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■   子守り盛り   ■

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 のそりと背筋を持ち上げる。
 ちりちりと焼け焦げる背中を感じる。
 錯覚だ。この部屋は密室。大敵である陽の光は、この部屋に一切入りこまない。
 彼女に降り注ぐのは、月の光。夜の主たる光を持つ、月光だけ。

「……けれど、なにねぇ?」

 降り注いでこないだけで、部屋の外は嫌になるほどの快晴である。
 吸血鬼たる彼女の瞳に、その光は大変に不愉快だ。

「……頭痛がするわ」

 それだけが原因ではないにしても。
 とにかく、レミリア・スカーレットはたいへんに不機嫌だった。


 ∽∽∽∽∽


 目覚めのティータイムが、喉に絡みつく。
 ぼうっとした頭に、わずかばかりの刺激が加わる。
 あまり心地のよいものではない。

「体調でも、お悪いのですか?」

 横からささやかれる、控えめな気遣いの言葉。
 不機嫌な主は、従者にぶっきらぼうな返答をする。
 それが成り立つからこその、主と従者でもある。

「原因は何だと思う、咲夜?」
「昼遊びが過ぎるからではないかと」

 率直な従者の物言い。
 不機嫌な主の物言いに動じず、むしろ切り返す。それも従者にとっては大切だ。
 そして主が言葉に詰まるのは、身に覚えがあるからだ。
 最近日焼け気味なのが、吸血鬼としていかがなものかと思っていたのもある。
 人間で言う夜遊びは、吸血鬼で言えば昼遊び。
 つまりそれは、レミリアがちょっとした火遊びに手を出しているということに他ならない。
 忠実な従者に、そう指摘されているわけだ。
 これがただのメイドや従者なら、聞き耳も持たずに嘲笑するところ。
 だが、相手は十六夜 咲夜なのだ。夜の王たるレミリア・スカーレットが重宝する、完璧なメイド長。
 間を空けて、深呼吸。
 気持ちを落ち着かせ、主らしく冷静に、従者へ言葉を返す

「上手いことを言うわね咲夜。つまり昼が過ぎれば夜となり、そこは私の住まう時間。そうね?」
「お嬢様の住まう時間は、そうなりますね」
「つまり、私は寝むることが出来ない身体へと変貌しているわけね。それは、つまり進化。一日のサイクルを越えた私の活動時間は、昼も夜も私のものにするためにある。そう、言いたいのよね?」
「……え〜と、それはですね……」

 咲夜が返答をいいあぐねていると、

「……環境の適応ができなくなってるだけじゃない?」

 ぱらり、と本をめくる音と同時に言葉が並ぶ。
 だが、レミリアは横合いから刺さる知識人のことは無視する。
 そんな、体調管理ができないお子ちゃまみたいな理由は、夜の王として認めるわけにはいかない。

「けれどね咲夜。昼に身体が慣れちゃった吸血鬼なんてお話にもならないわ。ましてやカリスマが急降下してもおかしくない」
「コメディと愛嬌の提供にことかかない話題ね、両方とも。昔からだけど」
「……あら、今日のパチェはずいぶんと積極的ね」

 親友の言葉は常にデンジャラスだ。
 レミリアはある人間の格言を思い出していた。
 「愛するものは殺してもいい」。
 なんて素敵な響きであろうか。

「ねえパチェ。昼に終身……就寝するのにいい手段を知らないから、一緒に添い寝してくれる? 主(おも)に愛しすぎる親友という意味で」
「主に親友としての関係を保つために拒否するわ。さて、レミィ」

 真剣な眼差しで読んでいた本をこちらに向けてくる。

「今、とっても偶然に読んでいた本に眠るに良い方法が何通りか書いてあったわ」

 つまりは親友の寝不足を知っていたうえでの発言であったのだろうか。
 レミリアはにやりと口元を上げる。三日月っぽい形がもっとも親愛なる友好の笑顔。

「さすがだわパチェ。横で苦しんでいる友人へ救済法を教えずに、黙々とその知識を蓄える。正しく、役に立たない知識人だわね」
「人間への愛のままに、昼へ身体が適応し始めた吸血鬼ほど素晴らしくはないわね」

