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■   見ているのは- knowledge -   ■

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 知識を手に入れ、それを操り、現実の問題を改善する。
 書を読んだり経験をつんだりすることは、自身を向上させるためだ。
 だが、知識は吸収した本人を取り込むことがある。
 過去の経験に、未来が捕らわれることもある。
 パチュリー・ノーレッジは取り込まれ、また捕らわれていた。
 それほどに、本日の一冊は極上だった。
 過去も未来もない。今こそ読破の快楽を味わうとき。
 薄く火が灯る早朝の図書館で時間を忘れ、彼女はひとりページをめくっていた。

「お身体に障りますよ」

 ふっと。
 静寂を破る声。

「もう少しよ、小悪魔。もう少しで終わるから」
「とてもそうは見えませんわ」
「……咲夜?」
「はい」

 小悪魔の姿ではなく、紅魔館のメイド長である十六夜咲夜の姿がパチュリーの視界にあった。
 咲夜は静かな足取りで、図書館の入り口からパチュリーのところに歩いてきた。

「どうしたの。こんな時間に」

 咲夜が図書館を訪れることは、まれではない。
 パチュリーに対しての配慮、小悪魔への仕事依頼などがあるからだ。

「書物を借りようかと思ったのです。以前借りたものは、読み終えてしまいまして」

 かといって、咲夜がそうした仕事一辺倒の用事で訪れる人間かといえば、そうではない。
 むしろ、かなりの読書家である節がある。
 自身の能力に対しての探求か、そういった書物を読んでいることもパチュリーは知っていた。
 が、それに関して話したことはない。話せないからこそ、書を求めるのだから。

「明日にすればいいのに」

 彼女が早朝に訪れるのは珍しいことだった。
 多忙なメイド長という立場から、規則正しい生活をできるだけ崩さないのも咲夜なりの健康法だったはずなのだが。

「仕事の後でしょう。あなたのほうが、よほど身体に触るわよ」
「眼がさえてしまいまして。お気遣いありがとうございます。でも、失礼ながらわたしはパチュリーさまよりは健康ですので」
「……昔は、あなたのほうがモヤシだったのにねぇ」

 紅魔館に来た当時の咲夜を思い出す。
 レミリアが連れてきた、時間を操る能力を持つ人間。
 だが、彼女はとても非力だった。
 人間としては異端でも、特殊であるのはその能力だけだったからだ。
 本質的な基礎能力が違う紅魔館の住人のなかに、彼女は放り込まれた。
 彼女は――妖怪や魔女の住まう館で己の力を磨き、今日の地位まで生き延びた。
 パチュリーはふりかえりながら、過去と現在の咲夜が別人のように感じられた。

「……人間は、変わるものね」
「それが良い方向であれば、よいのですが」

 苦笑しながら、失礼と言い残して咲夜は本棚へ向かう。

「なにを読む気なの」
「そうですね……。これなんか、どうでしょう。

 咲夜が呟いたタイトルは『冷たい方程式』というものだった。
 パチュリーは苦笑する。

「方程式に冷たいも熱いもないでしょうにね」

 咲夜はなにも言わず、口元に微笑を浮かべて本探しに戻った。
 パチュリーもまた、自身の手元へと視線を落とした。
 本を探す咲夜と、本に眼を通すパチュリー。
 ゆっくりと。
 二人の間に、静かな時が流れる。
 ぱらり、と本をめくる音。
 シュッ、と本をしまう音。
 ふっと、口を開けたのは。

「レミィはもう寝たの?」

 パチュリーだった。

「はい。もう就寝されました」
「そうでなければ、ここにあなたが来ることもないわね」

 咲夜は常にレミリアの側にひかえている。

「そういえば……お嬢様は昔から、御本はあまり読まれなかったのですか?」

 レミリアの側にひかえながら、咲夜は主(あるじ)がほとんど書籍に眼を通さないこと
を思い出した。

「会う以前のことは知らないけれど、そうかもね。わたしから又聞きするほうが多いかもしれない。読んでも娯楽本の類みたい」

 レミィらしいと言えばレミィらしい、パチュリーの言葉に咲夜はあることを思い出す。

「そういえば、パチュリーさま。お嬢様に妙なことを吹き込むことを自粛していただきたいのですが」
「おかしなこと……?」

 首をすこし傾けて、眉を寄せる。
 おかしい。
 おかしなことをわたしがレミィに話したと、咲夜が言うことがおかしい。
 パチュリーは常に、真実をレミリアに対して語っているつもりだからだ。

