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■   十六夜の華   ■

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「ここの廊下って、こんなに短かったか?」

 霧雨魔理沙が早朝の紅魔館を訪れるのは珍しいことだ。
 この館の主が朝という時に耐えられない存在であるから、というのが第一の理由。
 数少ない窓から白光が射しこみ、魔理沙の眼をくらます。
 この白光が曲者(くせもの)なのだ。この紅魔館と呼ばれる場所にとっては。
 紅魔館の主にとっては、死活問題なのだ。
 第二の理由は、魔理沙の出会いたい相手もそう早起きしないからだ。
 不健康な生活、という意味でなら紅魔館の主以上の素質はあるのかもしれない。
 虚弱なのに、不健康な生活。不健康な生活だから、虚弱。
 訪問者である魔理沙に太陽の光は関係がない。
 朝日はまぶしいが、魔理沙はその「起きている」感覚が嫌いではない。
 ただ、今の紅魔館は少し変だと魔理沙は感じた。
 数日前と同じ場所を訪れているはずなのに、どこか異なる場所であるように思われるからだ。
 それも模様変えなどでなく、建物の全体像が変わっているような感覚。
 紅魔館は姿を変えている。魔理沙は以前、そう聞いたことがあった。
 詳しいことはわからないが、館の全体像を時事に合わせて空間を操り変化させているらしいのだ。
 その変化を成している人物が、誰かも聞いていた。だから逆に魔理沙は不思議なのだ。

「咲夜に限って、なんかあるとは思えないんだがな」

 完璧で瀟洒な紅魔館のメイド長の姿を思い浮かべながら、魔理沙は苦笑する。
 彼女が早朝の紅魔館で十六夜咲夜を発見したのは、疑問を浮かべた数分後のことだった。
 完璧で瀟洒なメイド長たるべき姿を、咲夜はとることができなかった。
 なにかが起こったがゆえである。
 彼女は、廊下に倒れて完全に意識をうしなっていた。






 レミリア・スカーレットはベッドに横たわる咲夜を見つめていた。
 ベッドに横たわった咲夜は平常時と変わらなく見える。
 紅魔館の医療メイドによれば、咲夜の体調に医学的な異常は認められないらしい。
 まるで眠っているだけの状態。
 しかし、それにしては意識の昏倒が深すぎるという。
 咲夜の部屋から医療メイドが引き上げ、残された紅魔館の主要人物達は今後について話しあっていた。

「魔理沙、咲夜になにか変わったところはなかったかしら」

 黙したままのレミリアに代わりパチュリー・ノーレッジが魔理沙に問う。

「特に変わったところはなかったと思うぜ。というより、見つけたときはすでにこうだったんだが……」

 ため息を一つの後、付け加える。確認するように。

「咲夜本人にはないが、この館自体はちょっとおかしくなってる気がするな」

 魔理沙はちらとレミリアに視線をむける。
 館の中で日傘を射すレミリアの表情は、傘に覆われて見えない。
 今のレミリアの表情をうかがえる位置にいるのは、意識を失っている咲夜だけということになる。
 しかし、意識を失っているものが他者の表情を見ることなどできない。

「空間の伸張は咲夜さんの力でおこなわれていたんです。ですから、今の状態は……咲夜さんが力を発揮していないためにおこっているのだと思います」

 紅美鈴が魔理沙に返答する。
 門番である彼女とメイド長である咲夜は、異なる飲茶の知識で親しみを持っている。
 この場の中で、もっとも沈痛で落ち込んだ表情をしているのは彼女であった。

「わたしには違和感バリバリなんだがなー。なんていうか、違う場所に来たって感じだぜ。逆に迷っちまいそうだった」

 逆に魔理沙は明るくふるまう。
 どこか強気な口調も――素でもあろうが――場の雰囲気を一律にしないためであろう。

「魔理沙は咲夜が来た後の紅魔館しか知らないものね」

 パチュリーが懐かしそうに呟く。
 彼女とレミリアは、長の時を生きる者たち。
 咲夜以上の月日をこの場所で過ごしている。

「で、咲夜の症状はやっぱりわからずじまいか?」
「そうね。医療メイドによれば、体調的なものではないみたいだけれど……こんなことは咲夜が来て以来初めてだから。レミィ、なにか知っている?」
「……さあ」

 力ないレミリアの呟き。
 それを払うかのように、魔理沙が声を大きめにして前に進み出る。

「まあ、発見者として最後まで付き合うぜ。放っておくと寝覚めも悪そうだしな。で、どうする? 霖之助のとこに行って薬でも買ってくるか?」
「……」

 口元に手を当て黙考するパチュリー。
 日傘の下で表情の見えないレミリア。
 似合わない暗い影をおびた美鈴。

(さあ、どうしたものか?)