 ひとしきり笑いあった後、二人は数日振りの弾幕ごっこを展開した。
 お互いになかなかの好調ではあったが、数分後には飽きたので席に戻ってきた。
 テーブルには、咲夜の入れた温かい紅茶がきちんと置かれていた。
 飲むと癒された。
 癒し系の空間が広がると、寝不足のために頭がぼーっとしてきた。
 おっとりとふらつく頭で、レミリアはパチュリーに問いかけた。

「で、なにかいい解消法を知らないかしらパチェ」
「今がそのチャンスっぽいけれど」
「意識を失うのは、まぁ、なくもないのよ。でも、気持ちよく眠りにつけるのは、ないのよね」
「そうね……これとかどうかしら」

 ゆっくりとさきほどの本をテーブルに広げて、レミリアと咲夜にその内容を見せる。
 そこには大量に、しかし個別に描かれた羊の絵の列。

「羊の数を数える、ですか。なるほど、基本ですけれど良いですね」
「……なに、それ?」

 感心したような咲夜の声に、レミリアのなにげない疑問が重なる。
 すっとぼけたようなその声に、咲夜もまたすっとぼけたような意外顔を見せる。

「お嬢様、ご存知ありませんか?」
「知らないから聞いているのよ」

 少しばかり不機嫌な声。
 そんなつもりで言ったのではなかったが、主の気分を害するのはメイドとしては失格だ。

「申し訳ありません」
「いいわよ、別に。で、なんなのよ、その……羊の数がなんちゃらっていうのは?」
「人間の間では、眠れないときに羊を数えるとよく眠れると言われているのです」
「なんで?」
「まずは念じ訴える事よ、レミィ」

 パチュリーがぱんぱんと手を叩いて疑い顔のレミリアをうながす。
 渋々といった感じで、レミリアは『Sheep』の単語を数え始めた。

「One『Sheep』、Two『Sheep』、Three『Sheep』……なんか間抜けじゃない?」
「点呼のようにも聞こえますわね」

 日頃から行っている、メイド長としての言葉が出る。
 逆に、その主たるレミリアにそんな習慣はない。

「いちいち名前を呼ぶなんてかったるいわ。つかれるだけでしょ?」
「わからないかしら、レミィ」
「もったいぶってないで、早く言いなさいよ」
「その『疲れる』という行為をすること、それが脳波にも影響を及ぼすこと、それが睡眠への第一歩」

 このタイミングだ、といった自信ありげな顔でパチュリーは自説の展開を始める。
 心なしか、いつもよりも背筋がしゃんとしている。

「つまり『Sheep』と数え続けることにより、精神的に脳を疲れさせるのがこの方法の目的なのよ!」

 関心したかのようにうなづく咲夜と、冷めた顔のレミリア。

「わたし、脳ないんだけど」

 脳波関係なかった。

「……そういう規格外な部分は置いておいて、精神的な部分が弱い妖怪には、このプランは有効だと想うわ」
「無視するわけ? この夜の王たるレミリア様を無視するわけね?」
「夜の王が眠れないなんて、どこかの三流ホストみたいよ? 夜の帝王が聞いて呆れるわ」

 うぐぅ、と息が詰まるレミリア。
 その歪んだ顔がなかなか見物だったと、彼女の忠実な従者たるメイド長は後に語った。

「まぁ眠れないっていうのも、ある意味、夜の帝王っぽいですよね」

 空気が読めない紅 美鈴は、パチュリーのエメラルドメガリスで軽い眠りにつくこととなった。
 睡眠過剰もよろしくない。

「『Sheep』なんて気どってるねぇ。あいつら、『羊』でいいじゃない」
「だめよ。あくまで『Sheep(羊)』で数えるの」
「どうして?」
「『sleep(眠り)』に似てるでしょ。それが脳に安堵効果をもたらすのよ」
「いや、だから脳ないんだけど」
「……身体が落ち着くのよ。そう、身体が。だから普通に『Sheep』を言っていればいいの。たぶん」

 与える知識は眠気を誘う。知識人の本領発揮だ。
 ただしそれでも眠気に至らないのが今のレミリアである。寝不足で不機嫌で、眠気より苛立ちの方が勝っている。

「羊を刈り殺せばいいわけね」
「いえレミィ、刈るのは言葉よ。羊じゃなくて『Sheep』だわ」
「わかったわ、パチェ。わたしの脳に刻みつけるわ、緑の大地に倒れ伏す羊の群れを!」
「その意気よレミィ!」

