待つ。
 ほじくり返すより、今のもだえ悩む魔理沙の表情を見る方が――申し訳なさもあるが――珍しくも楽しい。

「……」
「……」

 お互いの動きを待つ、沈黙。
 口を切ろうとして、何度も封を閉じる魔理沙の唇。
 ふぅ、と先に口を切ったのは、霊夢のほうだった。

「……らしくないんじゃない?」

 待ちきれず、らしくない他人への興味を口に出す。
 それも、魔理沙が相手だからではあるのだが。
 それでも、霊夢がこうして積極的に干渉するのは、珍しい。

「ん……まあ、そうだな」

 霊夢の言葉にうなずいて、魔理沙は返答も曖昧に立ち上がる。
 怪訝な顔の霊夢をすり抜けて、振り向きざまに一言。

「そろそろ帰ることにする。邪魔したな、霊夢」
「気になる話しの切り方しないでよ」

 関心を向ければ、この扱い。らしくもなく、霊夢は魔理沙の背中に追いすがる言葉をぶつける。
 気にしないようにして、自然な態度で箒を用意して飛び上がろうとする魔理沙。

「だから待てというに」

 あまりにも自然に逃げようとする魔理沙にむんずと手を伸ばして、浮かび上がるのを阻止する。

「だからといって帽子を引っ張るのはどうかと思うぜ、霊夢……!?」

 前が見えないのにふわふわ浮かんでいるのは、危険この上ない。
 ましてや霊夢に帽子をつかまれた、視覚封鎖の上での浮遊だ。
 ふらふらである。ただでさえ、気分もふらふらなのに。

「実は、この中に見てはならないものがあるとか」

 イタズラ心がふっとわいて、くいくい、と帽子を引っ張りながら微笑する霊夢。
 対して魔理沙は、面倒そうに言葉を返す。

「ないない、そんなものは一つもないぜ」
「じゃあ、きりきり白状しなさい」

 食い下がる霊夢に観念して、魔理沙は箒から魔力を抜き取る。
 足を地面につけて帽子の鍔を上げた魔理沙の表情は、しかし未だ解せないままだ。

「珍しいな。お前がこんなことに興味を持つなんて」

 それが箒から降りた、理由の一つでもある。
 魔理沙の知る霊夢は、わりあい世間に対して勘が働く。
 それと同時に、個に関してはわりあいに当たり障りがない。

「人を無関心みたいに言わないでよ」

 そんな魔理沙の心中を読んでか読まずか、霊夢は不平をいう。

「お、違ったのか? 厄介事は嫌いだと想ってたが」
「事件じゃないんでしょ。だったら、世間話じゃない」

 そういうのは嫌いじゃないわ、と霊夢は庇(ひさし)のほうへ魔理沙を手招いた。

「私にとっては、わりと事件なんだがなぁ」
「あんたが悩む事件は、案外にあんたの日常よりも事件じゃないのよ」
「お前は悩んだりしないのか?」
「あんたん家の近くの七色よりは、悩んだりすると思うわよ?」

 霊夢にしてみればただの冗談だった。
 だが、アリスに関する単語が出てきてうろたえるのが、今の魔理沙でもある。

「あ〜、その、悩むくらいは日常だ。だから日常なんだぜ?」
「……で、その日常がどうかしてるわけ?」

 魔理沙のうろたえを看過しながらも、言い当てることはしない。
 なんとはなしに今の反応で、原因の一部を察することは出来た。
 自覚させるために会話はある。自覚したことは一度もないが、霊夢は天性の感でそれを知っている。
 今、魔理沙に必要なことがなんなのか。言葉には出来ないが、霊夢の勘は、なんとなしにそれを知っていた。
 庇の下へと腰を落ち着けた二人は、そのまま一つのため息をつく。
 どちらともなく口をつぐむのは、言い出すべき相手がどちらかを知っているからだ。
 少ししてから、言いにくそうに、魔理沙は口を開いた。

「実は私の家の近くに、魔法のキノコがたくさん繁殖しているんだ」
「あんたが栽培したものもあるっていうわね。たまに苦情がこっちへ飛び火してるんだけど」
「私のキノコ収集は実験のためでもあるし、魔法店の重要な商品でもある」
「なんか図書館がキノコだらけにされたって聞いたことがあるんだけど、そういった話?」
「しかしだな、霊夢」

 そこでいったん言葉を句切って、やや眉間にしわを寄せてから、魔理沙は瞳を逸らして口を開いた。

「私の家の近くに、キノコを毛嫌いしている魔法使いがいるんだ。数にすると、一つ」
「……あぁ、そうね。そんなのもいたわね」

 先ほどの些細なそぶりから、その辺が原因なんだなと霊夢は直感していた。
 が、初めから終わりを刺してはいけない。だから。魔理沙の話へ半端に頷くだけにする。
 会話は引き出して、そこを味わうのが楽しい。
 他人のなんたらは密の味、という言葉が霊夢の脳裏をよぎる。

(……なんか、どこかの誰かに似てきたのかしら)

 まとわりつかれるから影響も受けるだろうが、そんなところは少しだけ悩んでしまったりもする。
 まさしく出歯亀で野次馬的な心境過ぎるのだから、あまり健全とは言えない。
 しかし、とも霊夢は思う。
 こんなに考え込んだ魔理沙の表情を味わわずして、なにが親友であろうかと。
 ……それに、と一方で真面目な考えも働く。自白して自覚させなければ、おそらく、答えを言っても認めようとしないだろうと。

