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■   花と妹、月の姉   ■

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[- Prologue -]

 真円が、世界を染める。
 深遠なる闇を、彩るように。
 満ちた月が、一つだけ。
 深淵な空に、悠然と浮かんでいる。

 草木も眠る、丑三つ時。
 悪魔の少女と妖怪の少女が、同じ月夜の下にいた。
 同じ幻想郷ながら、その力を関知できぬほどに遠い場所。
 異なる少女が、まったく違う場所で、同じ月を見上げていた。



 ∽∽∽



 紅い服と七色の光。
 活発そうな外見とは裏腹な、なにかを押し込めた瞳。
 月の光は、そんな少女の内心を隠すように光を与える。
 悪魔の少女は、そんな月を見あげながらおもう。
 もう一週間ほど、弾幕ごっこをしていない。
 退屈になっている少女は、遊びあいての彼女がくることを望む。
 そして、期待する。
 今度きたときは、普通じゃないような『弾幕ごっこ』をしたい。
 そう考える。
 普通じゃない彼女がかんがえる、普通じゃない『弾幕ごっこ』。
 少女は、待っている。その一瞬を。

「……」

 すっと、手を空中に差し出す。
 先にあるのは、真円に近い月。

「……やっちゃう?」

 きゅっとして、ぼーんしたい。
 その一瞬を、待っている。

「……ふぅ」

 吐息を突いて、手を下ろす。
 そんなことすら想定内だというのだろうか、アイツは。
 待ち望む顔と、力の矛先。いろいろに、ぐちゃぐちゃ。
 けれど、それが少女にとっての平穏。
 だから、少女は希望する。
 このおだやかな日常が、少しだけ『壊れる』ように。



 ∽∽∽



「太陽の花と言われているけれど、あなたに似ていなくもないわね」

 月夜の陰影は、向日葵の並ぶ花畑にも及ぶ。
 しかしその光は、幻想郷で唯一枯れない華の下にまで、進入しきれてはいない。
 赤を基調としたスカートをなびかせながら、妖怪の少女は暇を持て余していた。
 六十年に一度の祭りが終わり、少しばかりの似合わない寂しさが胸を満たしている。
 本来の、わたしらしさ。
 それが失われていると、少女は感じている。
 センチメンタルは、持つべきものではないはず。
 少女は、そう考えている。

「……紅い屋敷には、夢の館と比べて、どんな花が咲いているのかしらね?」

 浮かんだ考えは、まさしく自分らしさを取り戻す良い機会。
 堂々と浮かぶ月の姿を散らせてこそ、妖怪たる自分の気まぐれが戻ってくる。
 だから彼女は望む。この平穏を、少しだけ『壊す』べきだと。


 月は彼女等を見据え、動くことはない。
 完全なる円を描く、闇夜の光。
 悪魔の少女は少しだけいらだち、妖怪の少女は苦笑した。
 その、圧倒的な月の姿に。
 傍若無人たる、夜の光に。

 彼女等を見据える月夜の下で、少女たちは退屈を持て余していた。
 だから、二つの影は、退屈を埋めることにした。

 ――月を相手に、遊ぼう。
 ――月夜にだけ咲く花を、この手で咲かせてやろう。

 月は彼女達の戯れを、ただ動かずに見据えるだけだった。






[- 01 -]