 親指を立ててレミリアにエールを送るパチュリーは、彼女に脳味噌がないことなどすでに忘却していた。
 どうせレミリア自体が脳を気にしてないのだから、わたしが気にしても仕方がない。そうパチュリーは考えていた。
 メイド長たる咲夜も同じ思いだったのかどうか知らないが、パチュリーと同じように彼女は黙したままだった。
 ただ、にこにこしていた。
 『Sheep』『Sheep』『Sheep』と連呼しながら天井を仰ぐ、怪しい主の奇行を見ながら。


 ∽∽∽∽∽


 ぽっと布団に潜り込む。
 日光がさんさんと頂点に上る、絶好のスリーピング・タイムだ。

「ふふ、今日こそは昼間に完全な睡眠をしてみせるわ……!」

 天井の上にそびえるであろう太陽にそう宣言し、レミリアは瞳を閉じた。
 同時、パチュリーに教えられた安眠法を実行する。

「One『Sheep』、Two『Sheep』、Three『Sheep』、……」

 レミリアの頭に羊がたまっていく。
 なまじ脳がないから、幻想がすっと入ってクルクルと回っていく。メェメェ。

「Seventy-seven『Sheep』、Seventy-eight『Sheep』、Seventy-nine『Sheep』……?」

 しかし、メェメェが百を越えたころにレミリアの感情で変化が起こる。
 同期するように口調も変わる。

「One hundred and fifteen『Sheep』、……One hundred and si……『shit』!」

 違う言葉を口走ったその瞬間、レミリアはかっと眼を見開く。
 次いで天を仰ぎ、空に向かって絶叫する。

「たかが羊の分際で、このレミリア・スカーレットの脳内に繁殖するとは……!」

 幻覚が見え始めたようだ。
 実際、精神力を支えに存在する妖怪にとって、強力な精神暗示は逆効果をもたらす可能性がある。
 脳味噌がないレミリアなど、思い込みで脳の中身を詰めることすら可能だ。たぶん。
 おかげで今は羊がたくさんメリーさん状態だ。スキマはどこにも見あたらない。

「くっ、この、刈られろ! 全て刈りとって、永遠の眠りにつかせて毛布にしてやるわ!」

 幻覚の中の羊を求めて、右へ左へレミリアの手が空を舞う。
 神卸の儀式をする巫女のようである。ちなみにレミリアは吸血鬼である。
 呼んでいるのは羊である。

「全ては安眠のために! カット・ザ・シープ!」

 絶叫し、一閃。
 スピア・ザ・グングニルの紅い光が、レミリアの部屋の天井を大きく削りとった。

「……うぉあちゃぁぁぁぁぁ!!!???」

 降り注ぐ日光が、レミリアの肌をこんがりと刈りとった。

 メイド長はこの光景を見ていたが、なにも言わずに一部始終を見ていた。
 さすがに焼け焦がれてはまずいので、そこは傘を差しだした。
 瀟洒である。


 ∽∽∽∽∽


「こんにちはパチェ」
「その顔じゃ、また眠れなかったみたいね」
「やっぱり脳が必要かしら。睡眠欲を刺激されるために」
「血の巡りが悪そうだものね」
「そもそも血の巡りがないのよねぇ。頭に血が上るってどういう感覚なのかしら」
「いっそ外に求めたらどう? こう、赤い脳が空からガシャーンとはまるようなの」
「そうね、もしかしたら私の頭に脳がないのは操縦者を探しているからかもしれないわね」
「今は制御不能?」
「意外と。パチェ、乗ってみる? パチュリアー、オン! って感じで」
「それは寝不足になるわね。制御不能な部分が」
「暴れるのが役目なの。むしろ制御者は私以外認めない、みたいな?」
「だから、逆に眠れないのね」
「そうそう。私は私以外の介入を拒否する」
「魔人レミリアってところかしら」
「真・レミリアとかでコウモリ合体するのもいいかもね。制御不能どころか、単体で月にだって乗り込めそうな気がしてくるわ」
「いいことレミィ。昨日の理論は間違っていないわ」
「話の流れがまったく持ってつながっていないけれど、まあ失敗したという話だったはずなのよその屁理屈は」
「大まかな理論は間違っていないわ。けど、細かい部分で間違っていただけ」
「そうね、今度は自分を数えれば脳みそに私が繁殖してゆっくり眠れるはずなのよね」
「妖怪は精神によってなりたっているということは、レミィも知っているでしょ? だから――」

