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■   I love...?   ■

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 かちん、かちんと音がする。
 扉の向こうから聞こえるかすかな音。

(――なんの音だ?)

 霧雨魔理沙にはそれがなんの音であるか、まるで見当が付かなかった。
 自分の家には、自動的に音のなるものは極力置かないようにしている。
 騒がしいのは、他人と関わるときだけでいいというのが彼女のポリシーだからだ。
 読んでいた本を閉じて、椅子から立ち上がる。
 机の上に本を放って、魔理沙は自室のドアを開けて音の方向に足を向けた。
 時計の音か。だが、それにしては不規則すぎる。
 また、魔理沙は家のなかに、音が鳴る時計を置いた記憶がない。
 なにより機械式時計の刻む音と、今耳に聞こえてくる音はあまりにも違いすぎる。
 似ている音を探すなら、鐘の音。人間の里で時刻を知らせる、鐘の音に似ている気がしなくもない。
 だが、あまりにもか細い音に、時間を知らせる力はなさそうな気がした。
 寝室から少し歩いて、止まる。
 音の出所は、客室からのようだった。
 普通の人間では聴きとれない細い音だが、自家の監視に余念がない魔法使いには些細なことでしかない。管理はしないが。
 魔理沙の困惑は、ますます深まる。
 どうしてこんな場所から、不可解な音が流れてくるのだろうか。
 ドアを開けて、中に入る。
 昼間、アリスが訪れたときのままにしてある。
 客間のテーブルには、冷えた紅茶と散乱した菓子が放置されていた。
 音が大きくなり、耳に聞こえる方向へと眼を向ける。
 かちん、かちんと音が鳴っている。
 そこには、その音を鳴らしている原因がいるはずだ。
 ゆっくり近づいて、視線を向ける。
 ……合点がいった。ため息に似た安息の吐息を魔理沙はもらす。
 ティーカップとスプーン。二つの触れ合う音で、それは魔理沙を呼んでいたようだ。
 涙目で見上げる人形に、魔理沙は微笑みを返した。

「ごめんな、ちょっと研究に没頭しすぎていたみたいだ」

 手を差し出そうとしたが、思い直して人差し指だけを伸ばす。
 やわらかい感触が魔理沙の指を包む。人形の作り主に似た金髪の感触がくすぐったい。



 ――事の起こりは一つの呼び鈴だった。



 徹夜で解読していた古文書を枕代わりにして、魔理沙が安眠をむさぼっていたときだった。
 耳に鳴り響くように、家主を呼ぶための呼び鈴が鳴らされたのは。
 呼び鈴の音に眼を覚まして、あくびを一つ。
 あくびをすませ、寝ていた状態そのままでなんの手入れもせず玄関に向かう。
 ドアを開けてみれば、同じ森に住む人形使いの姿がそこにあった。
 アリスは魔理沙の姿を見て、うげっとした表情を浮かべた後、すぐさま不満げな口調でこう言った。

「ちょっと、あんたも女の子でしょ。そんな顔で人前に出てこないでよ、恥ずかしいじゃない」

 アリスは魔理沙のためを思っていっているのだが、寝ぼけた頭の魔理沙にはそんな配慮は浮かばない。

「いいじゃないか、徹夜明けなんだ。こんな早朝に尋ねてくるお前が悪いんだぜ」
「早朝ですって? 今はもうお昼過ぎよ」

 アリスの表情が不満から呆れに変化する。
 そんなアリスの前で、魔理沙はあくびをもう一つ。

「ああ、悪い。陽があるから、朝かと想った」
「……そんなんじゃ、誰も来なくなるわよ」
「アリスが来るじゃないか」

 そんなセリフをあくび混じりに呟く魔理沙は、本当に厄介な相手だとアリスは想う。
 あまりにも図太く隙だらけで、なのに憎めない。
 ……ただ、そういう相手だからこそ、の用件でもあった。

「入っていいかしら?」
「拒否する力は残ってないぜ。厄介なやつだな」
「お邪魔するわね」

 魔理沙のからかいを無視して、魔理沙の家へと足を踏み入れる。

「入るなら、そうだな……客間にしてくれ。入って左」
「わかったわ」

 だらしない身だしなみも、つまり、誰彼と気にしないわけではない。
 アリスだからこそ、客間にならいいという意味でもある。
 客間の席に着いたアリスを置いて、魔理沙は少し席を外す。