 さすがに、魔理沙とて限界がある。
 魔理沙が雰囲気に耐え切れなくなったころ、

「図書館に付き合ってくれないかしら、魔理沙」

 とパチュリーから誘いがかけられる。

「ああ? それはかまわないぜ。でも図書館に人間用の薬なんかあったか?」
「あるかもしれないし、ないかもしれない。本からしか得られない知識があり、それは直接ではなく間接に咲夜を救うかもしれない」
「知は力なり、か」
「真実は遠いところにあるもの。見えないところにこそ、ね」

 二人の知識人は、自分の役割を理解した。
 パチュリーはレミリアに向き直る。

「レミィ、あなたは……」
「咲夜のそばにいなさい、なんてことはできないわ。私は主だもの。主に仕えない従者なんて許せないわ」

 レミリアの口調は、押し殺された低いものだった。パチュリーは問う。

「どうする気かしら」
「この間やりあった、永遠の国の住人。確か薬師がいたはずよね。そこに行ってくるわ。そして、従者としての役目をきちんと果たしてもらわないとね」

 前後で言葉が矛盾している気がする。

(……素直じゃないわね)

 パチュリーは内心で苦笑した。

「お嬢様、その役目はわたしに」

 美鈴が進みでるが、レミリアは拒否した。

「あなたには門番としての役目があるでしょう。それを放り出すのは許さないわ」
「しかし……」

 門番が主の命令に逆らうことはできない。しかし今は日中。美鈴は、レミリアを一人で行かせることに不安を感じている。

「いいわ。レミィにまかせましょう。でも今は昼。気をつけなさい」

 咲夜はいないのだから。最後の言葉をパチュリーは飲み込んだ。ドアが閉まる音。
 美鈴も門番の仕事のために部屋を出て行く。

「気持ちよさそうに寝ているのね」

 レミリアの口調には、非難の色があった。
 従者が主に発せさせてはならない言葉の色。今の咲夜は主であるレミリアにその色を発せさせていた。

「起きなさい、咲夜。これはあなたが持つべきものよ」

 咲夜の上に差し出された日傘を、しかし支える手は伸びてこない。
 まるで人形のようね。森の魔法使いに今の咲夜を見せれば、どんな反応をするのかしら。
 足をくるりと回転させ――レミリアは咲夜に背を向けた。






「本日の予定が大幅に狂ったぜ」
「もともと正確な予定なんて組んでいないんでしょうに」
「はは、違いない」

 魔理沙は咲夜の異変を館のものに告げた後、パチュリーとともに図書館にこもっていた。
 頁を繰る手がすばやい。
 目的は咲夜に起きた異変の調査である。

「正直なぁ、永琳に頼んどけば一発解決だと思うんだが」
「それで安心できないからこそ、わたしたちはここにいるのでしょう?……レミィにまかせましょう、そちらの方は」
「あのレミリアがねぇ」

 魔理沙は感心したような息を漏らしながら、読み終わった本を適当に放り置く。
 本同士が、ばらけたり開いたり噛み合うことはない。
 傷つけあうことはなくとも無秩序になっていくのが魔理沙の読書術。
 混沌こそ真実への第一歩。
 パチュリーは右手で両目を揉みながら、つぶやく。

「……いえ、なにも言わないわ魔理沙。そう、もうあなたに本を元に戻せだなんて言わない」
「あの我侭な吸血鬼がそこまでするなんて、咲夜はよっぽど大事に思われてるんだな」

 あいも変わらず読み終えた本を、ぽいぽい。
 パチュリー、ふぅとため息。気分を変える。

「そうね。咲夜はレミィにとって、ちょっと特別みたいね」
「永琳にまかせておけば、大丈夫だと思いたいぜ。……あいつがわたしたちの求めていることまで精通しているかどうかは知らないが」
「不安なのは、そこね。今の咲夜は、『病気』なのかしら」
「薬の知識は幻想郷一番だ。大丈夫と思っておこうぜ。そういった方面に関してもな」