「そいつがどうなろうと、そいつがなにをしようと、そいつが考えることがわからなかろうと、私には関係がないんだがな」
「ふむ」

 考え込む霊夢を意に介さず、魔理沙は切れ切れに言葉を紡いでゆく。
 そういう真っ直ぐさを、霊夢はたまに羨ましく思う。

「そいつが少しばかり、変なんだよ」
「……う〜ん」

 一瞬、返答の言葉に詰まる。
 変という基準がなんなのか、霊夢には計りかねたからだ。
 変わっているとかおかしいとかそういう意味なら、この幻想郷では、そうでないほうがよほど珍しい。

「変って言えば、妖怪だからね。変なんじゃないの?」
「そういう意味じゃないというか、普通じゃないんだぜ」
「いや、普通がわからないし」
「……なんだか、私の家に頻繁に出入りするようになったりさ」
「嫌なの?」
「いや、別に嫌じゃないぜ。研究のこととか、それなりに理由があるみたいだし」
「じゃあ、普段通りじゃない」
「回数が、増えたんだ。それに……私のことも、なんだかじろじろ見てるしな」
「魔理沙の家なら、盗まれることとかないでしょうに」
「あ〜、家を見てるならなぁ……気にしないんだが」
「……なんで顔が紅くなるかな?」
「いやな、行動を見られているというか、……私を見られているというか、そんな感じなんだよ。その、見られるって感じが」

 魔理沙の反応が、霊夢にはなぜかくすぐったいものに感じられた。
 だから、少しばかり気を利かせた返答をすることにした。

「それこそ、『人形』、に関することなんじゃないの? 彼女、それで頭がいっぱいじゃない」

 あくまでアリス・マーガトロイドの興味は、『人形』としての霧雨 魔理沙ではないか? と。
 そんな、少しばかりの悪気を含んだ答えを提示した。

「……いっぱい、かぁ」

 どうしてか、魔理沙はそこでため息をつく。
 そして霊夢は、直感で――意識化も言語化も自覚化もしていない――魔理沙がそう反応することを理解していた。
 だから、不満を見越して、霊夢は今できるだろう対処を口にする。
 今度は、長年の付き合いである、親友として。

「文句を言えばいいでしょ? 人権侵害、不法侵入、相手がよくあんたに言ってることじゃない」
「それはそうなん、だけどさ……」
「……なにが不安なの?」

 不満、ではなく、不安。
 霊夢は天性の感で、魔理沙の胸中を見事に言い当てる。
 気づいているのかいないのか、魔理沙はその霊夢の言葉に誘導される。

「……いや、本当は、そんなことが嫌じゃない自分が……不安なんだ」
「……」
「そんなふうに、なんていうか、頻繁に出会って、色んな話して、一緒にいるって言うのがさ……」

 霊夢は黙って、魔理沙の言葉を少しずつ受け止める。
 少しずつ寄ってゆく、眉間のしわと比例するように。

「ほら、私たちってライバル同士とかだろ。なのに、なんで今そんなことになってるかっていうさ……」

 魔理沙がそこまでを口にすると、少しの間、静寂がその場に生まれた。
 打ち破るように、霊夢がお茶をすする。
 ずずぃ、と荒っぽい音の後に、こん、と湯飲みを置く音が聞こえた。
 ため息を一つついて、霊夢の口が開く。

「変なのはあんたらだ」

 一括、ならぬ一喝するために。
 八の字に寄せられた眉と共に。

「な、心外だぜ霊夢。あんなやつと私を……」

 霊夢の急な変心が理解できず、魔理沙は驚きと不満で受け答える。
 しかし霊夢は、すでに聞き耳を持たない表情と態度で腰を持ち上げている。

「帰れ帰れ帰れ、心配したわたしが損したわ。賽銭入れてけ」
「つれないぜ。というか、なんなんだ? 話せって言ったり帰れって言ったり」

 霊夢の態度の豹変振りに、魔理沙は当惑を隠せない。

「話して損したぜ」
「こっちもよ、聞いて損したわ。答えなんか、始めから出てるんじゃないの」
「はぁ?」
「キノコが気になるなら、つみとりなさい。こう、頭から、がりっとね」
「スプラッターだな。スプラッター霊夢か。十三日の霊夢さんだな」
「美味しいものをぶら下げられて悩むなら、いっそ食べちゃいなさいよ」

 ああ、あやかりたいわ。霊夢はそんなことを言いながら、魔理沙の背中をどんどんとたたいて追い出す。

「ストレートすぎて危ないな。霊夢、いつか捕まるぜ。主に窃盗で」
「心配しないでも、その役はあんたに譲ってあげるわ。……っていうか、もう奪ってるんだろうけどね」
「???」
「お互いなら、交換罪? よくわからないわね、あぁ、めんどくさいわ」

 一人でいらいらして愚痴る霊夢に、魔理沙は困惑顔で語りかける。

「今日のお前は、よくわからないぜ」
「わからないなら、はっきりしてきなさい」

 ほれほれほれとドンドンドン。
 押すな押すな背中が割れるぜ、割れるわけないでしょ速く行け。
 二人の会話は、言いだしっぺの方から強制終了。

「まったく、いい加減なやつだな」
「はっきりしてるわよ、少なくともあんたよりはね」

 ため息をついた魔理沙は、口ごもるようなしぐさをした後、なにも言わずに箒にまたがる。
 言葉を編もうとしても、編めなかったのだろうか。
 そのまま手を一振り二振りして、魔理沙は博麗神社を後にした。
 残ったのは、その背中を見送る霊夢のみ。