 ……。

 ずずぃ、とすすり音を漏らしながら、フランドール・スカーレットは口を開く。

「ねえ、咲夜」
「なんでしょう、フランドールお嬢さま」
「アレ、なに?」

 指差した先には、お互いにクマを作りながら怪しげな会話を繰り広げる、吸血鬼と魔女の姿が二つ。
 しかも、片方は姉だ。親族問題である。
 瀟洒なメイドは、瞬時に答えを返す。

「いつもの光景では?」
「いつもなの?」
「いつものことですわ」

 咲夜はそう言って、静かにフランドールのカップへ紅茶を注ぐ。
 ほどよい温もりに包まれた、香ばしい一時。
 咲夜の言葉に納得したフランドールは、そんなティータイムを味わうことにした。
 ――いつものことなら、関わらない方がいいわね。
 そんなことを考えながら。
 と、フランドールが悟ったからといって、吸血鬼と魔女の会話は止まったわけではない。

「いいことレミィ。眠りのメカニズムとしては、「単純作業を繰り返す」ことが大切なのよ」

 凄まじくいかがわしい理論だと思ったが、レミリアは聞くに任せる。
 どんな意見にも、なにかしらの含蓄はあるもの。
 それに、彼女はレミリアが認めた数少ない知人でもある。
 彼女が自分のためを想って言っているのは事実なのだから、その行動を抑える気にはなれなかった。
 つまりレミリアは、始めからパチュリーの話は「行動実行、理解半分」くらいの気分で受けているのである。
 友人とはいえそんなものだ。そんなものだから友人なのだとも言える。

「それに、この『羊』を数えるという考えは羊がいる地方のものなのよ。つまり、身近だから『羊』という媒体を使っただけのこと。重要なのは、身近な存在の名前を連呼することなのよ」

 気づいているのかいないのか、知識人の会話は更に怪しげな理論を紡いでゆく。
 そもそも昨日の理論と完全に矛盾する話を展開しているが、そんなことは些細な問題なのだ。
 大切なのは新しい理論を生み出すこと。カオス。それこそが新しい世界への扉を開く。
 必要なのは、レミリアが快適に眠れる方法を見つけ出すこと。過程などどうでもよいのだ。吸血鬼だし。
 なので、レミリアは適当に相づちを打つことにした。

「じゃあ『Sheep』じゃなくて『羊』って言えばいいのね?」
「そういうことじゃないというか、昨日と同じことを言うなというか、根本的に話を聞いてないわね?」

 昨日の会話が部分的に繰り返される。それではいけない。
 ふぅ、とパチュリーはため息を一つ吐く。
 理解を求めることが無駄だと理解したからだ。

「つまり、口ずさむ言葉は『羊』じゃなくてもいいということよ」

 単純明快に行動すべきことだけを伝える。
 それにはレミリアもすいと頷く。
 昨日と全く異なる結論だが、お互いにいい感じにできあがっているので、気にしない。
 まだるっこしいことに思考を使うのは、彼女の趣味ではない。今の状態なら尚更だ。

「へぇ。じゃあ、代わりになにを言えばいいのかしら」
「たとえば……」

 思案してパチュリーは、無感情に告げた。

「博麗神社の巫女とか」
「わかったわパチェさっそく実行してみるありがとう」

 振り向きざまに言葉を吐いたレミリアの背中を、パチュリーは無感動に見送った。

「……さっきまで布団に入っていたんじゃなかったかしら」

 博麗の巫女を思い浮かべたら、なお睡眠意欲を失うような気もするが。原因だし。

「……ふぅ、まぁ、でも……何事も、気晴らしね」

 そう呟いて、パチュリーはゆっくりと手近な椅子にもたれかかった。
 身体を預けた背中が、重く感じられる。
 喘息ではないにしろ、その身体はそう頑丈なわけではない。

(……眠れると、いいけれど)