 手際も落とさずに、パチュリーと会話を交わしながら調べものを続ける魔理沙。表情は、いつもと同じく平静で微笑。

「……ふぅ。あなたのそういう面を見習いたいものだわ」
「まあ、こっちはこっちで調べてみようぜ。なんかの役に立つかもしれないし、やれることはやっておくべきだ」

 頁を繰る手が、さきほどよりも早まった気がする。
 彼女は彼女なりに、咲夜のことを気遣っているのだろう。パチュリーはそう感じた。

「ありがとう、魔理沙」

 口元を少しだけ緩めながら棚に本を戻すパチュリーに魔理沙は問う。

「今まで咲夜の能力を調べたことはなかったのか? 時間を操るとか、そういったもん」
「時間というより空間を操る能力のようだというのは聞いたことがあるけれど、正確なことは」
「空間と時間は同一だっけ? どこかの学者が言ってた気がするが」
「正確には空間と時間を切り離して考えることはできない、だったかしら。わたしは詳しく知らないけれど」
「私もだが。しかし咲夜は……自分の能力をどう捉えていたんだ?」
「聞いた事はないわね。わたしも興味はあったのだけれど、そういった気配を出したときはもう彼女の姿がなかったわ」
「じゃあ、自分でもわからないのかね」
「どうかしら……」
「ふむ」

 ぱたん、と魔理沙は手元の本を閉じながら言った。



「自分の「時間」を認識できなくなったら、アイツはどうなるんだろうな?」



「え?」
「例えばの話、例えばの話だぜ」
「そうね――例えば、か」

 パチュの呟きは、さきほどまと違いなんらかの指向性を含んでいるように魔理沙には聞こえた。






「おかえりなさいませ、お嬢様」

 永琳と共に紅魔館に戻ったレミリアは、門番の表情が変化していないことに気づいた。
 美鈴は不安顔を浮かべたまま。笑みの余地が、ない。
 ないということは、咲夜の容態が変化していないということ。
 ――ない、ということに感謝すべきか。