「お待たせ、だぜ」

 多少だが、髪と服装をセットして再び室内に戻る。
 その両手には、ティーカップと菓子が乗ったトレイ。
 お互いの手前にカップと菓子を置いて、少しばかり息をつく。
 魔理沙にとって、朝一番の飲み物が喉にしみこんでゆく。

「……早速、本題で悪いのだけれど」

 カップを置いて、アリスが切り出す。

「この子を数日、預かってほしいのよ」

 アリスからそう切り出されたのは、魔理沙が口にしたクッキーを割ると同時だった。

「……この子ってのは、人形のことか?」
「ええ。あなたの家で、この子の面倒を見て欲しいの」

 どことなくアリスを思わせる、金髪の髪と青い衣装。
 異なるのは、造り手よりも穏やかで優しい瞳をしているように見えることか。
 ただ、それは魔理沙だけにそう見えるのかもしれないが。

「監視される覚えはないぜ?」
「そうねぇ、そういう手も考えなくはなかったけど、そうじゃないわ」
「だな、清廉潔白な私にそんな必要はないもんな」
「心配しないで、その場合は無言のままでアンタにまとわりつかせるから」
「ひどいぜ」
「それで、この子なんだけれど」

 人形の髪を、アリスの細い指先が梳く。
 ふっと、魔理沙の心中で胸が高鳴る。

(……ん?)

 ただ、その鼓動を考えるより早く、アリスからの言葉が耳に入る。

「知ってのとおり、わたしの『自立』人形の研究を行っているわ」
「ああ、知ってるぜ。年がら年中、自分みたいな他人とにらめっこしてるよな」
「自分から生まれでる行動法則には、ある程度の限界があるわ。限界、もしくは、個性ね」
「弾幕の傾向みたいなもんか?」
「そうね。わたし個人から生まれる人形のパターンは、おのずと少なくなってゆくわ」
「それで、なんでわたしにこんな話が振られているのかさっぱりなんだが」

 得心がいかない魔理沙に、アリスはにやりと微笑んだ。
 こここそが、今回のメインイベントでもあるかのように。

「この子に、魔力の『自生』機能を付けてみたの」
「ほう?」

 興味をひかれた様子で、魔理沙の顔つきが少し変わる。
 魔法使いたるもの、他人の研究成果は興味深いものだ。

「時限式ってやつか? それとも、私の八卦炉のように自発的に貯めこむほうか?」
「どちらかといえば、時間限定ね。自発的な力は備わっていないはずよ」
「期間限定のご旅行か。なかなか厳しい主様だぜ」
「目的地まで連れてきたのだから、厳しくもないと想うけれど」
「引き受けるとは言ってないぜ?」
「拒否するとも聞いてないわ」

 ふう、とため息をついて魔理沙は苦笑する。
 少なくとも、嫌がっている表情ではない。

「少なくとも、借りに行くだけじゃ割に合わないぜ?」
「代わりに罠を外しておいてあげるわ。一割二割」
「だから会わないぜ?」
「アンタの瞳は、そう言ってないみたいだけれど?」
「だから、そう言っちゃ割に合わないんだ。わかるか?」
「わかるのは、アンタがなにを欲しているかという事ね。やってくれるかしら?」

 アリスの頼み事など、めったにない。
 そして魔理沙は、そうした異変が嫌いではない。

「ああ、まかせろ。しっかり世話してやるぜ」
「しっかりしなくていいわ。いつものあなたがいいのよ」
「褒めるなよ、照れるぜ」
「お手本にならないから頼んでいるのよ、わかる?」
「頼む態度じゃないぜ、それ」
「そうよ、だからお願いするの。じゃあ、よろしくね」
「あ、おい……」

 そうしてアリスは、さっさと魔理沙の家から引き上げてしまった。
 自分がいては研究の妨げになる、そういう意味なのだろうと知ってはいたが。

「一杯くらい飲んでから、帰れってんだよなぁ……」

 飲みのこしたティーカップを見ながら、魔理沙はそう呟いた。



 ――それが、わずか数時間前のこと。
 そして研究に戻った魔理沙は、人形のことをすっかり忘れてしまっていたのだ。

「やれやれ、それにしても……メンドクサイご主人様だな?」

 吐息をついて人形に愚痴る。
 こちらに向ける笑顔が、妙に人なつこい。
 指先でちょいちょいと、その柔らかな表面をなでる。
 気持ちよさそうに瞳をゆるませる人形に、魔理沙の瞳も自然とゆるむ。