 そう想いながら、パチュリーは少しばかり瞼を閉じた。


 ∽∽∽∽∽


 レミリアは気分良く布団の中へと潜り込んでいた。
 実際のところ、霊夢のことを考えないように彼女はしていたのだ。
 自分の心をどこか不安定に揺らす、紅白の巫女。
 今の自分の状態を造りだしている彼女のことを、レミリアはだからあえて思い出さないようにしていた。
 けれど、今日は違う。お墨付きがあるのだ。
 親友の、それも知識人という、とびっきりのお墨付きが。

「……♪」

 歌を口ずさむような心地で、レミリアはイメージをふくらませ始める。
 緑なす森のなか、神聖な社がそびえる場所で、空を見つめる不思議な巫女のことを。

「霊夢が一人、霊夢が二人、霊夢が三人……」

 境内を歩く霊夢、レミリアを確認する霊夢、振り向きざまの霊夢、明るく微笑む霊夢、霊夢霊夢霊夢……。

「……腋霊夢が三三人、涙眼霊夢が三四人、笑顔霊夢が三五人……」

 少しばかり顔が紅潮してきている。
 薄く曲がった口元に、だらしない目元。
 なんのために布団に入っているのかを忘れているような表情。
 息も、ちょっとばかり荒い。

「……膝小僧霊夢が一三五人、耳かき霊夢が一三六人、巫女巫女霊夢が一三七人……」

 妖怪の精神力は存在を規定する。
 人間の想像よりも遙かな精度で、レミリアの中の霊夢達は形作られていった。
 そう、まさに――本物の『霊夢』さながらの仕草まで。

「――霊夢!」

 レミリアが愛しく名前を叫んだ、その瞬間。

「――えっ?」

 全ての霊夢の顔が、変わった。

「――っ!?」

 紅魔館に館主の絶叫が響き渡ったのは、それからすぐのことだった。


 ∽∽∽∽∽


「お嬢様、いかが――!?」
「さ、さくやぁぁぁ!?」

 部屋に飛び込んできた咲夜に、レミリアは想わず飛びつく。
 何事かとレミリアの状態をうかがえば、全身には針と符があちらこちら。

「こ、これはいったい……?」
「ご、五百人の霊夢が、わたしに針とか符とかぁぁぁ……」

 咲夜は当惑しながらも、支離滅裂に叫ぶレミリアを抱きしめた。

「だ、大丈夫ですよお嬢様。ここは紅魔館、お嬢様の館です。」
「うん、うん……」

 どうやら、盗み置きしておいた霊夢の針や符を、幻覚の中で自身へと向けてしまったらしい。
 妖怪、特に吸血鬼の精神力の強さがそうさせたのだろう。
 しかし、今の怯えきったレミリアに、そうした吸血鬼の威厳はあまり感じられなかったが。
 だから、咲夜はその力に軽い驚きと畏怖を覚えながらも。

(……可愛い)

 などと、従者にあるまじき不埒なことを考えていた。


 ∽∽∽∽∽


「その様子だと、やっぱり失敗みたいね」
「やっぱりってなによやっぱりって!?」
「基礎を代えずに実行するには、難しいプランだと想ってはいたわね」
「それを勧めたの?」
「トライ・ザ・フューチャーよ、レミィ」