「美鈴。咲夜の様態は、どうかしら」

 内情は隠し、美鈴に現状を問う。

「残念ですが……咲夜さんは未だ目覚めないままです」

 美鈴は心底申し訳なさそうにレミリアに話す。
 彼女に非があるわけではないのに、まるで自分に罪があるかのように。

「あなたは紅魔館の門の役割をはたしてくれればいい。だから……そんな不安そうな顔はしないで」

 レミリアは静かに、語調を弱めて、美鈴を気遣う。

「……不安そうな顔をなさっているのは、わたしではありません」

 誰か、とは美鈴は言わなかった。言えなかった。
 美鈴はだから、代わりに永琳に視線を移して礼をする。

「そちらの方が八意様ですね。お初にお目にかかります。紅魔館の門番の任をまかせられている、紅美鈴と申します」
「八意永琳よ。すまないけれど、患者が待っているから」

 永琳が身を引き、レミリアが先導する。進みがてら、美鈴にレミリアは声をかける。

「引き続き、門番をお願いするわ」
「はい。……あの、八意様」
「なにかしら」

 門を過ぎ去ろうとする二人の背中を美鈴は呼び止める。

「咲夜さんのこと、よろしくお願いします」

 お嬢様のためにも、と心の中で付け加えながら。

「こっちよ」

 レミリアにうながされて永琳は紅魔館に入館する。
 美鈴の頼みに永琳は言葉を返さず――首をすこしだけ傾けて、平静な表情を作った。






「……なるほど」

 永琳が咲夜から眼を離す。レミリアは、黙しつづける。

「結果を聞かないのかしら」

 咲夜の全身を入念に診察した永琳は咲夜に布団をかけなおす。

「結果ではなく、真実だけが欲しいの」

 布団から漏れた咲夜の手を握りながら、レミリアは永琳に要求を投げる。

「欲張りね」

 永琳は平常に見えた。するりと口先から漏れた言葉も、ゆらぎはなかった。

「どうすればいいの?」
「彼女と話し合うことね。後悔のないように」

 レミリアは咲夜に向けていた視線を永琳にずらした。
 永琳は続ける。
 よどみなく。

「なにもわからなくなる前に、ね」






 彼女はまどろんでいた。
 捉えられない重みがのしかかり、けれどそれが何の重さなのか不可解だった。
 夢の中で。
 幸せすぎる現実も夢のようで。
 夢の中は、さらに夢で。
 咲夜はまどろむ。
 『咲夜』と呼ばれている者が、まどろむ。
 『十六夜咲夜』という名前は、自分のものではない。
 自問する。  『十六夜咲夜』とは誰だろう。自分なのだろうか。
 自分は、誰だったのだろうか。
 知っている。けれど、今の私は……記憶の中の薄ぼやけた人物とは一致しない。
 陽炎のように、不安定な過去の自分。
 明確になるのは、あの方に名を与えられてから。
 あの日から私は『十六夜咲夜』としての「時間」を生きることになった。
 そして、『十六夜咲夜』と呼ばれている自分は、『十六夜咲夜』にならなければならないと思った。
 望まれた相手に。
 『十六夜咲夜』は『私』なのだと。
 刻み付けてもらわなければ。
 『私』の存在する意味があったのだろうかと、悩んでしまうのだ。
 だからこそ。
 夢の中の自分はもう。
 違うのかもしれない。
 『十六夜咲夜』ではないのかもしれない。
 今、夢の中であの方のそばにいないわたしは、いったい……いったい……誰なのだろうか……。
 かすむ。
 『十六夜咲夜』の時間ですら、かすむ。
 自分がどこにいて、なにをするものか、彼女は少しづつ理解できなくなっていく。
 わたしは、どこ?
 ここは、だれ?
 疑問すら、薄れていく……。

 「     」。

 呼びかけられた声に。
 薄れていく意識の中で。
 彼女は応えようとした。

 「     」と呼びかける声を、道しるべに。






 ……眼を開けると、ランプの灯りが眼に入った。
 紅魔館の光。
 私の部屋の明かり――。
 彼女の心に一瞬の落ち着きが吹き込まれる。

「おはよう、咲夜」

 かけられた声で、彼女の意識が次第に目覚めていく。
 夢か現か、曖昧な場所へ。
 けれど、ここが今の私の現実。

「……お嬢様」
「おはよう」

 目覚めた咲夜をレミリアが見下ろしている。

「おはようございます。今日は、ずいぶんと……早起きですね」

 今は昼――ちらりと眼にした二本の針がそう教えてくれる。

「ええ。誰かさんのせいでね。色々と立ちまわらなきゃならなかったのよ」
「……私は、いったいどうしていたのでしょうか」
「倒れたのよ。たぶん、過労かなにかだと思うわ」

 レミリアの言葉が嘘なのだと、咲夜は直感してしまった。
 なぜかはわからないが――その配慮には甘えることにした。

「……申し訳ございません。私もまさか、このような状態になるとは」
「仕方がないことよ。そう。仕方がないことなのよ。理想がかなうことはないわ。運命が操れても、私の思い通りになるとは限らないもの」
「しかしながら、従者としての役目を務めきれないことが悔やまれます」
「今はしっかり休みなさい。そう、休むのよ。あなたの意思でね。私には、強制できないのだから」
「それはどういうことでしょうか。運命が操れるのであれば、いかな生物といえども……」
「『操れる』だけで、『変更』はできないの。ましてや『消去』や『除去』などもってのほか。運命を見る。操る。けれど、『改変』できるわけでも、『変更』できるわけでも、ましてや『変換』させることはできないの」
「根本を、どうしようもできないのですね」
「そうね。大本は、どうにもならないわね。それが――まったく違うものになってしまえば別だけれど」
「違うもの、ですか」
「藤原妹紅が、人間から不死の民になったように」
「……」
「人間が、似て非なるものに、変化するような場合。それは運命に干渉できる。なぜなら――」

 レミリアは一瞬、言葉を止める。
 咲夜は、沈黙する。

「なぜなら、それはもう、以前と同じ「モノ」ではないから。違う、「モノ」になるから。それは、運命を操る能力とは別の――夜の能力。眷属を造る能力。人を人でない「モノ」へ――誘う力」
「……そうなのですか」
「そうなのよ、咲夜……」

 関心するふりをする咲夜と、彼女に紅い眼を向けるレミリア。
 咲夜は思い出す――今宵が満月であることを。

「私は……」
「うん?」
「私は『十六夜咲夜』でしかないのです、お嬢様……」
「……どういうことかしら」
「謎解きです。今度目覚めるときまでの……」

 咲夜が目をまたたく。

「お嬢様。また、眠ってもよろしいでしょうか」

 けだるげな口調は、同意よりも願いに聞こえた。

「……だめ。だめよ」

 レミリアは、どうしてかそう呟いてしまった。

「大丈夫です」

 ふっと、咲夜は落ち着いた声をレミリアにおくった。

「本当に?」
「……私がお嬢様を、見捨てるわけないじゃありませんか。見捨てられるなら……仕方ありませんけれど」
「……では、眠りなさい。ゆっくりと」
「はい……」

 ゆっくり眼を閉じる咲夜をながめながら、レミリアは物思いにふける。
 能力の暴走。
 まったく幻想郷らしからぬ事件。幻想郷であってはならない問題。
 自己喪失。ありえない。
 ――ならばどうする。ありえないことが発生したときに、住人はどうすればいい?