 月光の下で、綺麗な花々が咲いていた。
 季節を表し、彩り鮮やかな、手入れを念入りにされた花々がひっそりと息づいている。
 無秩序ではなく、調和の取れた空間が彼女を感心させる。
 彼女はこの花畑を手入れしているであろう庭師に、好感がわいた。
 この花壇を手入れしている者は、繊細でやさしいのだろうと思えたからだ。
 今度、自分の屋敷の庭師に雇うのも良いかもしれないなどとも考える。
 考えながらも、彼女は花々を見つめる。飽きることもなく、全体を見回す。
 彼女にとっての静かな時間。
 花々と共にすごす、静かで穏やかな時間。
 それらが、ふっと……風の流れとともに変わった。
 原因は、物音と呼び声のせいだった。
 緊張を持った声が発せられている、その方向へと振り向く。
 緑色の服を着た少女が、真剣な表情でこちらを見据えて立っている。
 ちらりと花々の表情を見て、気づく。
 眼の前の少女が、この花壇の手入れをしているのだろうと。そう想った。
 少女は人のよさそうな――人ではなさそうだが――顔をしているし、また、花たちの表情が親近感に満ちているからだ。
 彼女は、そう納得した。
 ついでに、と彼女は思った。
 イジメたら飽きることがなさそうな子だな、と。
 彼女は、機会があればぜひ少女を庭師にしようと思った。
 彼女の思惑など読み取れるはずもなく、少女が緊張をとくこともなく彼女に警戒しながら話しかける。
 そこで彼女は、ようやく自分がこの庭地に不法侵入していたということを思い出した。
 緑色の服を着た赤い髪の少女は、声を上げながら――警告であろう――こちらに向かってくる。
 どうにも口ぶりから、不法侵入は強制退去という感じらしい。
 自分の屋敷でもよくやっていたことだから、彼女は、相手がそうしようとしているのが納得できた。
 だが。
 他人の屋敷のしきたりは断ってやるのが、彼女なりの流儀である。
 赤いスカートをふわりとなびかせて、彼女は花を散らさぬように赤髪の少女へ踏み込む。
 驚く赤髪の少女の背後には、その髪よりも紅い屋敷が悠然とたたずんでいた。



 ∽∽∽



「たいしたおもてなしも出来ませんが」

 テーブルに紅い紅茶を置くメイドは、ずいぶんと清楚で落ち着いている。
 春ごろに花畑を飛び回っていたメイドと同一とは思えない。

「あら、この前会った時とはずいぶんと雰囲気が違うわね。倦怠期?」

 椅子に腰掛けテーブルに肘をつきながら、幽香はからかうような口調で咲夜に微笑する。
 まるで親しいものに話しかけるように。
 しかし咲夜は胸元より少し下にトレイを抱え、ぺこりと礼をしただけだった。

「申し訳ありませんが、なんのことだかわかりませんわ。お客様とお会いするのは今日が初めてで、最後のはずですので」
「あら、わたしって何気に嫌われちゃったりしてるのかしら」
「少なくとも、意味もなく弾幕を咲かせる相手を好くことは難しいと思いますわ」

 その一言から、幽香はからかうように親しみをこめて話しかける。
 なぜなら、今日は彼女に向けて弾幕を咲かせてはいないからだ。

「なんだ。わたしのこと、覚えてるんじゃないの」
「人の時間は限られているのだから、無目的な妖怪と話しても価値がないと思うだけですわ」

 ようするに紅茶を飲んだらとっとと帰れということか。
 おもてなしと言いながら、まったくその逆のことを要求されているのだなと幽香は気づいた。
 そういう意味では、らしくないなとも思った。

「力づくが好きなのかと思ったわ」
「ここは館の中。あなたの力の源は少ない。これは私なりの、慈悲ですよ」
「なめられたものね」

 口調はそのままに、切れ味のない不満を表明する幽香。
 対する咲夜は、かすかな仮面の微笑を崩そうとしない。
 咲夜はゆっくりと手で示して、自身の入れた紅茶へ幽香の視線を招く。

「無駄話がお好きなのは知っておりますが、紅茶をどうぞ。自信作ですので、冷めるまえにいただいてほしいですわ」
「そうね。いい香りだわ」

 ソーサーから離れたカップを口元に近づけ、幽香は香りを味わう。
 その様は堂に入っていて、どこか気品が漂う。
 どこかの館の主という立場は聞いていたが、ホラではないのかもしれないと咲夜は感じた。
 ゆっくりと香りをかいだ幽香が、ゆっくりと言葉をつむぐ。

「ええ、本当に……いい香りね」
「光栄ですわ」
「どうしても毒の匂いが消せなくて、大変だったんじゃないかしら」
「主(あるじ)は寛容な方なので、助かっていますわ」
「飲ませてるの?」
「以前は」

