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■   風の先に見るもの   ■

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 六十年に一度の花祭り。
 その絢爛は、やってこなければ忘れるほどの些細な事件。
 見覚えのある、美しくも儚い風景。
 見覚えがあるということは、なにかを覚えているということだろうか。
 けれど、まるで思い出せない。
 以前の自分はこの景色を眼にして、なにを思い描いたのだろう。
 まるで過去が鈍いのは、今が楽しいからだろう。
 風に揺られる向日葵の姿を見ながら、風見幽香はそう自分を納得させた。


 祭りは再びめぐり来る。
 人は六十年に一度の花祭りを欠かしたことがない。
 それは必ず起こることだった。
 細かいことは忘れていても、そんな大雑把なことだけは覚えていた。
 花祭りで匂う香りは、いつもと異なる花の香りだった。
 なにかにすがりつく、すがりつきたい最後のゆらめき。
 藁にもすがるように花へすがりつく風景は、正直幽香の好むものではなかった。
 だが、拒むほどに嫌うものでもなかった。
 彼らは、花という幻へ形を求めたのだ。
 花を愛するものを、拒むことはないのではないかと思えた。
 その安らぎが、一瞬にすぎないのだとしても。
 それに、彼らが宿った花はやはり花なのだ。
 それだけで、幽香には愛でるに十分たる理由となった。
 ただ死臭が平素となるのは、心地よいことではないとも感じていた。
 だからこそ幽香は、彼岸参りを六十年に一度の行事として決めていた。
 記憶は薄れても、身体は覚えているのだった。
 その場所に、赤い花が咲き乱れていることも。

 道中の景色に混じる博麗の巫女が、どことなく他人に見えたりする。
 まだ巫女をやっているのかと感心する。人間は飽きっぽいはずなのに。
 以前に弾幕ごっこを交わした黒白魔法使いの口調が、少しだけ変わった気がする。
 随分と大きくなったからだろうか。時間がたつのは早いものだ。
 彼女たちと以前に弾幕ごっこを交わしたのは、いつのことだったろう。
 花々を愛でながら、幽香は記憶を思い出す。
 いつかの日々を。
 いつかの六十年前を。
 少しずつ、亡くしてしまった記憶を。
 彼女たちが知らない幻想郷の日々を。

 彼岸の岸で赤色の花を見ながら、幽香は前にもこんな弾幕ごっこを死神と繰り広げたような気がした。
 だけれど幽香はその死神の顔を覚えていなかったし、向こうも幽香を知らないようだったので、気にしないことにした。
 それに知っていても覚えていないのだから、気にしようがないのでもあった。
 細かいことを気にするのは身体の流れを悪くすることだから、健康によくないのだ。
 そんな自分が咲かせる花は、不幸だろうと思うのだ。
 不健康な妖怪が咲かせる花は、綺麗でないと思うのだ。
 その不安定さから生まれる不気味な花こそ妖怪の花かもしれないと、考えたこともあった気がする。
 だが幽香は、そんな花の咲き方を否定したことを明確に覚えていた。
 花は、人を楽しませ、そして悲しませてこそ、花なのだと今も考えている。
 怖がらせるだけの花なんて、美しくないと思えたのだ。
 安心と油断、恐怖と慎重。
 そんな花々を咲かせてこその妖怪であり、そうしてこそ花々は妖怪の花として咲くのだと思えたのだ。
 弾幕ごっこに敗れた死神を受けとめた花々は、血を思わせる色で生き生きと咲いていた。
 安心と慎重、油断と恐怖。
 今、幻想郷に咲いている花はそんな花ばかりだった。
 だから散らせなければいけないと、幽香は苦笑しながら思うのだった、


 なんどもなんどもめぐり来る、花の祭りと人魂の列。
 それは咲いては散っていく花々と同じように、なんども繰り返し訪れる光景だった。
 だから彼女は、この年を節目と決めて風を見定めることにしたのだった。
 幽かに香る、新しい場所を求めることにする節目とすることにしたのだった。
 この日だけ幽香は過去に浸る。
 それによって、新しい風の香りを敏感に感じ取れるようになる。
 過去の華を思い返し、未来の華を思い描く。
 そして現実の花を愛しく想う。
 それは、幽香が決めた流れの中に組み込まれていることだった。
 そしてその流れを年月に組み込んだのは、幽香自身なのだった。
 長い時の中で、幽香は自分の節目を自分で定めてきたのだった。
 花々が咲き散るこの年を、幽香は懐古の年と決めていた。
 その約束は、今では思い出すことができないほどの昔に自分で決めたことだった。
 この年だけ、彼女は枯れる花となる。
 過去を思い出す、散ることができる花となる。