「あなたはいつまでここにいられるのかしらね」

 誰もいない部屋でレミリアの声が響く。

「あなたでなくなれば――あなたは私の側にいてくれるのかしら。ずっとずっと、この身が朽ちるまで従ってくれるのかしら」

 想う。
 咲夜を想う。

「『十六夜咲夜』でしかない――わかってるわ。そんなこと……わかっているのに」

 謎解きは終了していた。
 だからこそ――次の目覚めは、決断しなければならない。
 レミリアはそう確信していた。






「レミィ」
「パチェ……大丈夫?」
「わたしはね。魔理沙は寝てしまったわ」

 咲夜は早起きだといっていたが、時は宵闇時に近くなっていた。
 咲夜の部屋の時計がおかしいのではなく――。

「悪いことしたわね」
「魔理沙はそんなふうには考えないと思うわ。たぶん――今の状況を、楽しんでいるのかもしれないわ」
「楽しむですって?」
「暗くなっても仕方ない。なら、改善のために高揚する」
「……難しいわね」
「なんでも難しいわ。簡単なものは、どこにもない。割り切れるものも、どこにもない」
「そうかしら」
「咲夜とレミィみたいなものよ」
「……?」
「咲夜は人間。たとえ時間を操れるとしても、いつかは消える存在。そして……それゆえに、イレギュラーを保有する者」
「……あなたがそんなに意地悪だと思わなかったわ、パチェ」
「たとえ、時間を『操れる』としても、『改変』することはできない。いつか彼女の時間は消える。あらゆる意味で、彼女は……今を行き続けられる存在ではない」
「ふ、ふふ……まるで、さっき咲夜とした話みたいね。おかしいわ。おかしい」
「世に正常などという言葉はないのよ、レミィ。だからこそ、皆、正常なのだわ」
「正常が、狂っているということ?」
「言葉のこだわりに意味は無いけれど……今の咲夜の状態を言葉に当てはめるならば、彼女自分の能力を内に向けている、と言ったところかしら」
「自分を追い込むようなタイプではないと、思っていたけれどね」
「時間の消失、空間の消失、時空の消失。まるで太陽を失った月のような状態が、今の咲夜」

 パチュリーは言葉を続ける。

「過去、現在、未来。能力を制御できなくなった咲夜にとって、これらの区別をとることは非常に困難なの。咲夜にとってそれは移動するものではなく、静止するものとなってしまった。しだいに……咲夜はわたしたちを認識することすら困難になるでしょうね」
「具体的には、どうなるのかしら」
「眠ったように静かになるか、全ての行動がアベコベになるか、もしくはその両方の交互か……と言ったところかしら」
「……素敵な答えだわね」
「魔理沙と二人で出した、安易な結論。八意氏と相談した結果に生れた、ひとつの回答。納得がいかないのならば、自分で調べてちょうだい」

 レミリアの返答は、会話の流れとつながっていないものだった。

「出かけてくるわ」
「そう。行ってらっしゃい、レミィ」

 パチュリーは、ただレミリアを見送った。
 月の晩に日傘を射して空をかける、吸血姫を見送った。






 ちゃりんと音がする。硬貨が賽銭箱に入る音。

(誰かいるのかな?)

 手洗いに布団を抜け出した霊夢はめざとく硬貨が響く音をとらえていた。
 しかし、夜も更けたこの時刻に参拝とは。――博麗神社に昼間来るのは不吉だとでも言うのか?
 マイナス思考気味な博麗霊夢は、だからこそちょっとした興味を夜更けの来訪客に覚えた。
 外に出ると、意外な明るさが道を照らしていた。物の輪郭があるていどわかる。
 今宵は、満月。
 木で作られた賽銭箱の前にたたずんでいたのは――月の光が最も似合うもの。