「……素直じゃないんだから」

 そう呟いて。
 ふっと、ため息を漏らす。
 イタズラなんて、らしくないことをしてしまうくらいだ。
 そう、実のところ――

『「――素直じゃないのは、案外にあなたのほうじゃないかしらね?」』

 突如。
 声が生まれる。
 空より現れたその声は、霊夢のものではない。

「羨ましい? それとも、寂しい?」

 背後の声に、しかし、霊夢は微動だにしない。
 原因がわかっている異常には、対処法などいくらでもあるからだ。

「出歯亀は止めなさいよ。そんなだから、見た目の割りにはって言われるのよ」

 ふりかえって、無気味に空を切り裂くスキマに向かって文句を言う。
 覗き趣味は感心しないが、それがこのスキマの趣味でもあるから困ったものだ。

「あれは男性に使う用語なのよ? それに出っ歯でもないしねぇ」
「そんなことは言ってない」
「さて、霊夢。女性の覗き魔は、なんて言えばいいのかしら?」

 冗談とも本音とも区別のつかない、曖昧な問い。
 その余韻を残しながら、ゆっくりと裂け目から姿を現す紫色のゴシックドレス。
 八雲 紫の口元には、いつもと変わらない微笑が浮かぶ。

「話をずらすな」

 受け止める霊夢の表情は変わらない。
 ずらすな、と言ったとおりに、ずれていない態度。

「つれないわねぇ。そんなだから、彼女を他の子にとられちゃうのよ?」
「……誰の話よ」

 少しばかり、霊夢の声に苛立ちが混じる。

「どう? 親友を盗られてしまう気持ち。泥棒が盗まれるなんて、まさか考えもしなかった?」

 紫の口調はからかうような、おどけるような、曖昧で裏の見えないもの。

「盗られるもなにも、わたしのじゃないわ。……誰のでも、ないでしょ」
「あら、つれないのね。少なくとも、想うところはあるでしょ?」

 そう言われて、素直に頷けるなら、あんな対応はしていない。
 曖昧なものは苦手なのだ。

「……嬉しいってのも、寂しいってのも、なくはないけど。なんとも言えないわね」
「あら。なら……いくらでも、手を貸しましょうか?」

 霊夢の背後にスキマが巡り、細く柔らかな指先が裂け目から現れる。
 蜘蛛の口元が、巫女の耳元をくすぐる。

「奪い返す必要がないほどに、絡め捕ればいい。もう二度と飛び立てないように」

 それが獲物に対する当然の態度だとでもいうような、蜘蛛の言葉。
 絡め取られた、境内の巫女。
 今の霊夢は、まるで蜘蛛の糸に絡め捕られた獲物のよう。
 だが当の獲物たる霊夢は、たんたんとした口調で、蜘蛛に向けてこう言った。

「まぁ、今のところは必要ないわね」
「なぜかしら?」
「そう言ってくれる暇人がいて、その相手で精一杯だからよ」
「……」

 その一言は、完全に紫のスキマを突き。
 霊夢の涼しい瞳と口元は、反撃の隙を与えなかった。

「……あなた、いつからそんなに裏をとるようになったのかしら。搦め手?」

 怪訝で慌てたような表情を浮かべる紫。
 けれど、これが本当の動揺なのかどうかは疑わしい。
 先ほどの誘いですらそうだ。蜘蛛の搦め手は、様々に伸びているのだから。

「さあ? 裏を盗っていかれないようにしたから、じゃないかしらね」

 そんな紫の実態を、おそらく、幻想郷で最も知る霊夢ではある。
 そうして裏をとるのも、たまにはあってよいのではないかと想う。

「寂しいわねぇ」
「寂しくないわよ。だから、ね」

 一人と一妖の些細で危険な戯れは、獲物の勝利で幕を閉じた。
 夕暮れの神社の一時は、曖昧な人妖の境界ですぎてゆく。
 ここに残るのは、関係性を認めた者たちだけ。



 ∽∽∽



 ――そう。

 ここからは、夜の時間。
 未だにお互いを認めていない、魔法使いの憩いの時間だ。



 ∽∽∽



「一緒に、お風呂へ入ってくれないかしら」
「……」

 ごとん、と魔理沙の足下で大きい音がする。
 想わず、手入れをしていたミニ八卦炉を落っことしてしまったからだ。

「ちょ、なにしてんのよ!?」
「あ、ああ。悪い、思わず手が……って」

 悪いのは私なのか? え、今の犯人は私? むしろ誰が主犯かって考えることなのか?
 魔理沙の脳内には、追及すべきであり追求したくない、今の発言への疑問が渦を巻いている。

「……お、温度は最適だぜ?」

 言ってしまった言葉は、自爆である。

「そう。家のお風呂の調子が悪くてね。突然で、申し訳ないけれど」
「いやいやいや、持ちつ持たれつだぜ」

 あははと苦笑いする魔理沙を、アリスは少しばかりじっと見つめる。

「な、なんだ? じっと見つめて」
「疲れている? それとも、迷惑かしら? なんだか、よそよそしいから」
「お、お前に言われたくはないぜ……?」

 想わず、魔理沙はそう皮肉を言ってしまう。
 都会派を自称し、魔理沙を野魔法使いと言いのける彼女。
 そんな彼女が、まさか自分の家の風呂を貸してくれとは。
 魔理沙にしてみれば、青天の霹靂のようなもの。予測することなど不可能だ。
 だからこそ、冷静にアリスを観察してしまう魔理沙がいる。

「……言いたいことはわかるけれど、そんなに見つめないでくれるかしら」

 見つめているのはどっちだぜ、と更に皮肉を重ねようかと想ったが止めた。
 これ以上こじれてしまうのも、なんとはなしに魔理沙は恐れたからだ。

「まあ、かまわんぜ。好きな時間に入ってくれ」
「……話、聞いてた?」
「ん?」

 なにか自分はおかしな態度をしていただろうか、と魔理沙は自問しながらアリスの言葉を待つ。
 そしてアリスは、変わらぬ表情で、最初の言葉をもう一度告げた。

「『一緒』に、入ってくれないかしら。そう、言ったのよ」
「……」

 人間、気にしたくない部分は無意識にスルーするものだ。
 そして二度目にそれを追求されれば、今度は逃げられないものなのである。



 自宅の露天風呂に歩み出れば、満点の星が輝いている。
 こんな光景を眺めながら憩いの時間に浸るのが、魔理沙にとって至福の時間だった。
 いつもならば。
 ただし、今日は少しばかり事情が違う。