「……なんかお前、かわいいな」

 変化はそれなりに必要だ。特に、新しい発想はそうして生まれる。
 魔理沙はこの人形との生活から、なにかが生まれることを期待した。

 ――それから、数日が過ぎて。

 期待して、それは叶った。
 魔理沙にとっても、アリスにとっても。
 『自生』する人形は、一人と一妖の予想を上回る効果を上げたのだ。
 そうして、その結果を一番始めに思い知らされたのが、アリスだった。



 ばたん! とドアが叩きつけられて開かれる音と共に、声が響いた。

「アリスッ!」
「――!?」

 クールを装うアリスの表情にも、さすがに驚きの色が浮かぶ。

「ど、どうしたの魔理沙? そんな顔して」

 どこか思い詰めたような魔理沙の表情。

「悪かったな、アリス。今まで私は、お前のことを誤解していたようだ」
「なんのことよ」
「引きこもりだのなんだの、人形に対するお前のスタンスを誤解していたみたいだ。謝るぜ」
「へえ。あなたからそんな言葉が出るなんて、明日は雪でも降りそうね」
「……ずっと一緒にいたいと、思っちまったんだ」

 どくん、とアリスのなかでなにかが高鳴る。
 どうして、胸の鼓動が止まらない?
 アリスは自問する。わたしに同性愛の趣味はない。
 だが魔理沙は同姓から見ても、確かに魅力的な面を多く持っていた。
 そういう目線で魔理沙を眺めたことは――眺めていたらこんなに混乱はしない――今まで一度だってなかった。
 言葉をつむげずに頬を染めるアリスに。

「だから……恥ずかしいけど」

 口を結んで、耳をそばだて。
 アリスは真剣に、魔理沙の言葉へと意識をかたむける。
 そして魔理沙はすうっと息を吸い、アリスに向けて口を開いた。
 顔には至福の笑みを浮かべて、心底から喜ばしそうな口調で。



「好きなんだ。お前の人形が」



 そう、告げた。

「……」

 うん。
 驚くことではない、とアリスは冷静に思考をめぐらせた。
 古今東西、人形の虜になった男女の数は数限りないほど存在する。
 ピグマリオン・コンプレックスなんて言葉もあるくらいだ。
 理想の異性像を自身で作り上げる、アリスにとっては理解できる話だ。
 そう、それは珍しいことではないのだ。
 ただ、霧雨魔理沙が乙女チックに顔を赤らめながら、人形への愛を語ることに問題があるのだ。
 むしろあえて言うなら、なにかしらこのシチュエーション?

(これは、悪い夢かしら)

 比較的穏やかに、ゆっくりとした思考で眼の前の白黒を見つめる。
 いつもどおりの白黒ドレス、その身に合わぬ大きな黒帽子、黙っていれば人並み以上な可愛い容姿。
 間違いなく、間違いであれとも想うが、眼の前にいるのはアリスのよく知る霧雨 魔理沙だ。

「……ふぅ」

 脂汗が出てきたのはなぜか、とアリスは自身に問う。
 アリスも人形を扱う身、他者と比しても人形を愛する気持ちに負けない自身はある。
 同時に、人形を大切にしたい者の気持ちもある程度は理解できる。
 で、そんなアリスの見立てでは――今の魔理沙は、間違いなくクロだ。ガチである。

「ああ、あの指の柔らかさ……すりよってくるか弱い姿……ああ……」

 だが、目の前の白黒が人形愛に堕ちた理由がまったく理解できなかった。
 まるで未知との遭遇だ。この世はほとんどが未知の存在だ。そのなかでも特別クラス認定の、なにかだ。
 目の前の白黒は、アリスの知っていた魔法使いとは別人のようだった。
 物体Xならぬ、物体M。そうした存在に魔理沙は変貌してしまったのだろうか。
 ぼんやりと自我が遠のいていたアリスを無視して、眼前の魔法使いの様子に変化はない。むしろ、ひどくなっている。
 物体Mに寄生された魔理沙は、人形への愛を高らかに誇らしく演説し続けていた。