「おかしなことって、例えば?」
「メイドといえば眼鏡をかけるのが決まりだなんて嘘はおやめください」
「嘘じゃないわ。それに、メイドはくるりと一回転してスカートをはためかせているところを主人に覗かれたりしなきゃいけないのよ」
「今の妄想は水に流しますので、今後はお止めください」

 手元に『毒殺料理術』なんて本を持ちながら微笑む咲夜。
 というか、微笑んでいるのは口元だけで、微笑んでいない視線はパチュリーを射るようだ。
 魔女ゆえに毒への耐性はあれども、毎日にこやかにそんな料理を持ってこられても困る。
 パチュリーは受け答えるために、すばやく思考する。
 なにが真実でなにが虚構かなど、誰にもわからない。
 よって、なんらかの問題を話しているのかもしれない自分を、改めようにも改められるわけがない。
 咲夜には問題なのかもしれないが、パチュリーにとってそれは真実なのだ。
 注意はするが、今後も問題はなんらかの形で発生するであろう。知識とはそういうものだ。
 大切なのは、それをいかに使うかだ。使っているのはレミィだから、わたしに責任はない。
 知識人としての自分に一片の悔いなし。

「わかったわ。今後は注意する」

 咲夜が念押しに、

「本当ですね?」

 と、問うのに対して、

「本当よ」

 と、返した。

 それは咲夜にとっては嘘だが、パチュリーのなかでは真実だ。
 すれ違いはこうして毎日生まれていく。
 こうして今までどおり、未来の咲夜は新たな苦労に巻き込まれるのだろう。
 そしてパチュリーは、ひとり新たな知識を探求するのだろう。

(そうして、日々は流れていくのね……)

 なんてしみじみと妄想にふけるパチュリーの内心をはかれるはずもなく、咲夜は一安心といったため息をはいた。

「お願いしますね。これ以上の面倒ごとは、お断りしたいところですので」
「……」

 ここが紅魔館である限り無理じゃない? とちょっと言いたくなったパチュリーであった。
 だが、それでは自分も原因の一端だと認めることになる。
 よって、ちょっと婉曲して事実を告げることにした。というか、自分に事(こと)が及ばない言葉を選択することにした。
 わたしが正義だ。

「なら、あなたもあまりレミィを甘やかすのはやめたほうがいいと思うけれど」
「甘やかす、ですか?」

 その言葉は咲夜にとって意外だったようだ。
 きょとんとした咲夜の顔は、親しみのある者だけに見せるもの。
 パチュリーは、こういった面を見れるようになったことも、彼女の過去と今が重ならない原因なのかもしれないと思う。

「そうよ。あなたが来てから、レミィはずいぶんと甘くなったわ。あらゆるものに対して。わたしに対しても、ね」
「……失礼ですが、覚えがありません」

 宙に視線をさまよわせながら、咲夜は真剣に過去を探っているようだ。
 検索終了後、ものすごく真剣な瞳で呟く。

「お嬢様の慈悲ならば、いくらでも思い当たるのですが」
「……」

 犬だな。
 けっして主人に逆らわず、忠義をつくす。
 咲夜の言葉から、パチュリーは忠犬という言葉を思い出した。

(忠犬咲夜……)

 犬耳と尻尾をつけた咲夜が、パタパタとレミリアに尻尾をふっている。
 主に仕える喜びを内心に押し隠し、平静な表情をとりつくろう。
 そんな姿が、パチュリーの脳裏に浮かんでは広がっていく。

(面白い)

「ふふ、ふふふふふ……」
「……? パチュリーさま、なにが可笑しいのですか」

 ちょっとだけ別世界に飛んだパチュリーの反応に、咲夜は不安げな声をもらす。

「ああ、ごめんなさい。こう……犬耳の生やし方って本が書庫にあってね? 実験に協力してくれる人を求めているのよ、うん」
「失礼ですが……なんのお話なのかまるで理解できません」
「……うん、そうよね。あなたは、そういう咲夜よね」

 落胆の吐息をもらす知識人の姿に、咲夜は永夜事件でレミリアと話したことを思い出す。
 そうして咲夜もまた、吐息をもらす。

(真剣なのか、ふざけておられるのか……)

「そういうあなただから、今ここにいられるのよね」

 パチュリーはまた、淡々と新たな言葉をつぐ。
 咲夜は反応が一瞬遅れ、聞きとったという反応だけを返した。

「はい? ここに、と言われるのは」
「レミィが愛でるあなただから、ここにいられるのよね」
「……はい?」

 本日の知識人は、妄想が過剰すぎるのではないか。
 咲夜は心配になってきた。

「お嬢様がわたしを愛でるだなんて、ありえませんわ」
「どうして?」
「……夜を伴侶とするお嬢様には、愛でるなどという言葉は似合いません」
「じゃあ隷属?」
「表現を変えればいいというものではありません。お嬢様が、わたしを――」
「それはあなたの思いこみじゃないの?」