「……レミリア?」
「こんにちは、霊夢」

 けだるげに霊夢に首をめぐらすのは、レミリア。
 霊夢は夜の闇に身をふみだす。

「こんばんは、じゃないかしら。……ああ、あんたにとってはこんにちはかな。まあ、いいけれど。こんな夜中になにしに来たの?」

 レミリアの来訪自体は珍しいことではない。
 とある事件で知り合って以来、この吸血姫と霊夢は知らぬ中ではなかったからだ。
 たまに神社に押しかけてもくるから、それ自体は驚かない。
 ただ、今宵のような深い夜に賽銭をほうるレミリアの姿ははじめて見るものだった。

「参拝に来たのよ」

 夜の闇に身を浸したレミリアは、真剣な面持ちで神社の本尊を見つめている。

「わたしに会いに来たとか、宴会に来たって雰囲気じゃないものね」
「吸血鬼が神頼みだなんて、三流小説でも見たことがない」
「あれだけ本があるんだからどっかにはありそうだけどね」
「本を読まないから知らないけれど……霊夢、眠りを邪魔して悪かったわ。失礼するわね」
「……」

 霊夢の表情はゆるやかに変わっていった。
 暗闇に身を沈めた紅い悪魔がもらすべきでない、弱気な言葉。
 配慮。謝罪。超越者らしからぬ態度。
 そして、月の光を浴びぬために射されているのか。
 普段ならば日よけに使っている傘を差している、レミリアの姿。
 月の夜に、なんとふさわしくないのか。
 霊夢はあえて指摘する。

「らしくないわね。わたしに謝るなんて、今にも新月になりそうだわ」
「それは困るわね。満月なのだから、邪魔をして欲しくはないわ。……特に、今宵は美しくあってほしいもの」
「……なにかあったの」
「霊夢が気にすることじゃないわ」
「それはそうね。でも、ご利益がないと参拝の意味がないでしょ」

 どこか恥ずかしそうな表情。

(ああ、霊夢はこんな顔もするのね)

 優しそうに見える霊夢の顔を見ていると、レミリアは皮肉の一つも言いたくなった。

「むしろ滅ぼされてしまいそうね。神様とは相性があまりよくなさそうだから」
「だったら、もう私に滅ぼされちゃってるでしょうが」
「……それはなにか違うんじゃないかしら?」

 ちょっと素になってしまったレミリアの一言に、ちょっと素でない不満顔をさらす霊夢。

「どういう意味よ」
「胸に手を置いて聞いてみるのね、自分に」
「むう。今、話相手が必要なのはわたしじゃなくて、あんたでしょう?」
「……そう、そうね。そうかもしれないわね」
「ただし、変な期待はしないでね。具体的にしちゃったらありがたみが消えるだろうから」
「ふふ。今日はずいぶんとおせっかいね。あなたも、らしくないわ」
「らしくないものを見せてもらったから、いいんじゃない?」

 縁側に腰掛けながら、月を見上げるレミリア。

「ちょっと待って。お茶を入れてくるから」
「中に入らせてもらったほうがいいかしら。あなたの身に、寒さはこたえるでしょう」
「余計な心配は無用よ。それに……そんなに長いことはいないでしょう?」

 戻ってきた霊夢の手にはお盆が握られていた。二杯のお茶。

「いただくわ」
「で? なにを悩んでいるの」

 単刀直入に、話を続ける霊夢。

「咲夜がね。倒れたのよ。で、色々やったのだけれど……」
「……彼女の運命を見たんでしょう?」

 博麗の巫女は、近づかない。遠ざからない。
 だからこそ、真実を引き出し引き当てる。
 良否ではなく、好悪でもない。
 博麗霊夢は、そうした存在だ。

「……見たわ」

 すっと、レミリアは答えを返した。

「どうだったの」
「私の力は運命を『操る』だけ。本質的に『変更』することはできない」
「じゃあ、どうすることもできないわけね」
「……」

 レミリアは、ことりと音を立ててお茶を置いた。

「咲夜を咲夜でなくさせること。それなら、運命を『操る』ことができる」
「だから彼女の存在を『変更』するの? もう、そこに彼女がいなくなるとわかっていても」
「いるわ」
「いないわ」
「『十六夜咲夜』だったものが、ずっといてくれる」
「触れられる幻が、ね」
「……っ!」
「あんたは、運命を見たんでしょう? 『十六夜咲夜』に似た者が、あんたの横にいる姿を」
「……」
「見てしまったんでしょう?」
「……霊夢」
「わたしに慰めなんて期待しないでね。ガラじゃないし、辛気臭いのは苦手だわ」