「今まで気づかなかった……いや、あえて避けていたのかもしれない。気づいてしまうことの恐ろしさに」

 ぐぐぐ、と握り締めた拳が力強い。おもにアリスの気分を落ち込ませるためにしか役に立っていない力強さだが。

「だけどもう、眼を逸らすことは出来ない」
「ふーん」

 気のない相槌を打つアリス。

「つまり私にとって人形は、この上なく愛しい存在だったんだよ!」
「ふーん。ほーん。ほへーん。はーん」

 気がないどころか、ちょっと壊れた。
 ――いえいえいえ。頭を少しばかり振って、昇天しそうな意識を必死に抑える。
 いや待ってここでわたしが壊れたら誰が魔理沙を救うというの!? と無理に自分を奮い立たせてアリスは自我崩壊を抑える。

「ふぅ……うん」

 深呼吸と共に平静を取り戻す。冷静さは勝利の鍵だ。なにに勝てばいいのかはわからないが。

「……で、えぇと?」

 しかし、だからこそ今の惨状がありありとアリスを襲うこととなる。
 しみじみと正面を見れば、頬を染める可憐な女の子。
 永夜異変の際に私をかばってくれた時は、同姓ながらときめいたりするほどだった。
 同姓から見ても心ときめくほどカッコよかった霧雨魔理沙が、今は恋する普通の女の子のようだ。
 相手はともかくおいておいて。

(恋は女を変えるとは言うけれど……)

 人間の少女は恋をすれば変わるという。
 かつては人間であり、今では妖怪となってしまったアリスには、この感覚がいまいちわからない。
 人間であった頃、激しく胸が恋しくなる情動に出会ったのは、一度だけ。
 それが、今も研究し続けている、人形への想いだ。
 今の魔理沙も、だから、アリスと同類になったのだと想えば、理解はできるのかもしれない。
 だが、だがである。

(仮にも、魔理沙よ?)

 その対象が魔理沙である、ということがアリスの理解を妨げていた。
 今までにも何度か、人間の少女が恋に浮かれて、別人のように振舞うのを見たことはある。
 が、目の前の黒白にその定義を当てはめることがどうしてもできない。
 まあ、だからといってアリスは人形愛そのものを否定する気があるわけではない。
 むしろ彼女も人形を愛している側の人間だ。否定されるほうが、よほどつらい。
 だが、アリスには真剣な瞳で「人形と一生を共にする」などと言う気にはなれない。
 言えば他人から理解を得られると思うような、勝ち目のないギャンブルには興味がない。
 アリスは、クールさを失うほど人形へ陶酔しているわけではない。
 渇望はあれども、だからこそ、冷静だ。
 あくまで自分にとっての人形は、子供のような愛らしさと、研究のための協力者だ。
 断じて、断じて――

「ほら見てくれよ、私に紅茶を入れてくれたぜ? かわいいなぁ」

 ――目の前の人間のような、溺れましたーっていう感情では決してない。

 魔理沙がすっかり懐いた自分の人形を見ながら、アリスは考える。
 これはあれね? わたしがいけないのね? 魔理沙を篭絡するほどの魔性の人形を作ったわたしがいけないのね?
 自分の腕に恐ろしさを感じる。
 自律人形の腕ではなく、他人を篭絡して陥れる他律人形の腕が上がっていたなんて。
 落ち着いてアリス。
 自律人形が作れないのなら、他律人形がうまくなるのは当たり前だわ。
 そもそもそれは相互に関連しあうもの。
 研究に必要なのは完全調和、パーフェクトハーモニー。
 あらゆるものが組み合わさって、初めてある美しい完成形が見られるの。
 恋の魔砲だかなんだかをぶっ放して天の道を生きてるような自己中の相手に合わせたら、その時点で負けが確定するわ。
 いえそもそもパーフェクトハーモニーとか天道とかどうでもよくないかしら?
 そもそもなんの話だったっけ?
 最後にそう思い始めた時に、ようやくアリスは思考が空転しているのを自覚した。

「アリス、お前の指は綺麗だな」

 ふっと現実に戻って目の前の人間を見れば、目つきが怪しいなぁとアリスは思う。
 どことなく息が荒い気がするが、疲れているんだろう。主にわたしが。ああ疲れたなぁ。なんでかしら?
 いや疲れているのか? 疲れているのは別のものなのではないか? 疲れているとは、なあに?