「……綺麗な肌ね」
「なにを見てる」
「別に。ちょっとした感想よ」

 絡みつくようなアリスの視線は、裸体になっても変わることがない。

「は、恥ずかしいほくろなんてないし、お尻はもう青くないぜ?」
「そんな恥ずかしい自己申告はいらないわ」

 もうちょっと女の子らしい振る舞いをしなさいよ、とおまけを付けて突っ込まれた。

「というかだな、なんで一緒に入る必要があるんだ」
「……たまには、女の子同士の付き合いっていうのもいいかと想って」

 あまりの不自然すぎる答えに、逆に魔理沙はどう返すべきか思い悩む。
 思い当たる節はあるが、追求するにはソースが少ない。
 温泉に身をつけながら、一人と一妖は曖昧な距離で牽制しながら時を過ごす。
 お互いに、己が考えに思考を沈めながら。

「……ここは推測と違う。ここは、変わらない……」

 だから、そんなふうに小声で呟くアリスを、魔理沙が気づくことはなかった。



 ほてった身体に意識をゆだねながら、湯上がりの魔理沙はぽつりと呟いた。

「……さっぱりしたような、からみつくような、だぜ」
「長湯だったけれど、逆に当たったのかしら」

 ――誰のせいだと想ってる、誰のせいだと。

 内心で毒づく魔理沙だったが、当のアリスは涼しい顔で着替えている。
 細い四肢に、透き通るような白い肌。
 生気の薄さが、逆に生命の鼓動を強く抱かせる。
 その身体から生まれる繊細な動きは、少女特有の純粋さに満ちている。
 まるで人形のような、概念としての少女が現れたかのような、美しい身体。
 改めて見つめたアリスの身体に、魔理沙はゴクリと息をのんだ。
 その、あまりの美しさと素晴らしさに。
 そんな、精巧な人形の顔がゆっくりと動き。
 硝子のような瞳が、魔理沙の視線を訝しむ。

「――なにかしら?」
「い、いや。なんでもないぜ」

 アリスの滑らかな身体や仕草を、自然に眼で追ってしまう。
 他人をおかしいと言いながら、そんな自分も、どうかと想う。
 あまり、相手のことは言えないのかもしれない。
 最近、ため息が増えた気がする。かといって、抑える術も思いつかない。
 しかたがないので手早く服を着て、アリスを連れて客室に戻った。
 すると、暖かな湯気を立てる紅茶が、魔理沙達を待つように置かれていた。
 家主たる魔理沙だが、こんな準備はしていない。

「家宅侵入は訴えられても仕方ないぜ?」

 紅茶の側に控える人形にそう語りながら、頭を撫でてやる。納得出来るのだから、驚く必要もない。
 アリスはなにも言わず、椅子に座った。魔理沙も同様に、向かいの椅子につく。
 湯上がりの穏やかな時間が、紅茶の匂いに囲まれて過ぎてゆく。
 交わす言葉は少なく、けれど、普段よりもどこか気安い優しさに満ちていて。
 そんな愛しい時間は、気づかぬうちにすっと過ぎ去り消えてしまう。
 暖まった身体が、外気とのバランスを取り始めた頃合い。
 一回りほどした時計を見て、アリスは椅子から立ち上がる。

「ありがとう。これで研究に精が出せるわ」
「それはなによりだ」

 そんな愛しく緩やかな時間が終わることを、魔理沙は残念に想う
 なぜなら、それこそが、魔理沙の一番よく知るアリスの姿であったからだ。
 名残惜しみながら、玄関先までアリスを見送る。
 別れの言葉を二、三と交わした後、ふいにアリスが振り向いて言った。

「しばらく、会えないと想うわ。それじゃ」
「おう」

 頷いて、アリスが飛びたって、玄関を閉めて。
 思考が回り始めて、数秒後。

「……おぅ?」

 脳がようやく、アリスの残した言葉の意味を理解して。
 ひどい困惑顔と、不安な胸中を、魔理沙は抱くことになったのだった。



 ∽∽∽



「――はぁ」

 肩が落ちるほどのため息をついて、魔理沙はぼうっと空を眺めていた。
 絡み付くような視線で眺められ続けた、不思議な日々。
 どうにも居心地に戸惑う日常がすぎると、原因であるアリスは、まるで姿を現さなくなった。
 今度は接触を避けるかのように、独りきりで家にこもり始めた……らしい。
 らしいという推測も、訪ねてきてくれないし、また姿も見かけないから、そう結論するしかないということ。
 神社、図書館、人里、香霖堂。
 アリスが訪ねそうな場所には、魔理沙も少し足を運んだ。
 ひょっこり出くわすようなら、偶然で済ませることができるからだ。
 そんなふうにたまたま出会って、それとなく微笑んで、会話して、その流れの中で……

 ――奇遇ね。少し、お茶でも飲みましょうか?

