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■   いつか、流れ着く音   ■

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「……なんだ、これ?」

 たまたま立ち寄った花畑の一角。
 花の異変がわずかに残る花々の中で、それはぽつりと落ちていた。
 魔理沙はそれを手にとり、しげしげと見つめることにする。

「どこかで見たような気は、するんだが」

 白く滑らかな肌を持ち、形は楕円を描いている。
 思い出す手触りは陶器に似た肌触り。しかし魔理沙はこんな形の陶器を知らない。
 美しい波模様の肌をひっくりかえして裏を見れば、スプーンですくいとられたような空洞が広がっている。
 表裏を繰り返して、魔理沙はしげしげとそれを見つめる。
 それがなにか、思い当たる知識はあった。が、確信がない。

「まあ、今から行く場所はこういったものを調べるのに最適なんだが」

 一瞬浮かべた怪訝な表情をすぐに消して、魔理沙は拾い物をポケットにしまった。
 魔力を左手の箒に流し込み、準備ができた箒の上にまたがる。
 力をこめて浮上し、身を風に乗せ、空を横切りながら目的地へと向かう。
 日課となったヴワル魔法図書館襲撃という目的を、調べ物という目的に代えながら。






「なによ、また来たの?」

 皮肉交じりのパチュリーの言葉は、慣れ始めた間柄ゆえの冷たさも含んでいる。

「ああ、また来たぜ」

 そのあたりは魔理沙も慣れたもので、それがパチュリーの性格だという事を知っている。
 だから辺りを見回し一服ついて、挨拶をしてきた小悪魔にマジックミサイルを打ち返した後で、魔理沙はパチュリーの側に箒を近づけて着地した。
 空中に浮かぶ読書室への一角へと。

「図書館は静かにしなさい」

 空中読書室に浮かぶ椅子の一つに腰掛けながら、パチュリーは本から目をそらさずに注意する。
 読書用の机と椅子が置かれた場所は、ここヴワル魔法図書館では空中の一角に浮かんでいる。
 ヴワル魔法図書館の読書室は空中庭園のように空に浮かんでいるのだった。
 図書館の主であるパチュリーは今日のように、大概は同じ場所で違う本を読んで時間を過ごしている。
 それが崩される理由の一つに、今目の前にいる白黒の侵入が含まれていた。
 ただパチュリーはその時間を崩されることを、必ずしも不快だと思っているわけでもなかった。

「あの司書が原因の大半を作っていると思うが」
「残り少数のせいでその大半が起こっているのよ」

 つまりあなたのせいというわけ、本から目を上げたパチュリーの瞳はそう語っている。
 そのように魔理沙には見える。
 不快ではないが、だからといって問題でないかといえばそうでもないのが難しいところだった。
 魔理沙はその言葉を返すことはせず、新しい話題を提供した。
 人間の時間は限られているのだから、有効に使うべきなのだ。

「今日は私一人か? あんまりなくらい静かじゃないか」
「あなたと紅白が来る前は、毎日こんなものだったわ」
「それは寂しいことだな」
「知らなければそうではないわ」
「つまり今は寂しくないのか?」
「AはBだからといって、BがAになるわけではないわ」
「ああ、言葉のマジックか」
「そうよ。だからあなたの言葉は真ではない」
「私は魔法使いだ。マジックは苦手なんだ。魔法なら得意だがな」

 そんな会話を続ける内に、魔理沙はパチュリーの隣に腰掛ける。
 ポケットからごそごそとなにかを取りだそうとする魔理沙を気にかけながら、しかしパチュリーは本から視線をそらす事はない。
 文字へと向けていた視線をパチュリーが外したのは、魔理沙が目的のものを机に置いた時だった。

「なあパチュリー。これがなんだかわかったら本を返さないでやるぜ」
「正解はいらないということね?」
「あー、すまん。死ぬまでに返すかもしれないということでどうだ?」

 ひねくれは慣れる。
 だから、パチュリーは淡々と言葉を返す。性格でもあったが。

「……貝殻、だと思うわ。幻想郷では珍しいタイプのね」
「ああ、やっぱり貝殻か。そうかもしれないとは思ったが、こんなに大きいのは見たことがなかったからな」

 納得して、魔理沙は貝殻をしみじみと見つめる。

「どこから見つけてきたの?」
「転がってたぜ。転々と一つだけ」
「まるで浜辺みたいな光景ね。写真でしか知らないけれど」
「肌にも本にも悪そうな場所だもんな」
「水に日光、砂に風。ここにはないものばかりだわ」
「風は潮風っていうらしいな。どんな風かは知らないが、一度は浴びてみたいもんだ」
「潮っぱいのかしら」
「潮っぱいんじゃないか」