 パチュリーの言葉は、平坦に続く。

「わたしたちはレミィのことを各々の想いで見つめているだけ。彼女の真実は、彼女しか知らない。そうでしょう?」

 確かにそのとおりだ。
 咲夜は心の中でうなずく。

「存在が思考し、その指向した対象から得られるものは解釈しかない」

 しごく真剣な表情を浮かべたパチュリーの物言いは、真摯な響きを含んでいた。

「だからこそ、他者を巻き込み争いながら存在は変化を続けていく……進化を求めて!」

 そして椅子からガッと立ち上がり、パチュリーはここが正念場といわんばかりの力説を言い放った!

「だから犬耳メイドがすばらしいと証明することは知識人として与えられたしゅくめi 「いい加減にしろ紫モヤシ」 」

 パチュリーのセリフに割り込みながら、思わず地金を出してしまった咲夜さん。

「こほん……失礼」

 イメージから外れた発言をしたと反省したのか、咲夜は顔を赤らめながらパチュリーに謝った。

「うん。まあ、そういったあなたの一面を見れるのも、わたしの真実ね」

 パチュリーは再び椅子に腰掛けながら、やさしげな視線と笑みを咲夜に向けた。
 そして内心で考えていたのは、咲夜はレミリアのお願いを断れないという未来だった。
 後でこっそり、メイド長には犬耳と尻尾が似合うということをレミィに伝えておこう。
 大丈夫だ。
 それは真実なのだから、問題ではないはずだ。
 咲夜にとっては大問題な妄想が、パチュリーの脳裏をかけめぐっていく。

「本当に申し訳ありません」
「そんなにかしこまらないで。知らない仲でもないんだし、ね」
「ですが……」

 基本的に、咲夜はメイド長という姿勢を崩さない。
 親しいものの間でも、それは変わらない。多少、さきほどのように地金が出ることはあるが。

「変なところで頑固なのは、レミィにそっくりね」
「私は頑固ですが、お嬢様は意思が強固なのです。その二つは、違うものですわ」
「あなたがそう思うなら、それでいいんじゃないかしら?」
「投げやりですわ」
「寛容なのよ」
「それは、いい加減というのでは?」
「それも一つの解釈ね」

 レミリア関係のネタは反応と食いつきがいい。
 そして、なんでも受けこたえてしまう丁寧さ。
 真面目なのか、正直なのか、犬なのか。
 その全てなのかもしれない。

「……パチュリーさまとお嬢様は、長らくの付き合いなのですよね?」

 ひょっと咲夜は、自身の関心を表に出した。
 珍しいこともあるものだな、と思いながらパチュリーは相槌を打つ。

「そうね。始めてあってからどれほどたったのかは、忘れてしまったけれど」

 遠い過去の記憶。
 どういった経緯で出会ったのか。
 その辺りは、霧向こうのようにかすんでいる。
 ただ、知らないうちにわたしたちは一緒にいる時間が多くなっていた。

「――そう。一緒にいる時間が、とても多かったのよ」

 だが、しばらくは一緒にいる時間が多かっただけだった。
 別段会話を交わすわけでもなく。
 どこかに出かけるわけでもない。
 二人はいつも一緒にいただけだった。
 紅魔館のテラスで、闇夜の紅茶を付き合ったり。
 気まぐれで図書館に訪れたレミリアと、会話でたわむれる。
 その程度の関係だった。

「それでは、今とあまり変わらないのではありませんか?」
「……」

 そういえばそうだ、と咲夜の指摘で思い当たる。
 確かに、取り立てた変化はないように思えた。
 だが、なにかが違う。
 言葉で語る世界に変化はない。
 なら、それは言葉で語れない変化なのかもしれない。
 それは、なんだろう。

「ああ……」
「?」

 目の前できょとんとしたメイド長が、その原因かもしれない。
 パチュリーはそう感じた。

「あなたが来てからよね――そんなレミィが変わっていったのは」

 頻繁に紅茶の時間が増えたり。
 門番が騒がしく叫ぶようになったり。
 苦手だからといって日光を霧で覆い隠したり。
 妖怪退治の巫女と付き合うようになったり。
 妹様と姉妹の関係を進めようとしたり。

 変わったのはレミリアだけではないと、パチュリーは自身のことを考える。
 パチュリーのところにも、白黒魔法使いの襲撃という事件がよく起こるようになった。
 また、以前ならこうして咲夜に自分とレミリアの過去を話したりはしなかった。