「……いやいやいや」

 自分の妄想に、想わず否定の言葉を漏らす。
 ……恥ずかしい。一人きりなのに、あまりの甘い想像に、自責する。
 ただ、妄想は自分の意思だけで、なかなか止むものではない。
 細く優しい唇で、魔理沙を誘う、アリスの声。
 死ぬほど恥ずかしいが、そんな一瞬を妄想したりする。頭をよぎる。
 そして、自問する。
 なぜ、そんな考えを悶々とし続けなければいけないのか。

「……そうだ、なんで私が悶々しなきゃいけないんだぜ?」

 事の発端は、自分ではない。
 優柔不断で不思議にたゆたう、アリスの挙動がいけないのだ。
 それに惑わされて、悩んで、戸惑って、悶々として。
 頭の中に、今までの光景が――マイナスイメージを持って――繰り返されてゆく。
 生み出される苛立ちが、ある一定値を越えた時。

「――よし、だぜ」

 力強く、魔理沙の右手は飛行用の箒を手にする。
 真っ直ぐに、迷いを振り切った瞳を空へと向けながら。

「弾幕はパワーだ。ブレインは苦手だぜ」

 原因がわかっているのなら、対処するに限る。
 人間の時間は短いのだ。
 ならば、やるべきことは一つ。
 気分がすっきりしない原因。
 それらを解消するために、魔理沙は空へと向けて上昇した。
 同じ魔法の森に住む、別の魔法使いの家へと向けて。



 見慣れた風景が近づけば近づくほど、魔理沙の緊張感は少しずつ高まってゆく。
 とはいえ、勝手知ったる他人の家。
 アリスの家に、気づかれず近づくこと。それは、魔理沙にとって序の口といえる。
 しかし、油断は出来ない。
 魔力結界に探知されない防御結界を張りながら、ゆっくりとアリス邸の庭へと足を踏み入れる。
 ――人形の襲来や、魔力弾の砲撃は、ない。
 額にかいた汗をぬぐいながら、ゆっくりと自宅のほうへと足を滑らせる。
 壁面へ沿うように身体を動かして、はたと止まる。

「……っと、そうだったな」

 呟いて、壁に触れようとしていた指先を慌てて戻す。
 魔法使いによっては、自宅に本人同様の感度を持たせる者もいる。
 そこまで防備に気を使っているのか、アリスに聞いたことはない。だが、魔理沙へ教えはしないだろう。
 ただ、アリスがそういう性格であろう可能性は考慮すべきだった。
 指先や足先に関知防止の魔力をかけながら、壁際を進んでゆく。
 そうしてゆっくりと進みながら、ようやくのことで魔理沙は、はたと自問する。

(な、なんで正面進入しないんだぜ?)

 我が事ながら、なぜ始めに侵入行動をしているのかに疑問がわく。
 正面切って問いただしにきたのに、この体たらくはなんだ。
 自分に対して叱咤する。弾幕はパワーだと言っていたのは、どこの魔法使いだと。
 かといって、なぜか、アリスと真っ向から向かい合う気力はわいてこない。
 パワーよりも、ブレイン。
 魔理沙の頭のなかは、今、言葉にならない思惑で困惑しているのだ。

(……まずは情報収集、作戦行動の基本だぜ)

 想わず浮かんだその考えにうんうんと頷いて、魔理沙は気分を切り替えた。
 納得出来れば、隠密行動はお手の物。外出先の一部には、そうして忍び込んでいるところもあるくらいだ。
 ――ただの生活習慣か? と自身に疑問を投げながら、魔理沙は窓ガラスから内部を盗み見る。
 そして、二、三の窓を渡り見て――彼女は、そこにいた。

「……こうして見ると、新鮮だな」

 あんなに細い指先だったのか。
 関心が妙なところに向くのは、妙な方向に向き始めた自分の考えを治めるためだ。
 魔理沙の見つめる先。
 そこに並ぶのは、種々の人形達。
 人形遣いたるアリスにとって、最も身近な親愛の道具達。
 自身もまるで人形のようなその指先で、アリスはその人形の一部に触れていた。

(……?)

 魔理沙の眼が、怪訝で細くなる。
 アリスの触れた人形に、気になるものを感じたからだ。
 ――どこかで見知った、形の人形だった。
 右手と左手、別々に一体ずつ。アリスの手のなかで寄り添いあう、二体の人形。
 一体は、黒い鍔広帽の金髪人形。黒いエプロンドレスが、とてもよく似合っている。
 魔理沙にとって、どうしてそこにそんな人形があるのかわからない――自分そっくりの、魔法の人形。
 もう一体は、ショートカットの金髪人形。どこか少女趣味な衣装と大人びた顔立ちが、アンバランスな魅力をかもしだしている。
 その人形もまた、とてもとても見覚えがある。というか、今その人形を仕立てている張本人にそっくりだった。
 魔理沙を模した人形と、遣い手たるアリスを模した人形。
 ――これのためだったのか? 魔理沙は胸中で問いかける。
 ここ最近のアリスの視線、その意味がようやく魔理沙にはわかりかけてきた。
 資料や記憶を補強するには、実物に触れるのが一番だ。
 魔理沙にも覚えがある。参考にするなら、知識よりも実際の弾幕の方が良い。おそらくは、そういうこと。
 ただし――次のアリスの行動は、魔理沙にとって不可解きわまるものだった。

「――っ!?」

 想わず上げそうになる声を、必死で押し殺す。
 だが、胸の内の驚きのほうは止む気配がない。
 ――抱きかかえていた。人形が人形を。
 魔理沙似の人形が、どこか熱っぽく見える態度で。
 アリス似の人形を、やわらかく抱いていたのだ。

「……」

 ずるり、と壁に背中を滑らせて、地面へと腰を落とす。
 混乱した頭の中で、数日前のアリスの返答が脳裏に閃く。

 『面白いことじゃないわ。ただ、友人関係を見直してるだけよ』

 友人関係の見直し。その言葉が魔理沙の想像力をたいそう刺激する。

(ま、まさかのまさかなのか……?)