 苦笑する。
 その時主(あるじ)に飲ませた毒は、この紅茶に含まれているものと同じだったのだろうか。

「これを飲んだら無事に帰れなくなりそうね」
「無事に帰すとは言っておりませんものね」
「あらそうね。でもわたし、花の毒はむしろ健康にいいのよ」
「良薬を混ぜればよかったのですね」
「そういう意味じゃないけどね」

 微笑む二人。
 知らないものが見れば、まるで仲の良い友人同士に生まれる、気の置けない空間に見えるかもしれない。
 実質は、隙を見せれば手痛い目にあうような、瞬間の空間だというのに。
 理知的な容貌の美女が二人、仮面のように微笑みながら、交わす会話は暖かく冷たい。
 カップをソーサーに戻して、幽香は椅子に背を預ける。

「その寛容な主(あるじ)さまに会わせて欲しいのだけれど、無理かしら?」
「無理ですわ」

 一刀両断の返答。
 幽香は来訪理由を告げる。

「紅い屋敷を紅い花で飾れば綺麗だし、それが別荘なら尚更楽しそう。そんな話をしたいだけなのに」
「誰の別荘ですか。むしろそれは乗っ取り話と言いませんか?」
「下克上はあなたも好きそうな話だと思うけれど」
「外部の妖怪にやられても癪なだけですわ」
「あら、気が合うわね」
「合いませんわ。合わないからこそ、私はメイドなんですよ」

 つまりはお嬢様に忠誠を誓いながら自分を捨てることはしないわけね、などと幽香は内心でメイドという言葉の意味を考えた。
 そう言えば自分の持ち家である夢幻館にもメイドがいたが、ここまで主(あるじ)のことを敬っていたかというと疑問が残る。
 後で厳しく躾(しつけ)けてやらねば。

「ですので、本日といわず出来うる限り、この館にはもう来られないことを願うばかりなのですが」

 躾けの方法を模索している最中に咲夜がそんなことを言ったので、一瞬反応が遅れる。
 早くても仕方ないのだが、このメイドには、隙を見せたくはない。

「でも花壇は綺麗だったわ。あそこには今後も入っちゃうかもしれないわね」
「門番がいるはずなので、そう易々とは入れないはずですが」
「あら、門番なんていなかったわよ。庭師はいたけれど、思えば可哀想なことしちゃったわね。弾幕なんて仕掛けなければ、可愛がってあげたのに」
「……」

 自然に疑問を呈した幽香と、汗を浮かべて視線をそらす咲夜。
 幽香には、咲夜が呆れている理由がわからない。
 ふう、と咲夜はため息をついてこう言った。

「お嬢様に気づかれないうちに帰られた方が、お互いのためかと思いますよ」
「……なんだか、ずいぶんと優しいわね。あなた、そんな性格だったかしら?」

 幽香は怪訝な表情を向ける。
 春先で弾幕ごっこをしかけた時は、使用武器と同じくらいに切れ味があったと思ったのだが。
 今の彼女はまるで人間のように生ぬるいな、と幽香は感じていた。

「一度や二度で性格なんて把握できませんわ。それに、わたしの優しさはお嬢様への優しさです。あなたへのものでは……ないわ」

 ゆっくりと、視線と口調が変化する。
 メイドの仮面の下から、幻想郷一の奇術師の素顔が浮かび上がる。
 ナイフと時間の使い手、紅魔館の顔。
 穏やかだった――偽りの――時間が、ゆっくりと終わりを迎えてゆく。