 大きく吐息をついて、手近な椅子へと背をかける。
 疲労は身体を覆っているが、今眠れば、逆に悪夢などが見られそうな疲れだ。

「考えを切り替えるのよ、レミィ」

 知識は溢れる、されど進まず。
 そうは言っても、受け答えるのも余の情け。

「どういうふうによ」
「あなたは寝れないんじゃない、寝ないのよ!」
「そうか!」

 頷いて納得しかけたレミリアに、すいと横から声が出る。

「お嬢様」
「なにかしら咲夜」
「寝ない子は育ちません」
「パチェ、却下」

 却下要請。
 しかしそれでめげないからこその知識人である。無駄知識は花盛り。
 と、新たな意見を広げようとした矢先。

「……そうですねぇ。つまらない本を読むとよく眠れると言いますね」
「却下」

 つまらない本にはつまらない面白さがあるのよ、そう言いはる図書館の主によって紅美鈴の案は却下された。
 ごほん、と改めて仕切り直そうとした時。

「日向ぼっこってよく寝むれるといいますよね」
「あなたは私を焼き殺したいのかしら?」

 小悪魔の言が正しかろうと、それをやったら色々と終わりだ。
 レミリアは多少の怒気を含ませた言葉で、小悪魔を怯ませる。

「……いいことレミィ、そう熱くなるから眠れなくなるのよ!」

 二度の邪魔で少しばかり苛立ちを増したパチュリーの言が飛ぶ。
 あまり説得力はない。

「……じゃあ、パチェ。他にどんな方法があるというのかしら?」

 親友として受け答えてやるのも、情けというのだろうか。
 そんなことをしみじみと考えるレミリアを、パチュリーはクマのできた瞳で見つめる。
 その表情をいぶかしむレミリアだったが、疑問を発する前にパチュリーの口が開いた。

「子守歌」
「……それはまた、スタンダードな手法ね」
「先生と呼びなさい」
「断固拒否する。それで、子ども扱いされるようで気に食わないことおびただしいプランなんだけど」

 パチュリーの言葉をお約束のようにスルーして、レミリアは不満を告げる。

「……誰が適任だと想う?」

 不満は告げるが、プランとしては悪くない。
 なら、その子守歌の相手を誰とするかだ。

「僭越ながら、お嬢様」
「咲夜?」
「よろしければ、わたしがその役目を」
「そんな、わたしでも……」

 美鈴が申し出ようとした時。

「……人間の社会に過ごした時間も、少なからずありますので」

 ささやく咲夜の顔を見た者は、想わず言葉を止めてしまった。
 その顔が、あまりにも寂しげで、触れてはいけないもののように見えたからだ。

「……そうね。なら、お願いするわ」
「はい」

 レミリアに頷き返した顔は、いつもの瀟洒なメイド長のものだった。


 ∽∽∽∽∽


 子守歌の効き目は、今までの中で一番あるように想えた。
 信頼できる者を側に従える、単純だが効果的な方法だった。
 それに、咲夜の歌う子守歌もまた、レミリアの好みにあった。
 心安らぐ時間。自発でないだけ、その力を使わないですむ。
 落ち着いた心持ち、安らぐ時間。
 それが、七分目ほどに達した時のことだった。

(……あれ?)

 突然、咲夜の声が部屋に響かなくなる。
 静寂だけが周囲を見たし、冷たい質感に満たされてゆく。
 いつもの自室ではあるが、今はこの冷たさが、どこか不安になる。
 ゆっくりと瞳を開き、背を起こす。

「どうして止めるのよ、さ……くや?」

 起き上がりざまに呼びかける。
 そして、そこには見慣れぬ光景が広がっていた。

「え……?」

 十六夜咲夜が、泣いていた。
 そこには、瀟洒なメイドの姿に似た、弱々しい人間の少女が一人いるだけ。

「ちょ、ちょっと?」

 慌てるのは、吸血鬼としてのレミリアの方。
 十六夜 咲夜のこんな顔を、レミリアは数えるほどしか見ていない。

「大丈夫なの!? どうしたのよ、いったい?」
「す、すみません……どうしてか、涙が止まらなくて……」

 遂には膝を崩れさせ、深い嗚咽の世界へと沈み込んでゆく。

(――えぇぇぇぇぇぇ!?)

 心の中でレミリアは絶叫をあげた。
 こういう時に呼ぶべきメイドを、レミリアは咲夜以外に知らなかったからだ。

 その後は、ちょっと大変なことになった。
 慌てて扉を開けてみれば、見慣れた通路が恐ろしい長さに伸びている。
 と想えば、咲夜を抱えて抜けるのが難しいほどに、縮小された曲がり角もあり。
 明らかに、咲夜自身の精神面が不安定になっている。その証拠だった。

(――だぁぁぁぁ、もうぅいぅ!!!)