 霊夢は心からそう思っているかのように呟いた。

「でも、あんたが咲夜になにをしようと……全ての世界が変化するわけじゃないわ。あんたと咲夜の世界だけが、変わるだけなの」
「……慰めのつもり?」
「言ったでしょ? わたしは慰めなんてできないの。甘い言葉を期待して、ここに来たわけじゃないんでしょう」
「ふふ、そう、そうね……私が霊夢になにかを求めるなんて、どうかしてるわね。空に浮かぶ程度の能力。確かにあなたは……」

 レミリアは一度言葉を切る。

「……感謝するわ、霊夢」

 続けられた言葉は、会話の終わり。

「わたしはなにもしていないわよ」
「だからこそ、幻想郷は平和なのよ」

 そう。幻想郷は平和だ。
 彼女が動かないほどに、今は平和なのだ。
 緑茶の入った碗を置く。

「行くわ」
「そう。それじゃあ、またね」
「ええ。また……」

 背中の翼を広げ、レミリアは月夜に飛び去った。
 博麗霊夢は、その後姿を見送らなかった。静かに背を向けて寝所に消えていった。






「咲夜」
「……お嬢様?」

 不安そうな表情を浮かべるレミリアに、咲夜は顔を形作る。
 安心させるための顔作りを。主人を不安にさせないために。

「おはようございます」
「おはよう。よく眠れたかしら」
「永琳様は?」
「別室で休んでいるわ。パチェと話してる」
「パチュリー様まで……今更ですけれど、大騒動になってしまいましたわね。申し訳なくて、みなさんに合わせる顔がございません」
「あなたがそういう人間だと言うことよ。……わかるかしら」
「そうですね……わかるような気もしますし、不思議な気もいたします。ここは幻想郷。私の存在など、とてもちっぽけなものなのですから」
「些細なことを気にするものは、案外と多いものなのよ。あと、卑下はやめなさい」
「はい。それにしても、完璧で瀟洒な従者というイメージは崩れてしまいましたわね」
「そうね。でも、それでも咲夜は咲夜だと私は思うけれど」
「だめですよお嬢様」
「わかってはいても、ね。感情と理性がここまで違うものだとは考えたことがなかったから」
「……私は、お嬢様のその言葉だけでもう十分です」
「私は、十分じゃないの。勝手なことを言わないで」

 レミリアは赤い眼をすっと細め、言葉を紡いだ。



「私に血を飲ませなさい。……共に長い夜を、すごすために」



 咲夜は、苦笑気味にレミリアに返答した。

「……食事がまだなのでしょうか。私がいないことで混乱が起こっているのでしょうね。申し訳あり……」
「とぼけないで」

 レミリアの口調は鋭く、咲夜の苦笑を霧散させた。

「ならば、こう言うわ。私に喉元を差し出しなさい」
「……お嬢様は、小食じゃありませんか。お腹を壊してしまいますよ。それに、私はお嬢様を恐れていません」

 恐怖を糧に、美酒を味わう。だが、今のレミリアの目的でそれでないことを咲夜は知っている。

「あなたが恐れてなくてもいい。それに、私が壊れるだけの価値はある。あなたには……『十六夜咲夜』には、それだけの価値がある」
「……」
「私の眷属になりなさい」

 沈黙。
 口を開いたのは、咲夜だった。

「申し訳ありませんが……お断りさせていただきます」
「なぜ」
「未練がない――と言えば、嘘になりますが。言葉にすると、やはりそうなるのでしょう」
「私に仕えることに疲れたなんて、あなたは言わないと思っていたわ」
「……違いますわ。まだまだ、お嬢様には付き添いたいですよ。仕えたいです。けれど、私が私であるからこそ、お嬢様の従者でいたいのです」
「あなたが今の時に残るには――あなたでなくなるしか、ないのよ。なら……可能性にかけてみるべきだわ」
「そんな私を……お嬢様は、お望みでしょうか」
「わからない。けれど、喪(うしな)うのは……怖いわ」
「満月時のお嬢様が、怖いだなんて言葉を漏らしてはいけませんわ」
「あなたにだから、言えるのよ」
「……私はお嬢様の苦しそうなお顔を、見たくありません。だから、お嬢様と同じ時を生きるのも辞退させていただきます」
「どうしても……死を選ぶというの?」
「違います。私はいつか……お嬢様と、離れなければいけない存在なんです。それが、少しだけ早まっただけのことなんです」

 レミリアは、静かな眼を向ける。
 満月の夜。
 紅い眼。
 ――あの時と同じだ……あの夜と。
 『十六夜咲夜』が生れた夜と。
 一緒だ。
 生も死も。
 同じ方と共に。
 それはなんて、素晴らしい始まりと、愛しい終わりなのだろう。