「仕方ないわね」

 ため息一つと共に呟いて、幽香は微笑を崩す。
 椅子から背を離して立ち上がり、脇に添えて閉じていた傘をふわりと広げる。

「納得いただけたようで、幸いだわ」

 優雅に微笑む咲夜。
 彼女の笑顔を見つめながら、幽香が広げた傘を肩にかけると呟いた。

「紅茶の毒で眠っておけばよかったのかしらね。あなたのために」
「紅茶の毒で眠っておけばよかったのよ。あなたのために」

 すっと、咲夜が幽香より距離を開ける。
 彼女が距離を開けると同時、なにもなかった虚空に数百のナイフが現れ、幽香めがけて一斉に降下を始める。
 咲夜が奇術師と呼ばれる所以(ゆえん)、時間を操ってのナイフ術。
 紅魔館を守護する最強のメイド、十六夜咲夜の技。
 だが咲夜が技を披露しても、幽香は微動だにしない。
 このままではナイフによって蜂の巣にされるというのに。
 だが蜂の巣にされたのは幽香ではなく、紅魔館のカーペットだった。
 床から花の根によって巻き上げられたカーペットが、ナイフの雨から幽香を防御する。
 咲夜はその光景を目の当たりにしながら、重い重いため息を吐いた。

「……本当、片付けが大変なんだから眠っていて欲しかったわ」
「実はあなたが寝ていれば解決なのよね」
「話をすり替えない」

 呟きが終わると同時、幽香はナイフの刃が首元へ向けられていることを視界に収める。
 咲夜の姿は眼前から一瞬で消え、一秒とたたぬ間に幽香は背後へ回りこまれていたのである。
 だが咲夜は一瞬でナイフをひきはがし、再び幽香から距離をとった。
 喉元へ切りつけた刃が、幽香の首元から生(は)える花々に絡みつけられ、達することができなかったからである。

「そんなことをしたら花が泣くと思うけれど、いいのかしら」
「あら、あなたは今までに泣かせた人の数を覚えているのかしら」

 幽香が戯れるように、答えようのない質問をする。
 答えを必要としない問いかけ。
 だが咲夜は、しっとりと問いかけに答えた。

「……泣く前に、鳴けないようにしたわ」

 その咲夜の表情は冷たく研ぎ澄まされながらも、完全で瀟洒なメイドのものではなかった。
 冷酷に、他者を見つめる瞳。
 妖怪とも違う、人間の狩人の瞳。
 だが、幽香はそんな瞳に臆するような、やわな妖怪ではない。

「そもそも花は泣かないのよ。こんなふうに……」

 カーペットを持ち上げた花の根から花弁が開きつづける。
 時間が何倍もの速度で進むような、現実の光景ではありえない現象。
 しかし咲夜は驚いた様子もなく、ナイフの構えを調整し周囲へ気配を配る。
 咲き誇る花々をバックに、幽香が微笑む。館の主ででもあるかのように。

「咲き誇ることが花の仕事なの。鳴いたり泣いたり、騒いでなんかいられないわ。それは、散るときだけでいいのよ」
「わたしは散っても泣かないですけれどね」
「人間は散ったら泣けないからでしょ?」

 傘を横なぎに振りはらう。
 同時に飛び散るは、幽香の背後に幾百と咲いた鮮やかな花弁たち。
 鮮やかに散る花は求める。ナイフにも勝る鋭さで、目指す目標の泣く声を。
 花びらの向かう先にたたずむ咲夜は、微動だにしない。
 手元のナイフを、ぎゅっとつかみなおすだけ。
 彼女に達した花びらが、さらに数を増す。
 一が二に、一が三に。
 数は違えど、ナイフに刻まれ花弁が地に落ちていく。
 幾百の花弁が、ナイフ捌きと時間操術で次々と落とされていく。
 最後の花弁を切り落とし、残ったのは白と青のメイド服をまとった赤い瞳の人間。
 その光景は、幽香に眼前の人間の名を呟かせるにいたった。

「咲夜、だったかしら。気に入ったわ。名前のとおり、いい花に咲いてくれそうね。楽しめそうだわ」
「ええ、いつか咲こうと思ってるわ」

 ゆっくりとナイフを幽香に向ける。射抜くように。

「けれど、すでに言ったはず。それは、あなたのためではないと」

 瞳をナイフのように研ぎ澄ませ、十六夜咲夜は告げる。

「そうね。そうでなくちゃ、面白くないわ」

 うなずき、くるくると傘を回しながら、幽香は微笑む。
 フラワーマスターとしての笑みを咲かせる。

「結末のわかる花なんて、道具にしかならないもの」

 咲夜は空に放ったナイフを――時を止めて――回収しながら、幽香の動向をうかがう。
 近づきもせず、仕掛けもしない。
 こちらの容易い弾幕を受けるほど、相手の力は低くない。