「ありがとう魔理沙、わたしの指はとても疲れているわ」
「まるで、このアリス人形みたいだ。ほんとにそっくりで、綺麗だぜ」
「……今のあなたにわたしはどう見えているのかしら。大変興味がありすぎて、問いただしたいところだわ。突くわよ?」

 偽物のほうが可愛いじゃないか、と言われて嬉しい女の子なんていない。
 ましてや、自身に似せて作りあげられた、理想の人形なら尚更だ。
 それは、人形が褒められるのが嫌なのではなく、自身という媒介を無視されているのが、気に入らないのだ。

「そう、このアリス人形。素晴らしい出来映えだ。思わず頬ずりしてしまいそうだぜ」

 話を受け答えずに、手近なアリス人形へと熱っぽい視線を向ける魔理沙。
 その視線に想わず、アリスの背筋がぞくりと震える。
 クールで真摯な魔理沙にはとてつもなく不釣り合いな、そう、言うなれば年頃のお嬢さんすぎる目つき。

「あなたの目の前に、オリジナルがいるんだけど?」

 皮肉じみた笑みとともに放たれたアリスの言葉。
 人形に負けるのは、嫌ではない。が、今回だけは譲れない。
 なにせ対象は、自分を模した人形だ。本物が模倣に負けるわけにはいかないのだ。
 対峙するアリスに対して、魔理沙が浮かべた表情。
 それは――哀れみの表情だった。

「アリス……本物も偽物もない。嫉妬は醜いぜ」

 相手の弱さを受け入れ、真摯に言葉をかける、純粋な瞳。
 そう、それはまさしく、疲れ切った他者に向けられる聖者の優しさだった。

(……あぁ?)

 らしくないと想いながらも、アリスは内心で呆れの怒声を発してしまった。
 抑えて抑えて抑えて、声にすることだけは抑える。
 ――今の内心を言葉にすれば、アリス・マーガトロイドというイメージすら崩壊しかねない。
 それだけは、許せない。認められない。
 外部に出なければ、パブリックイメージには抵触しない。それが最後の抵抗だ。
 プライド。それだけがアリスの心を支えていた。
 つまりアリスは、もう色々と限界気味の部分もあった。嫉妬では決してない。

「ほら人形のアリスはこんなにもスベスベだ」
「アンタわかってやってるでしょ!?」

 聖者の心はやっぱり人形に傾いていた。で、想わずキレた。
 そう、それだけのこと。それだけのことなのに――

「――だから、アリス。お前はそんなにも、オリジナルなんだぜ?」
「いやなにが言いたいんだアンタは」

 人形に魅入られた魔理沙の言うことは、つまり人形中心に世界が回っていると言うことだ。
 例え眼の前にその人形のモデルがいようとも、魔理沙にとってそれは人形の素体でしかない。
 人形の基礎として使われた、人間の身体。決して、人形の存在が後付けされるものではない。
 人形が先にあり、人間が後にあるのだ。結論ありき、推論は後回し。
 話すには、最も厄介な相手だと言える。
 しかしそれでも諦めないのが、悲しいことに、アリスという人形遣いでもあった。

「いい、魔理沙? その人形のスベスベの肌も、締まったウエストも、シャープな脚も、全てこのわたし、このアリス・マーガトロイドから生まれたものなのよ? ドゥー・ユー・アンダスタン?」
「? をいっぱい使うとバカに見えるな」
「誰がそんなことを聞いているのよ!」
「おぉ、怖い怖い。しかめ面にならないお前は、かわいいな」
「……うぅ」

 魔理沙が撫でているアリス人形の穏やかな表情を見て、アリスはわずかばかり苦悶の声を上げる。
 そこにはあるのは、確かに自分の顔。怒りや不満で顔を歪めていない、穏やかで優しい自分の顔なのだ。
 ちらり、と横目で鏡に映る自分を見る。
 近寄った眉間と、なにかをこらえる口元。心なしか、肌の皺も全体的に多い気がする。
 魔理沙が誉めているのは、笑っているわたしなのか。それとも、人形として理想化されたわたしなのか。
 アリスは混乱する。

「……ねぇ、魔理沙」
「なんだ?」
「もし、もしよ……その人形みたいにわたしが笑えば、あなたはわたしを選んでくれる?」

 するりと漏れ出た言葉。
 冷静に考えれば、恐ろしく気恥ずかしく、とても平素ならば言葉に出来ないようなものだ。
 それが出来た。出来てしまった。
 待ち望む。魔理沙の答えを、待ち望む。