 彼女がやってきてから、少しづつ変わっていったのだ。
 騒がしく、休む暇もないほど、頻繁に。
 ささいなことから変化して、そして大きく変わることが起き、そしてささいな日常が新たに生まれていったのだ。

「そうね……周囲に対して無関心だった、昔のレミィからすれば凄い進歩だわ」
「活動的になられたのですね」
「わがままもパワーアップしたけどね」

 それは、わたしもなのかもしれない。
 そうした意味を内包したパチュリーの受け答えに、咲夜は苦笑する。
 ふっと……咲夜は満たされたような表情を浮かべた。

「お嬢様の変化が良い方向へ向かっていることに、私が関わっているならば――それは幸いなことですわ」
「もっとわがままが増えるかもよ?」
「それは……望むところです」

 パチュリーのからかいに、咲夜は本望だと言うような笑顔を浮かべた。

「やっぱり、甘やかしちゃうのねぇ」

 でも、それでいいのかもしれない。
 だからこそ、あなたたちはお似合いなのかもしれない。

「吸血鬼とメイドのコラボレーションは魅惑的な世界への第一歩、ってことなのね」

 咲夜はなにも言わず、ただ苦笑しただけだった。

「パチュリーさま、私はそろそろ失礼させていただきます。この本をお借りしてもよろしいでしょうか?」

 「時間」を操ったものか、すでに咲夜の手には数冊の本が握られていた。
 パチュリーは時刻を確認する。
 もう、陽が昇っていてもおかしくない時刻だった。

「長くなりすぎたわね。あとで小悪魔に言付けておくから、そこの書類に持っていく本をメモしてちょうだい」

 手続きを終えた咲夜は丁寧に一礼した後、図書館から出て行った。
 ドアが閉じられると、静寂が部屋に満ちていく。

「わたしもそろそろ休もうかしら?」

 陽の光が差し込まない図書館だが、時計は早朝の時をさしていた。
 ゆっくりと椅子に背をあずける。
 図書館にも、紅魔館にも、物音を立てるものはいない。
 静かな静かな、紅魔館が眠る時間。
 物思いにふけるには、最適な時間。

「……望まれた姿を演じようとする彼女だから、レミィは甘えられるのかしらね?」

 咲夜が出ていった扉を見つめながら、パチュリーは苦笑する。
 心の中で、わたしはそうじゃないものね、と呟きながら。
 メイド長のように、望まれているであろう姿を演じられるほど、彼女は器用ではなかった。

「だから、わたしとレミィは親友なのかしらね?」

 親しい友。
 だがそれは、決して友を超える以上の関係ではない。
 親しみを抱く友人は支えあうことができても、甘えを押し付けることはできない。
 レミリアの裏側を気遣いながら距離を置ける、そんな存在が親友だ。
 理不尽な欲求を受け入れられるのは――その存在を無条件に肯定できるもの、愛せるものだけだろう。
 愛なんて陳腐な言葉を使わないほどに、愛し合う存在だけなのだろう。

「……惹きあうものたちにとって、運命や時間という言葉は魅惑的ね」

 だからこそ、レミィと咲夜は出会ったのかもしれない。

「運命に選ばれたものと、時間を自由にできるもの……そんな二人は、もしかしたら自然の理(ことわり)を超えることもできるのかもしれない」

 わたしにできるのは、知識を吸収し、月、火、水、木、金、土、日を効率よく操ることくらい。
 自然を操ることくらい。
 視覚にあるものと自然の理を結合させ、扱えるくらいの能力。
 それがわたし、知識人としての魔女パチュリー・ノーレッジの限界。
 知識を媒介して、わたしはようやく自身の能力を確立させることができる。
 二人のように……自然を越えた『概念』を操ることなど、出来はしない。

「けれど、それを踏み越えない二人だから……わたしはここに居たいのかもしれないわね」

 種族の異なりがあるからこそ、二人は出会えた。
 いつかくる別れがあるからこそ、今の一時に甘えることができる。

 だからこそ、二人を羨ましく思うときがある。
 だからこそ、二人を悲しく思うときがある。
 だからこそ、二人を――見届けたいと思う自分がいる。

 わたしにできることと言えば、知をめぐらせて、自然と共存しながら、効率よく良策を探すことくらいだ。
 知識人にできるのは、いつ使えるかわからない答えを作りつづけるだけなのだ。

 パチュリーは、閉じていた本をふたたび開く。
 本に視線を転じ、知識の迷宮にふたたび踏み入る。
 自分が自分であるために。
 いつかくるその日のために。
 求め続ける。

 - knowledge -と名乗る存在であることを。
 - ノーレッジ -としての距離感を。
 - 紅魔館の知識人、パチュリー・ノーレッジ -であることを。