「私は道具ですわ。お嬢様に仕える、メイドの一人にすぎません」

 容易くないものならば、それ相応の仕掛けが必要だ。
 そう、タネのない手品でも、その数が一つや二つでは興ざめなのだ。
 数限りなく、思考と知恵の回る限り、対策は考え続けるべきなのだ。

「なら、わたしはフラワーマスター。思い通りにならない花なんて、わたしにはないのよ」

 それは幽香にも言えること。
 奇術師のように人を惑わす存在を屈服させるには、圧倒的な力しかない。
 そう、この館の主から彼女を奪うならば。
 それ以上に、彼女の何かをへし折らなければならないのだ。

『さて』

 共に、花を咲かせる理由は出来た。
 後は、どちらかが枯れるまで乱れるまで。
 幽香の傘に、エネルギーが集まる。
 咲夜の手から数十のナイフが消え、空間に固定される。

「覚悟なさい。あなたという存在を、たっぷりと咲かせてあげるわ」
「――わたしはお嬢様のもの。あなたのものでは、ない」

 振り払った傘から弾幕が撒き散らされ。
 意図しない空間からナイフの雨が降り注ぐ。
 両者の手によって空間が動き出し、花の弾丸とナイフがその対象者へ向かい炸裂する、その瞬間――



「あなた、誰?」



 ――炸裂音とともに、二人の耳へ予期せぬ闖入者の声が響いた。






[- 02 -]

 紅い服を着た少女は、暇を持て余すということを覚えた。
 姉や従者にとってそれは頭痛の種だったが、本人にとっては好奇心と寂しさを増幅させることとなる。
 つまり自分の屋敷で爆発音が鳴っているときに、彼女が来ないわけがないのだ。
 探求と喪失を求める少女にとって、意図しない出来事ほど求めることはないのだから。
 彼女は、他者とともに暇をつぶすことを覚えたのだから。
 そしてその相手は、知り合いや親類、黒白魔法使い、それ以外にもたくさんいるのだということを知ってしまったのだから。
 少女は、押さえきれないことがある。
 衝動を抑える術は、学んでも容易に身につくものではない。
 人間ですらそうだ。妖怪ならなおのこと。
 そして少女は、秩序に逆らうことを定められた存在としてある。なら、なおさらのことでしかない。
 だから少女にとって、館の侵入者は不幸な相手だといえた。

 ――こんなにも衝動が高まっている、そんなときにくるなんて――

 ふふっ、とした声と共に三日月が映える。少女の口元に楕円の月が。
 少女は内なる衝動に従って、笑う。
 昨夜の『破壊』の願いが、こんなにも早く叶ったことに。
 ぐっとして、ぱっと開く。
 閉ざされた地下の扉は、容易に壊れる。

 ――アイツはいない。なら、少しくらいイイヨね?――

 すっと踏み出した地上への道。
 その先に待つのは、少女にとって未知の暇つぶし。



 ∽∽∽



「お嬢様、どうしてここに?」

 すっと手元のナイフを懐に戻し、咲夜は少女へと声をかける。
 物騒な物を向けるのは、屋敷に仇なす者だけだ。
 ただし、咲夜は少女に歩み寄りはしない。ある程度の距離を保ち、なおかつ警戒の気配を消さない。
 主従に忠実な者がとるには、やや不遜な態度。

「こんなに派手にやったら、バレちゃうよ。それに、魔理沙が来たのかと思ったし」

 微笑みを浮かべる少女は、しかしそんな咲夜の態度を咎める気配もない。
 興味があるのはメイドではなく、少女を見つめる二つの瞳。
 少女を射貫く意志を持つ、赤い色の瞳。
 少女を魅了する色を持つ、緑の髪の妖怪。