 心の中でだけ絶叫をあげながら、レミリアは必死に看護室に向かったのだった。


 ∽∽∽∽∽


「従者が主に気をつかわせちゃダメでしょうが、まったく……」

 症状は特になく、感情が高揚しすぎたためにああなっただけ。そういう診断だった。
 ――昔のことでも、想いだしたのかしらね?
 安心ではあったが、ずっとついていないと不安で仕方なかった。
 おかげで、昨日もまた綺麗には眠れていない。
 ため息を一つ吐いて、しかし煮え切らない表情で廊下を歩く。
 元々の原因は、不規則な生活をした自分にあることを知っているからだ。

「……なんだか、アホらしくなってきたわ」

 そういえば、寝ないからなんだというのだろう。
 なにか困ったことでもあっただろうか。
 夜の王たる自分が、睡眠不足に陥ろうとも、それを補うだけの従者は充分に揃えているはずだった。

「……あれ?」

 その優秀な従者の半分ほどが、自分の問題解決に付き合わせて、半ば行動不能に陥っている。

「これじゃ、あべこべじゃないか」

 ため息と共に、どっと身体に疲れが押しよせてくる。
 その時レミリアは、吸血鬼らしからぬ軽いめまいを感じた。

「……あ〜、なるほどね」

 親友の言っていた言葉を思い出す。
 確かに心労は、妖怪にとって最も睡眠を欲する事態となるようだ。
 なら、伝えておかなければならない。
 そう教えてくれた親友に、この身体にくる疲労の結末を。


 ∽∽∽∽∽


 図書館の扉を開けて、姿を探すこと少し。
 本を探している途中なのか、通路の途中にパチュリーはいた。

「こんばんわパチェ」

 翼をたたみながら地上へ降り、声をかける。

「……その挨拶は、昼間によく眠れたからこそだと期待していいかしら」
「残念だけれど、まったくもって眠れなかったわ。精神的に安眠できないとかじゃなくて、肉体的に寝てないの」

 周囲が暗いせいか、パチュリーは本を持っていない。
 そのせいで、パチュリーの様子はよく見えない。
 だから、用件だけを伝えて、早く帰ろうかとも想った。
 勝手な考えだが、レミリア自信の疲れもようやく蓄積されてきたからだ。

「けれど、ようやく眠れそうよ。あなたのおかげね、パチェ」
「そう、それは……」

 そこまで呟いて。

「……」
「パチェ?」

 ぽて、と軽い音を立てて。
 図書館の魔女は、地に倒れた。

「……パチェ、お前もかぁぁぁ!!!」

 介抱と同時に、レミリアの絶叫が図書館に響いた。


 ∽∽∽∽∽


 目覚めたパチュリーが瞳に収めたのは、少しばかり疲れの見える親友の顔。

「小悪魔に聞いたわ」
「……あの子は」

 レミリアの発した一言で、パチュリーは事態の流れを把握した。

「わたしのためにあなたが倒れて、どうするのよ」

 横たわった親友へ対して、レミリアはあえてきつい口調をした。
 親友の身を傷つけるほどの知識など、レミリアは求めていないというのに。

「……あなたのために倒れたんじゃないわ。知的好奇心というやつからよ」

 親友のために、パチュリーがずれた返答をするのがわかっていたから。

「まぁ……あれだけ調べてあの程度の方法しか思いつかないんじゃ、知識人は怪しいわよね」
「有効な方法は常に使い古されているのよ、レミィ。違うようで、歴史も方法も繰り返されている」
「繰り返して失敗したでしょうが」

 ふふっ、と軽い笑い声を上げて。

「……?」

 レミリアは、パチェの布団へと倒れ込んだ。

「もう、だめ……さすがに、まいったわ……」

 最後に、親友が倒れるという事態になったのだ。
 精神面への、最後の打撃だった。

「……この子は、ほんとに……」

 ゆっくりと寝息を立て始めたレミリアの頭をなでて。
 パチュリーもまた、瞳を閉じた。


 ∽∽∽∽∽


「失態だったわ……はあ」

 ため息をつきながら、咲夜はレミリアのもとへ向かう。
 忙しく立ち回る小悪魔を呼び止め、レミリアの所在を聞く。
 するとパチュリーがちょっとした過労で倒れたため、その介抱をしていると返答された。
 空間を操作し、あっという間にパチュリーの私室へとたどり着く。

「……?」

 だが、その中から動く気配を感じ取れない。
 レミリアが起きているのなら、その気配はあるはずなのだが。
 ゆっくりと扉を開けて、なかを覗く。

「……」

 そのまま、さきほどよりもゆっくり、パチュリーの私室のドアを閉める。

(そういえば……幸せな一時であることが、睡眠に良いという話もあったわね)

 仲良くベッドで抱きあう二つの影。
 その影が幸せなことを確かめて、咲夜は静かにその場を後にした。