「……レミリアお嬢様。私はお嬢様のおかげで自分の居場所を手に入れることができました。だから、私は永遠にお嬢様のメイドなのです。でも、メイド以上のものじゃないんです」
「……?」
「私は、怖いんです。お嬢様と並ぶことが。長を生きることが。いままでの私でない、時間を手に入れることが」
「私と一緒なのが、嫌ということ……?」
「違うんです」

 言葉を選び。
 過去に戻り。
 今の自分と。
 主に贈るために。
 咲夜はつむぐ。

「お嬢様。レミリアお嬢様。私は嬉しかったんです。同じ時の流れしか知らない私に、違う時を、交わる一瞬の時を教えてくださったことを。とても、嬉しかったんです。お嬢様が私と違う時を生きていてくれるから、私は自分の時間を見つけられたんです」

 自分の言葉を。

「私は、人間で、お嬢様と異なり、完全でなくいつか死ぬ存在だから、完全を装うことができたんです。『十六夜咲夜』として名づけられたあの日から、お嬢様のために、『十六夜咲夜』であろうとしたんです。欠けているから、遅れているから、お嬢様と……異なるから。『十六夜咲夜』として、そうであって、そうでない者へと」

 『十六夜咲夜』としての、想いを。

「……あなたは、「十六夜」という言葉を欠陥として捉えていたの?」
「違います。そうした、満ちることを恐れる、ずれた私……「十六夜」に生きてよいと護ってくれたことが、嬉しかったのです。だから……満ちるために、完璧で瀟洒であろうと、思ったのです」
「た、じゃないわ。思った、なんて過去形じゃない。過去じゃないわ。できる。十六夜咲夜は、完全であり続ける。あり続けなければならない。……レミリア・スカーレットの従者として、いつまでも」
「心の中に……では、いけませんか?」
「あなたが行きたいのは、ここなのかしら」

 レミリアがそっと、自分の胸を押さえる。

「そうです。お嬢様の心に、いつまでも」
「……私は、人間じゃない。人間と同じ尺度で、あなたと同じ尺度で、ものを考えるのは困難なのよ。どうして、そんなことが言えるの。一瞬限りの命に愛着を抱くだなんて……どうして、あなたが愛しいと想うことを、私が愛しめると想うの?」
「愛しめていただけるからこそ……私は、『十六夜咲夜』になれたのですわ」

 ゆっくりと、咲夜はベッドから手をさし伸ばす。

「手を握って、いただけますか?」

 無言で、レミリアは咲夜の手を握りかえす。

「お嬢様の心に……私はいつもいますわ」
「酷いわね。それはあなたじゃないわ。私の中の、あなたでしかないじゃない。完全で瀟洒な、私だけの咲夜でしかないじゃない」
「そうですね。私はずっと、怖かったんでしょうね。お嬢様から与えられた、名に恥じる自分を見せることが。お嬢様の生きる「夜」になにも「咲」かせられなかった時のことが。それを……とても恐れていたんでしょうね」
「安心しなさい。あなたは、私の心に「傷」をいっぱい作っていったわ。忘れられないほどの、「傷」をね」



「私は、あなたの『十六夜咲夜』になれたのでしょうか」
「ええ。あなたは『十六夜咲夜』であれたわ」



「……私は、残酷でしょうか」
「残酷で、ひどい人間だわ。もう二度と、人間など近寄らせてなるものですか」
「博麗霊夢でも?」
「……。……そうよ」
「お嬢様、言いよどまないでください。こういう時ぐらいには……」

 くすくす笑う咲夜の声に、レミリアの顔にも笑みが戻る。

「……すみません、お嬢様。少々、疲れてしまいました」
「休む?」
「はい。申し訳ありませんが」
「そうね。『十六夜咲夜』は……よく、働いたわ。ゆっくり休みなさい」
「おやすみなさい、レミリアお嬢様」
「咲夜……」
「また、明日」
「……またいつか、会いましょう」
「はい……」

 ゆっくりと咲夜のまぶたが閉じられていく。
 静かな咲夜の吐息と、時計が時を刻む音。
 レミリアは彼女の寝顔に近づき。

「おやすみなさい、『十六夜咲夜』」

 呟いて。
 柔肌に触れ。
 甘い口付けの後に。
 レミリアは、涙を溢(こぼ)した。