「あなた、誰?」

 少女は幽香に視線を向け、興味津津といった表情で問いかける。

「相手に尋ねるときは自分から名乗るものよ、お嬢さん」

 視線を受け止め、大人びた口調で幽香は返答する。
 尊大なる態度。この館の正式な住人なら、眉をしかめる――もしくは嘲笑する――であろう態度。
 その言葉に、しかし、少女は怒るそぶりすら見せない。

「ああ、ごめんなさい。わたしは、レミリア・スカーレットよ」

 スカートを両手でつまみ、丁寧にゆっくりと少女は会釈する。
 屋敷を束ねる権力者として、瀟洒な従者の主として、夜を統べる王として。
 客人に対する微笑みと共に。
 吸血鬼の王たる余裕と態度を見せ――

「フランドールお嬢様」

 ――だがしかし、たとえ親しい者でも許容できない冗談というものはある。
 窘(たしな)めるような咲夜の言い方に、少女は苦笑する。
 ――十六夜 咲夜が、今のような冗談を受け流すはずがない。

「ちぇ、咲夜は冗談がつうじないなぁ」

 くるりくるりとステップを踏みながら、フランドールはささやかに笑う。
 ――笑い続ける。なにかをこらえるように。

「あら。では、あなたはレミリア・スカーレットではないのかしら」

 そんな少女の様子が、幽香には不可解で、そして興味深い。
 少女から漏れ出る力の残滓は、まったくもってその身に不釣り合い。
 この館の主と言われても納得するほどの、狂気の力。

「アイツに会いにきたのなら、方向がちがうわよ。いま、お姉さまはいないから。たぶん、神社へでもいってるのよ」

 そう語る少女――フランドール――の言葉に、幽香は一つの疑問が氷解する。
 館に満ちていた巨大な力の気配。
 それは、この館の主ではなかったのだ。
 なぜならその原因が、今、幽香の目の前にいるのだから。

「そう。なら、風見 幽香が問い返すわ……あなたは、ナニ?」

 あえて幽香は、その存在の名を問わない。
 名前などというものは、この少女の危険を表す注意書きに過ぎないのだから。
 問うのは、存在としての少女。つまり、それほどの力を要するであろう少女は、なんのためにあるのか。
 そんな幽香の態度に、少女はいたく感心する。

「へえ、あなた以外にわかりがいいね。やっぱり赤いからかな?」
「どういうことかしらね?」
「波長が合う、ってことかなぁ?」

 微笑みあう二つの姿だが、その裏にあるのはどこかよどんだ空気。
 長を生きる妖怪の陰気と、夜を砕く破壊者の狂気。
 ごくり、と咲夜は息を呑む。瀟洒な従者らしくない、どこか真剣すぎる面持ちで。

「うん、名前なんかどうでもいいわ。そんなの、壊れちゃえばなくなっちゃうもの」
「あら、物騒で身の程知らずなお話ね。壊されるのは、この館?」
「覚えるのは、残ってからで良いわ。どうせ……あんまり、残らないんだもの」