 昼中の、絡み付くような視線。
 裸の柔肌を、愛しむように撫でてきた手つき。
 眼の前で着々と形作られている、あまりにもリアルな自分の人形。
 それは、人形の研究といったものなどではなく――

(い、いや。アリスにかぎってそんな……)

 苦笑しながら、しかしここ幻想郷でそういった事例が珍しくないことを思い出す。
 力を持った妖怪や人間は貴重種だ。そうなれば、異種間の親しみも少なくない。
 力のある者ほど、性の区別など気にしなくなってくる。
 いつか重ならなくなる時間を、僅かでも重ね合わせることに熱心になるからだ。
 魔理沙も、何度かそういった関係を人妖の友人達で見たことがある。また、噂に聞いたことも少なからずあった。
 だが、聞きはするが、我が身にふりかかったことはない。
 もしくは、気づいたことがないのかもしれない。
 そう、考える可能性があることに、始めて気づく。

(……おいおい、だぜ……?)

 つまり……霧雨魔理沙は、恋する乙女の怪しい行動力というものに、始めてここで気づいたのだとも言える。
 恋の魔砲使いの名どおり、ぶつけるのには慣れている。
 が、叩きつけられるのは苦手なのかもしれなかった。

「……だが……」

 ぽつりと、呟く。
 苛立ちと、不可解さの入り混じった、複雑な表情で。
 真意を見せない、想い人に対して。

「わからん、わからないぜ……!」

 アリスの胸中を測りかねて、魔理沙はようやく、なぜここに来たのを想い出す。
 そう、そのわからない『なにか』を形にするために、魔理沙はこの場所へとやってきたのだ。
 同じ魔法使いとして、なのに、さっぱり理解出来ない隣人の真意を問いただすために。
 きゅっ、と帽子のツバを指でこする。
 自分のトレードマークに証をつけて、いざ、向かうは目的地。
 気持ちが決まれば、ならば、やることは一つだけ――
 意を決して立ち上がり、窓を勢いよく開け放った。

「動くと撃つ!」
「……!?」
「いや、撃つと動く……だ」
「……ま、りさ?」

 正面突破、強行突破。
 魔理沙にとっては平常のこと、別段驚くことでもない。
 ただ、異なるのは、その様子だ。

「ちょ、ちょっと……どうしたの?」

 真剣な眼差し、思い詰めた表情、赤らめた頬、なにかを耐えているような唇。
 アリスにも――アリスだからこそ――今の魔理沙が、いつもの魔理沙と様子が違うことに詳細に気づく。
 少なくとも、気安い友人の家に押しかける少女の態度では、決してない。

「……ひ、久しぶりだな」

 震える言葉で、いつものような言葉をかける。
 魔理沙も魔理沙で、現在の自分の異常を少しずつ自覚している。
 そして、アリスならばその異常に容易に気づくであろう事も察せられた。
 ライバルであり、友人であり、厄介者である、そんな関係だからこそ。
 お互いにお互いが、常の状態とは異なる今に、敏感になっているのだ。

 ――そしてここから先は、お互いが触れあう時間。
 ――先へ進むための、決断の時。

 ……心臓が、高鳴って止まらない。
 ……落ち着け、落ち着くんだぜ。

 そう念じながら心臓を抑え、魔理沙は気を落ち着ける。
 胸が緊張で、はりさけそうだ。
 いつもどおりに、アリスの家へ侵入しただけだというのに。

「そ、その……だぜ!?」

 皮肉の一つでも言おうとして、けれど、まともに言えない。
 告げようとしていた言葉すら、うまく頭に浮かんでこない。
 もどかしい気持ち。不安。

「魔理沙? いったい、どうしたのよ」

 疑問を浮かべるアリスに対して、告げるべきだと想っていた言葉が、うまく出てこない。
 『なにか』を問いかける言葉が、うまく出てこない。
 次第……気持ちのどこかが、なぜか、焦った。

「わ、私は、お前のこと、嫌いじゃない。けどな……」

 なぜか、そんな言葉が口をついて出る。
 アリスが本当に、そうしたことを考えているという証拠もないのに。
 魔理沙はただ、自分が今、言える言葉だけを、形にする。

「パ、パチュリーと小悪魔だとか、レミリアと咲夜だとか、慧音と妹紅だとか、ほらあれだそれでこれでだな……」

 それっぽい嫌疑のかかる仲良し組の名前をとりあえず連呼するが、肝心の言葉となると、引っかかって上手く出てこない。
 惚けたように佇むアリスの様子が、魔理沙の心に苛立ちを積んでゆく。
 なんで気づかないんだ、と。
 なんでそんな表情なんだ、と。
 自分が理不尽に望んでいることを知りながら、魔理沙は想わずにいられない。

 ――さもしい一人遊びだな、なんて、言わせるんじゃないぜ――

「……だから、そういうことなんだよ!」
「どういうことよ!?」

 まったく形に出来ない魔理沙の態度に、至極まっとうなアリスの返答が跳ね返る。
 そのおかげか、魔理沙の気が少しだけ抜かれる。
 緊張と興奮がやや治まって、冷静に相手のことを見つめられるようになって。

「いや、だから……」

 らしくもない、弱気な言葉。

「ねえ、魔理沙。ほんとに大丈夫……?」

 不安げな顔を見せるアリスに、魔理沙は瞳をそらす。
 曖昧な態度が彼女を不安にさせていることに、魔理沙自身も不安になる。
 ――嫌われるのだろうか、などという些細な怖さ。