「……アリス、お前は知ってるはずだぜ」
「?」
「食事とデザートが、別腹だということをな」
「どうせデザートがわたしでしょ!? って、言ってて虚しいわよ!」

 食事は無いと生きていけないが、デザートはなくとも死にはしない。非常である。
 はははははは、と笑う魔理沙の顔が恐ろしく小憎らしい。
 そして、「出て行け!」と力説できない自分が、また情けない。
 こうなった原因は自分にある、という自責の念がそうさせてもいる。
 ため息をついて、平静を取り戻そうと努力する。
 危機に必要なのは、対応力だ。そのためには、今の現実をよく観察する必要がある。
 観察する必要があるのか、という疑問はねじ伏せておく。

(……意外っちゃ、意外なのよねぇ)

 霧雨 魔理沙は『普通』を自称する魔法使いである。
 だからこそ、アリスは魔理沙に問いたい。『人形愛』は『普通』と同義であるか? と。
 そんな問いかけが無意味であることなど、アリスには百も承知だ。
 術者の魔法は、常にオリジナル。魔法使いの全てがそう自身を義務づけているわけではないが、ある程度はそれに添っている。
 研鑽や研究を行い独自の理論を組み立てることにこそ、自身の存在意義も兼ねているからだ。
 おそらく魔理沙も承知している。
 ただ、である。
 対象に没頭して恋い焦がれるような状態は、少なくとも『普通』ではない。
 眼の前で悦楽に浸り、人形達に愛しの視線を送る魔理沙の姿。
 それは、決して『普通』の人間でもなく、魔理沙らしくもない。

(――誰だコイツ?)

 そこでアリスは、はたとひらめいて――いや、気づいたのだ。
 そうだ、眼の前の魔理沙はたぶん魔理沙ではないのだ。
 なんだ悩むほどのことではなかった、そうだ偽物だ、そうだそう言うことに――

(――いやいやいや)

 強烈にわき起こる投げ捨ての衝動をなんとか抑え、よこしまな考えを振り払おうとする。

(そう、あれは偽物じゃないわ。たぶん、魔理沙そっくりの人形なのよ。本物本物)

 あんまり好転してもいなかった。ちなみに瞳はとても真剣なものだった。
 しかし心中のアリスは、とても友達想いの優しいイイ子ちゃんモードに入っていた。
 ――ここで魔理沙を見捨てたら、誰が彼女を救うというの?
 そんな想いが、アリスの心根をなんとか崩壊から助けていた。崩れだした余波で精神はこぼれていたが。

(人形、そうよ人形なのよ)

 あれしかしそれならおかしいわね、とアリスは考える。
 この屋敷にいる人形ならば、その全てがアリスの魔力の下に動かなければ行けない存在のはずなのだ。
 今はまだ、アリスは完全な『自立』『人形』を制作できていないのだから。

(――っ!!!)

 天啓。
 アリスの脳に天からの伝言が響き渡る。悪魔のささやきかもしれないが。

(あれ、そういえばわたしは彼女の心がわからないわ。もちろん魔力なんか提供してないし)

 そう、アリスは眼の前にいる魔理沙の心がわからないのである。
 アリスに使役されるはずであるの存在でしかない、魔理沙の形をしただけの人形。
 動作、思考、仕草、ふるまい。なに一つとして、アリスには意義付けも魔力付けも理解できない。
 断絶。絶海。絶壁。

 『自立』。

 アリスの脳裏に浮かんだのは、その単語。
 自分が求めて止まない、研究の最終目標。

「魔理沙、あなた――まさか、『自立』してくれちゃってるの!?」

 想わず素っ頓狂な声を上げてしまう。

「おう、自立してるぜ」
「――ななななななっ!?」

 素直な魔理沙の受け答えに歓喜の声を上げるアリス。
 その意味は、たぶんアリスが考えているような自立ではない。
 だが、魔理沙を人形だと思い込もうとしているアリスには、恐ろしい幸福の答えにしか聞こえない。