 山地にある幻想郷で、塩の存在は貴重だ。
 入手不可能というわけでもないが、特権者以外に行き届くほど数はあふれていない。
 そして彼女たちはその特権者でもある。
 そんな彼女たちでも、さすがに海辺の風を浴びたことはない。
 存在しないものに触れることはできない。

「やっぱり困るわね」
「うん? ……ああ、清めの塩なんてやっぱり効いたりするのか。魔女とか悪魔でも」
「ナメクジほどじゃないけれどね」
「なかなかにスプラッターな光景だな」

 たわいもない談笑は、パチュリーの一言で元の軌道に戻る。

「誰かが持ち込んだのかしらね。それとも、持ち込まれたのかしら」
「さあな。どっちかもしれないし、どっちもかもしれないぜ」

 パチュリーが言葉をつむぐ。
 少しばかり、夢見るような声の響きで。

「……貝殻から波の音が聞こえるというのは、本当なのかしらね」

 パチュリーの呟きに、魔理沙が視線を向ける。

「へえ。案外にメルヘンな知識も持っているんだな」

 魔理沙の表情を見て、パチュリーは少しばかり不機嫌になる。
 自分がいかに似合わない言葉を発したのかを自覚したからだ。

「おかしいかしら」

 少しばかり捻くれた物言いになってしまったパチュリーへ、魔理沙はゆったりと言葉を返す。

「そういう部分がないと、本なんて読めないだろ? いいんじゃないか」

 にやにや笑いが消えない人間にそんなことを言われても、パチュリーの心は穏やかにならない。
 おまけに相手は魔理沙だ。

「……波際で貝を拾えば、波の音が聞こえるのは当然だわ。迷信よ」

 だからパチュリーは想像を事実で拭うことにする。
 いつの時代も、想像は現実によって塗り潰すことが可能だからだ。

「そう本に書いてあったのか?」

 その言葉に、パチュリーは返答しない。

「……迷信になったんなら、聞こえるかもしれないぜ」

 ここは幻想郷なんだから、魔理沙の言葉にはそうした含みがある。

「どうかしら。錯覚と知っている迷信は、幻想になるのかしら」

 パチュリーがそう返すのは、はじめから幻想だったものがここに流れ着くと思えないからだ。

「なるかもしれないし、ならないかもしれない。もしかしたら、聞こえるかもしれないじゃないか」

 そうして魔理沙はゆっくりと、貝殻を耳に当てた。
 傾ける。貝殻へ。道の音を聞くために。耳を預ける。
 しばらくして……魔理沙はゆっくりと口を開いた。

「……ところで、私は波の音を知らないぜ?」

 パチュリーが言う。

「言ったでしょ。貝殻から、海の音がするはずはないわ」

 魔理沙が返す。

「ああ。やっぱり、迷信かもな」

 そうして、魔理沙が付け加える。

「ただ、こういう時間は悪くないな」

 どこか遠い場所にある、自分の知らない音。
 今は自分にとって幻の音を、見知らぬ旅を経てきた物によって伝えられる。
 旅人の話に耳を傾け、遠い風景を幻視する。
 心地よいまどろみの時間。
 魔理沙が味わっているのは、直接的でない異文化との優しい交わりなのだろう。

「……そうね」

 パチュリーにも覚えがある。
 直接的な体験でない、言葉のみによる未知との遭遇。
 優しくて嘘つきな、間接的でしかない甘い喜び。
 だからパチュリーは、再び本を開く。
 そこにしか存在しない、知識という体験を得るために。






 魔理沙は変わらず、貝殻へと耳を傾ける。
 そこからは、依然として何の音も聞こえない。
 波の音を知らない合成物の貝殻からは、何の音も流れ出てこない。

 それでも波の音が聞こえるように魔理沙が願うのは、それを知らないからなのか。
 それとも、願い続ければ聞こえることがあるのだろうか。
 幻想となった海辺の音が、耳に響くことがあるのだろうか。