「……そんなに、いっぱい人形並べて」

 不安の中で継いだのは、自分らしい皮肉。

「そんなに、友達ごっこがしたかったのか?」

 素直でないうえに、他人へ向けるには配慮のない言葉。
 魔理沙の心の中で、じわっとなにかが広がる。
 アリスの瞳が、直視できない。

「……そう見える?」

 冷静に受け答えるアリス。
 だが、アリスの表情はいつも冷静だ。
 そして、今日のアリスは、魔理沙にはとても能面で冷めた瞳に見える。
 心のどこかが冷えて悲しくなるのを感じながら、魔理沙は口を開く。
 心の中の動揺を隠すためには、そうするしかなかった。

「ああ、見えるぜ。自分が幸せだって、誰かに伝えたがっているみたいにな」
「……少なくとも、この人形の使い道は、慰めではないわね」
「そ、そうか」

 つまるところ、シュミレーションか。実戦を想定した模擬戦か。
 むしろ襲われる側の魔理沙のほうが、対処法に関して遅れているのかもしれない。
 なんということか。
 涼しい顔の人形遣い、その胸の奥には、どんな感情が渦を巻いているのだろう。
 想像すら、魔理沙には恐ろしくてできない。

「霊夢に、魔理沙。パチュリーに、わたし。それに小悪魔、レミリア、それと……まあ、いいわ」
「そ、そんなにか?」

 造りあげられ、呼びあげられたた人形たちは、比較的アリスに近しい者たちの名前だ。
 自分以外にも、アリスはその周辺に近づいていったというのだろうか。

(……むぅ)

 つまりはお友達リストか。言い換えれば、襲撃リストの一覧か。
 にしてはひどく多い気もしたが、混乱した魔理沙の思考はそちらには動かない。
 なぜか心にわきあがるのは、人形が『自分だけ』でないという点。
 不快ではない。だが、心地よくもない。
 なぜか、裏切られたような気分でもある。
 どうしてなのかは、魔理沙にもわからないのだが。
 だから、魔理沙は待つ。
 アリスが語る、言葉の終着点を。

「ところで、魔理沙」
「な、なんだ?」
「どうしてこの人形に、わたしが入っているのだと思う?」
「……シ、シミュレーションか?」

 上手く言葉に出来ない内心を、的の得ない回答として口にしてしまう。

「間違っては、いないかもね」

 アリスの回答は、頷きだった。
 曖昧な言葉は、どうとでも意味がとれる。
 魔理沙は驚きもしなければ、喜びもしない。なにも、まだ感じるべき時ではない。
 アリスの言葉を待つ。シミュレーションと受けとった、アリスの言葉の意味を。

「幻想郷に来てから、けっこう経つから」
「だから、はっきりさせようと想ったのか?」
「そうよ」
「そうか」

 きっぱりと頷いたアリスへ、想わず魔理沙は口走った。
 まだ深い回答を聞いていないのに、だけれど、もう、内心が勝手に破裂した。
 もし、もし、それが自分の望まない回答だったとしたら――。
 そう考えたら、口が開くことを止められなかった。

「なら私も言うぜ、アリス」

 力のままに、パワーのままに、少しだけ普通のテンションを振り切って。

「お前と、そんなふうな関係になる気は――!」

 ――胸中に浮かんでいた、たった一言の否定の言葉。

(……あれ?)

 だが、魔理沙の口から、それが形になることはなかった。
 驚いたのは、言葉を投げつけられているアリスだけではない。
 言葉を発している当人の魔理沙にも、それは驚くべき事だった。

(な、なんで口ごもってるんだぜ?)

 自分自身への疑問の言葉。
 アリスとは、今以上の見直しを図るつもりはない。友人以上、『なにか』未満。
 だけれど、そんな簡単なことで、なぜか口ごもる。
 つまりそれは、そうは望んでいないという証でも、ある。

(――あれ?)

 はたと、魔理沙の胸でナニカがするりと落ちる。
 そして、言葉にならなかった思惑が、一つの形へと朧気ながら収束する。

(――い、いやいやいや、だぜ!?)

 否定したい。ありえない。
 ――けれど、心の中で、全てを捨て切れないのはなぜなのか?
 魔理沙が驚いたのは、実のところ、アリスがそうした感情を自分に持っていたことではないのかもしれない。
 ――その逆があることに、自分が気づけていなかったこと。
 それに、驚いているのかもしれない。

「ああ、ああ、いやいやいや……そんなはずはない、そんなはずは!」
「……だから、ね」

 ――そして、その言葉が告げられたのは。

「お母さんに、教えておきたいと思ったのよ」

 ――魔理沙が、自分の想いに困惑している最中だった。

「……へ?」

 想わず、魔理沙は間抜けな声を出してしまう。
 お母さん。
 場違いがすぎないか、その言葉は。なぜ、ここであの神様の事が出てくるのだろう。
 魔理沙は、そんなことを脳裏で考えてしまう。
 そして一瞬の後、なんて恐ろしいことを考えているんだ、と考え直す。
 親元が出てくるなんて、聞いていないし、考えてもいなかった。
 慌てた魔理沙は、自分の言葉の前に、その事態を抑えることが必要だと考え直した。

「い、いや、アリス。いくらなんでも強制連行は力づくで拒否するぜ? 主に火力的な意味で」
「さっきからなにを勘違いしているのか、わかりたくないから言っておくけど」

 怪訝な表情を浮かべながら、アリスは周りの人形を指し示しながら言った。

「これ、全部プレゼントよ」
「プレゼント、だって?」
「そうよ。……お母さんへの、プレゼント」

 アリスのその言葉に、魔理沙のなかでなにかががくりと折れて。

「……はぁ?」

 盛大に内心の感情の渦巻きが治まった後、魔理沙が吐き出せたのはそんな一言だけだった。



 客間に紅茶の香りが広がる。
 テーブルについているのは、魔理沙とアリスの二人。
 温かな紅茶の香りを楽しみながら、アリスは魔理沙を見つめる。
 皮肉げな物言いとともに。