「魔理沙、あなたはラブリードールなのね!?」
「私はおまえに愛される気はさらさらないぜ、むしろこの子との逢瀬が私を誘っているんだ」

 人形が人形愛を語る? そんなことがあっていいのだろうか。
 しかしそれこそがまさしく、人形の人形による人形のための愛、そう考えることも出来る。

「魔理沙、あなたお人形?」
「脳味噌がいっぱいだぜ」
「オーケー、あなたはまだ人間ね」

 とりあえず人形に脳味噌を入れたことは、まだない。
 そんなグロテスクな『自立』『人形』も、いらない。

 ――落ちつきなさいアリス、そう明鏡止水の心よアリス。

 静めた心の波紋が、大いなる祝福をもたらしてくれる。魔界の神よ、我に力を。
 その時、アリスの髪が1本逆立ったように見えた。

「……そう、そうよ。魔理沙、あなたは人形が好きなのよね」

 魔理沙が愛しているのは、人形なのだ。
 そして、その返答を求めている。愛しているのならば、一方的な愛など、虚しいだけなのだから。
 魔理沙は恋の魔法を使う。なら、それくらいの常識は持ち合わせているはず。
 ならば――簡単なこと。人形に断らせればいい。

「魔理沙、あなた……本当に、その子に好かれているのかしら?」
「……なんだって?」

 ゆっくり、指先から魔力の糸を人形へとつなぐ。
 もちろん、魔理沙には気づかれないような極最小の動きで。

「その子も話したがっているわ」
「なんだって!?」
「ほら、お話しして」

 つないだ魔力の糸から、アリスは自身の意思を送り込む。
 力を持たされた人形は、魔理沙へと瞳を向けて、口を開いた。

「ワタシ、マリサ、キライダシー」

 で、あえてお馬鹿っぽい風味で喋らせてみる。
 その人形がたまたまアリス人形だったことは、まあ、目をつむる。それしかなかったのだ。

「ほら魔理沙、人形はあなたのことが嫌いだって。だからもう、夢を見るのはやめましょう?」
「……アリス、お前がそんな人でなしだとは思わなかったぜ」

 いや人じゃないし魔法使いだし、と言ったら泣かれた。なんでだ。

「そうして人形を操って、私の心も弄ぶのか。メディスンの気持ちがわかったぜ」
「あー、いや、その、人形はわたしの魔力なしには動かないんだけど」
「その糸が何よりの残虐さの証明だぜ」

 見抜かれていたのか。というか、冷静に想えば、今までも散々に見せてきたはずなのだが。
 つまり今までアンタが可愛いと言っていた人形のアクションは、全てアリスが造りあげてきたものなのだ。
 なのに、眼の前の白黒は「それはそれ、これはこれだぜ。愛情の行動と、虚偽の行動は違うんだぜ」なんて言い切った。
 共にアリスの組んだ術式であるはずなのに。

「思い込みって素晴らしいわね」
「愛だぜ」

 愛。愛か。
 アリスの胸中で、最後の力がむくむくと大きくなってゆく。
 失うものなどなにもない。
 埃となって塵となる。それはそれで見方によってはかっこいいのかもしれない。味方などいないが。
 残るは、捨て身の自己だけ。
 人形遣いとして今を生きる、アリス・マーガトロイドとしての自己だけだ。
 人形でもなく、人間でもなく、人形遣いとしての、アリス・マーガトロイド。
 この魂にかけて、アリスは再び奮い立つ。

「いい、魔理沙。こうしてわたしが人形に対しての魔力供給を停止すれば、この子達は首を巡らすことすらままならない。わたしの魔力で動いているのだから、仕方のないことね」

 操作しているのは、別に一部の人形だけではない。
 その全てが、アリスによって操られるだけの人形でしかない。
 自身の意思を持って『自立』し、アリスの力を介さずとも存在できる『人形』。
 それは未だに、アリスの胸の内にだけある理想の『人形』だ。
 魔理沙はもしかすると、自分の動かす人形を見て、その『人形』を胸のなかに抱いたのかもしれない。
 しかし、とアリスは想う。アリスだからこそ、そう想える。
 今はまだ、その『人形』はただの幻想にすぎないのだと。

「……だから、この子達はただの人の形をした道具でしかない」

 刺激の強すぎる話だ。残酷かとも思う。
 からくり人形を楽しむ子供に、内部の構造を事細かに説明するようなものだ。
 だが、今の魔理沙は見るに耐えない。
 アリス・マーガトロイドが認めた魔法使い、霧雨魔理沙として見ることは出来ない。
 ならば冷たい妖怪と見られても、現実を突きつけるべきだ。