 風見幽香は、あまり物事に執着しない。
 それによって、日々の流れの中で彼女の記憶は風化していく。
 だがけっして、忘れてしまうわけではない。
 彼女は過去に戻ることを、肯定的にとらえられないというだけの話だ。
 花を操るものは、目の前の花を操るだけ。
 フラワーマスターが過去の美しさにとらわれてしまえば、咲かせることができるのは過去に美しかった花だけとなってしまう。
 それは花ではない。
 それは、記憶の中で咲いた偽りの華でしかない。
 フラワーマスターが過去に咲いた記憶に浸ってしまったら、誰が花々の行く末を見守るというのだろう。
 咲かせられるのは、今の花だけなのだ。
 過去の花も未来の花も、それは彼女にとってもう存在しない華でしかないのだった。

 ほのかに風を流れる微香をまといながら、咲き散るために存在する花々を愛でる。
 見据える者。
 風見幽香は、自分をそんな存在に保つために風を見始めた。
 新たな花が放つ幽かな香りを探すために、彼女は過去にこだわることをしないのだった。


 六十年に一度の花祭り。
 彼岸の近くに、人が咲かせた紫の桜が満開となる。
 紫の桜は終わりの桜。
 この桜が散る先は、幽香が扱う花ではない。

 ひっそりと桜の根元に寄りかかり、風見幽香は目を閉じる。
 もっとも死に近い場所で、彼女は過去を思い出す。
 彼岸の岸で桜とともに、彼女は六十年の喜びを散らしていく。

 ――あなたは少し長く生きすぎた。

 閻魔が語った些細な優しさは、彼女には縁のない言葉だった。
 花が咲き続けるだけならば、造花と変わらない。
 散るためだけに生きている花なんて、見るに値する花ではない。

 妖怪だから、幽香は花祭りを忘れる。
 綺麗な景色を覚えていれば、次の祭りを楽しめないからだ。
 散らない花は、悲しいだけなのだ。
 そして過去にしがみついた花もまた、切ないだけなのだ。

 彼女は少しばかり長く生きるために、過去も未来もあまり考えないことにしている。
 今ある美しさを、受け止めるために。

 繰り返される花々の営みを見守るために、彼女はフラワーマスターと自称する。
 花を操り、花を愛するために。花々と、少しでも長く生きていくために。

 それにしても、この六十年もまた楽しかった。
 長生きし始めたばかりの者も見かけたし、それらを見るのもからかうのも微笑ましかった。

 ――雨も降っていないし、霧も出ているし、何で傘を差してるのかしら。

 そのなかでも、本気で困惑しているふうに語りかけてきた兎を思い出して、幽香は苦笑した。
 口ずさむ。
 誰もいない桜の下で、ひっそりと。
 兎に語った、自分という存在のあり方をもう一度。
 これからも在り続けるであろう、風見幽香という存在を。

 ――これは、幻想郷で唯一枯れない花なのよ。

 風に散る花びらのように、弱く儚くつぶやいた。


 風見幽香は回想する。
 六十年のときを。
 それより昔に残る、わずかな記憶を。
 これから生まれ来る花をからかうために。
 これから散りゆく花を見守るために。
 これからも、新たな花々を見ていたいから。
 幻想の郷(さと)に咲いては散っていった、花と華を思い描いた。












 時間が流れて、ゆっくりと眼を見開く。
 頭上を流れる彼岸桜の花弁は、いまだに止まるところをみせなかった。
 けだるい身体を起こして、幽香は風に身をまかせる。
 ゆっくりと、幽香は遠くを見据える。
 視線の先から、未だ知らない花の香りが流れてくる。
 その場所から流れる幽かな香りが、幽香の心を活性化させていく。
 香りの源(みなもと)を想像すると、花を操る妖怪の心が躍る。
 その先に、未だ見たことも感じたこともない新たな花が咲いていることを期待してしまうから。
 ふわりと空に浮かんだ幽香は、口元に微笑を浮かべながら彼岸の桜を見つめた。
 その香りはもう、幽香にとって幽(かす)かなものではなくなっていた。

 ――花を咲かせる事は、土の力なのです。
 ――だから、咲いたら土に還す事もお忘れ無く。

 幽香はそう呟くとくるりと背を向けて、桜が散り舞う彼岸を後にした。