「……人形を造ったくらいで誤解されていたら、たまらないわ」
「いや、される原因を作ったのはお前だがな」

 それだけは確信を持っていえる魔理沙であり、また思い当たる節のあるアリス。
 確かに、ここしばらくは人形制作に熱を置きすぎていた感はあった。
 いざ研究となれば、そちらのほうに熱と意識をかたむけてしまう。他人のことは、度外視してしまうのだ。
 魔法使いという種族、そしてアリス特有の性格でもある。
 そんなアリスの自省的な部分を知っている魔理沙は、あまりそこには深入りしない。
 だから、話題をプレゼントの内容へと変える。

「母に贈るなら、花って手段が妥当だろ?」
「王道ね」

 魔理沙の質問に、アリスは当然と言ったばかりの返答をする。
 けれど、とアリスは自身の言葉に反論した。

「魔法使いが花を贈るだけじゃ、あまりにも芸がないわ。自分の技術をなんらかの形で見せたい、そう思ってるの」
「ああ、なるほどな」

 魔理沙にも、そんな想いをした覚えがある。
 だからこそ、まだなにも贈る気にはなれないし、かといって贈らずにいる気もない。

「それに、あんた達が以前、魔界で大暴れした時があったでしょ」
「あー?」

 そういえば、確かにそんなこともあった。
 魔界への入り口が開き、けっこう大勢で魔界旅行に繰り出したことがあった。
 アリスと出会ったのも、確かその時だったはずだ。
 魔理沙はいぶかしむ。
 母への花と、殴りこみ。その二つに、いったいなんの関係があるのかと。

「あれ以来、お母さんちょっと花がトラウマになっちゃったみたいなのよ」
「花がトラウマ? それはまたどうし」

 て、と言いかけたところで、

 ――あら、まだ生きてたの。随分と大きくなっちゃってねぇ――

 と、脳裏によぎる影が一つ。

「……あー……」

 魔理沙は、その理由に思い当たった。
 同時に、アリスの表情がやや険しいものとなる。

「花を操って、お母さんと喧嘩したのがいたでしょ。傘をくるくる回して、なにを考えてるのかわからないような妖怪だったわ。……今はなにをしているのか、知らないけれど」

 春の事件の時に意気揚々と暴れていたフラワーマスターの姿が、魔理沙の脳裏で跳ね回る。
 アリスが幽香に対してあまり良い感情を持っていないことは、短い言葉の物言いから窺(うかが)えた。

「そうだな。今頃は、花見でもしてるんじゃないのか。季節柄的に」
「……のんきなものね」

 はぐらかして答える魔理沙に、アリスはやれやれと言った感じで呟いた。
 確かにあののんきさなら、季節柄のことにはうるさそうな気がする。主に花に関することだけ。

「はぁ……それにしても、驚いて損したぜ。賠償してくれ」

 幽香のことから話をそらすように、魔理沙はそんな吐息をつく。
 少なくとも、自分が心配していたほどに事態が深刻でないことに安心したからだ。
 ――いったいなにが深刻だったのか、考えたくなかったわけでもあるが。

「勝手に騒いで驚いて、なに言ってるのよ」

 不満顔をしたアリスがそう呟くが、受け止める魔理沙の顔は安心に満ちている。
 そんな安心顔の魔理沙へ、アリスは少々のイタズラを仕掛ける。

「――じゃあ、二人で報告に行きましょうか。わたしの、故郷へ」
「弾幕しにな。了解したぜ」

 魔界の神の顔を思い浮かべながら、魔理沙は弾幕ごっこの想像を楽しむ。
 その一瞬を、アリスは見逃さなかった。

「そう。じゃあ……」
「お?」
「さっきの答えは、その時まで保留にしておくわね」
「……!」

 ゆでだこのように燃え上がる魔理沙の表情を見て、アリスはしてやったりの笑みを浮かべた。

「お、お、おま……!」

 真っ赤な顔でしどろもどろになる魔理沙を、アリスはかすかに微笑みながら見つめている。
 ――アリスは、魔理沙の話に気づいていないわけではない。
 むしろ、そういった会話や雰囲気になることを、慎重に慎重に、避けていたのだから。

 ――限界があったのは、魔理沙だけではなく。
 ――また、知らぬうちに踏み越えていたのも、アリスだけではなく。
 ――曖昧な距離感で、ごまかそうとしていたのに。
 ――その答えが二人で重なった時、そこに見える風景は、きっと変わってしまう。
 ――期待と不安が入り混じる、その一瞬が、とても愛しく恐ろしくて。

 魔理沙とアリスは、お互いにそれを知りながらも。

「……答えなんてないぜ、あいにくと」
「……そうね、ないほうがいいかもね。後がないしね」

 魔理沙が素直でない返答をすることを知っていたからこそ、寂しさと安心で、アリスはかすかに微笑むことが出来る。
 そんな皮肉と誤魔化しで、二人だけの憩いを過ごすことができる。
 素直になれないライバルとしての、安心出来る一時を。

 けれども。
 そんな魔法使い同士の、踏み込みきれない愛しさも。
 いつか、抱きしめることが出来るのだろうか。

「……けど、まぁ、考えておくぜ。色々とな」
「ええ。そうね……」

 ティーカップから香る匂いが、その場の空気を支配して。
 微笑みながら、愛しさの中で時を過ごす。

 今は、ただ、それだけで――。



 ∽∽∽∽∽∽∽∽∽



 ――想い人の瞳に映るのは、魔法に溺れた可憐な乙女。
 ――鏡の魔法をかけあいながら、素直になれない少女達。
 ――魔法の森に住んでいる、不思議な不思議な、魔法使いの恋人達。