「この子達は人形。わたしの手で作られ、わたしの魔力で動く作られし者たち。それ以上でもそれ以下でもないわ」
「……お前がいないと人形は動かないのか?」
「そうよ」

 俯けていた顔を上げた魔理沙は。

「じゃあお前もセットだアリス。人形と共に幸せな一時を、私にくれ!」
「話を聞け」

 もっとダメになっていた。
 つうか、自分の内心の推理は全く当たっていなかった。

「いい、魔理沙。よくないのよ、ええ、よくないわ! あえていっちゃえば、よくないわが輪になって踊ってるわ!」
「アリスの舌も回ってるな、輪になって踊れそうなほどだぜ」
「ダンス・ウィズ・ドールな感じね。ええそうよ、どうせわたしは人形としか踊れないダメな女よ!」
「安心しろアリス、私も今後はその領域を目指すぜ!」
「そういうことじゃないのよ、ええ、決してそういう意味じゃないはずなのよ!?」

 真剣な『人形』論を考えながら話していたのに、相手はただの人形狂いでした。
 そんなオチは勘弁だ、と想いながらもそんなオチしかない状況に、アリスの思考が歯止めを失って回り続ける。

「……わたしは人形遣い。だから、人形にはなれない」

 そこで。
 はたと。
 アリスは願望と妄想と諦観の入り交じる、一言を漏らした。

「だから簡単な事よ、魔理沙。アンタが人形になればいいの。とてもとても簡単な事よ」

 恐ろしいことをするりと。
 妖怪が放つには冗談でない語調で。
 アリス・マーガトロイドは、霧雨 魔理沙にそう呟いた。
 というか、もうヤケクソな発言でもあった。

「そうか。そういう手もあるか」
「ええ、そうよ。汝の敵を愛するには、いっそ汝の敵になっちゃえばいいのよ」
「また大胆な発言だな。というか敵じゃない。ラ・マンだぜ」
「愛人か」
「愛すべきものに本妻も側女もないぜ」
「本題なんかもはやどうでも良いから、そんな感じで愛してちょうだい」
「OKわかった、ありがとうアリス」

 ぐっと固く手を握り合う、人形にとりつかれた魔性の少女たち。
 一人は己が身を人形に捧げるために。
 もう一者は己の目的のためにその時間を人形へと捧げる。

「――わたしたち、どこで間違ったのかしらね?」
「迷うなよ、アリス。こうなることは、運命だったのさ」

 ……。

(――それは、違うわよ?)

 その一言をぐっとぐっとぐっと胸の内に押さえ込んで、アリスはにっこりと微笑んだ。

「それじゃあ、もういいかしら?」
「ああ、助かったぜ。じゃあまたな、アリス。最後に頼るべきは、お前だと想っていたんだ」
「心にさっき浮かんだ美辞麗句でも嬉しいわ、魔理沙」
「ああ、また都合が良くなったら来てやるぜ。じゃあな!」

 そうして軽快な笑顔で去ってゆく魔理沙を、アリスは手を振って見送った。
 白いハンカチを持ちながら。



 まぁ、これなら諦めるだろう。
 人間は妖怪にはなれても、人形にはなれはしない。
 なぜなら、それは自己の否定につながるからだ。
 人形は所詮、人間の外形。そこに人間としての意思や想いなどは存在しない。
 つまり、そんなものになれるはずがないのだ。
 人間としての自分を持ちながら、人間でないものへと。
 それは人間と同じ。人間から妖怪へと変化するのと同じ。
 人形と同等の、意思を持つ『人形』。
 毒の匂いでも、厄神の力でもない、『人形』が『人形』であるという意思。
 自身の意思を持ち、人形としての身体を持ち、なおかつそれ以外の不純物のない人形としての『人形』である。
 そんなものは、アリスの知る世界の何処にもいないのだ。

「……まったく、ねぇ」

 そんなことを考えて、アリスはため息をつく。
 今日の研究は、まったくはかどることがなさそうに想えたからだ。



 数日後、魔理沙はやせこけた病人の姿で発見された。
 たまたま魔理沙の家に立ち寄った霊夢が発見したものらしい。

「人形の気分になれば、なにも食べなくてもいいと思ってたぜ……」

 文々。新聞の見出しには、そんな一言が記されていた。
 もう人形愛は止めにするぜ、という弱気な発言と共に。

「……ふぅ」

 新聞をテーブルに投げ出し、空を見上げるアリスの表情は、どこか、とても疲れた顔をしていた。