 語尾だけどこか寂しげに呟いた少女は、しかし顔の笑みを消すことはしない。

「ずいぶんな自信ね」

 そしてこちらも、表面上の笑みを消すことはない。

 ――この風見 幽香を見て、ひるまない子は久しぶりね――

 そんな幽香の内心を知ってか知らずか、フランドールの楽しげな様子は消えることはない。

「『壊したい』なぁって思っただけなんだけど、けっこうなっちゃうものなのね。やっぱり、アイツは口だけなのかしら?」
「アイツ?」

 幽香の怪訝な言葉に、しかしフランドールは受け答えない。

「パチュリーは、なんか人形と遊んでるし。門番も小悪魔も、ちょっと脆いし」

 ちらり、と横で様子をうかがうメイド長に視線を向ける。

「咲夜は本気で相手にしてくれないし」

 その視線と言葉を受けて、咲夜は答える。

「フランドール様、もう少しでお嬢様が帰っていらっしゃいます。それまで、お部屋にお戻りを」

 しかし、その言葉は火に油を注ぐようなものだった。

「アイツのことは、どうでもいいよ。たぶん、全部、お見通しだって言うんだから」
「……」

 しまったな、と内心で失態を受け入れる咲夜をさえぎるように。

「お見通しなら、今から行われることも手の内かしら?」

 暢気で陽気を装いながら、幽香が口を挟んでくる。
 さえぎろうとした咲夜だが。

「さあ? 本当か嘘か、アイツの言うことはわからないし」

 あえてそれを封じるかのように、フランドールが幽香を見据える。
 邪魔はさせない、といった意思表示でもあるかのように。
 その視線を受け答えるように、幽香が口を開く。

「ねえ、妹さん。ちょっとお尋ねしてもよろしいかしら?」
「フランドールでいいよ。わたしも、幽香ってよぶから」
「そう。じゃあ、フランドール。この館を、わたしに譲ってくれないかしら」
「好きにすれば?」

 あっけらかんとしたフランドールの返答に、少しばかり幽香は面食らう。
 ただ、そのあっさりとした返答の意味を、幽香はすぐに察した。

「ただし、わたしと遊んでくれないと困るけどね。わたしとセット」

 おどけるような少女の言葉に、幽香は苦笑する。
 フランドールの周囲に、態度とは裏腹な『力』が渦巻き始めたからだ。

「あわただしい子ね。嫌いじゃないけれど」
「そう、嬉しいわ。だってあなた、ちょっとばかり強そうだもんね」

 その一言は、少しばかり幽香の気を害する。

「ちょっと、じゃないわ。すごく、ね」
「へえ、なら――」

 フランドールが大きく瞳を見開く。
 三日月の形にゆがむ唇とともに。

「――見せて、楽しませて。『破壊』しちゃったって思えるくらいに、ね」
「フランドール様、幽香、待っ――!」

 咲夜が制止の声を言い終わる前に、吸血鬼とフラワーマスターは己が右手を虚空へと薙いだ。



 ∽∽∽



「……!」

 向けられた『力』の放出を避けて、幽香は感心の吐息を吐く。
 フランドールの発した『力』が――その一端でしかないのに――、自身の予想を超えるものであったからだ。
 自身の初手が――力を抜いたとはいえ――軽く打ち消されたのも、幽香にとっては久しぶりの出来事だった。
 そんなフランドールの『力』に対して、呟いた一言。

「……面白いわ」

 歓喜。
 古き妖怪としての血がうずく。眠らせていた、妖怪としての自身の『力』が。
 久しく絶えていた、幽香を震わせるほどの『力』の使い手。
 それを眼の前にして、幽香の中の『力』もまた震えた。
 だが、とはいえ――ただの『力』のぶつかりあいも、美しくない。
 美しく感じない。
 昔ならいざ知らず、年月を重ねた幽香にとって、妖怪らしい『力』の押し合いだけというのは芸がない。
 華がない。
 おまけに、手に入れたい館がたぶん壊れる。
 面白くない。
 それに、幽香は花を操るフラワーマスターなのだ。
 弾幕遊びという開花のほうが、今の幽香の嗜好にはとても合う。
 だから、『力』を持てあます少女にその使い方を教えてやろうと、声をかける。

「ねえ、お嬢さん」
「なにかしら、花咲姉さん?」
「あら、古い話をよくご存じね。それじゃあ、これも知ってるかしら?」

 赤い衣服の胸元を探り、幽香は懐からあるものをとりだす。
 親指をすべらし、タロットカードのように扇状に広がる紙の列。
 種々の色に染められ、絵柄が記された、掌に収まるほどの薄い紙片。
 それでいて、ここ幻想郷では今現在、最も弾幕時に重宝されるもの。
 スペルカード。
 だからこそ、フランドールはその表情に不満を浮かべる。

「……そんなの、人間同士じゃないんだし、いいでしょ?」
「まぁそれでもいいんだけど、この館が物理的に持つかわからないしね。お互いに」

 幽香が同意を求めたのは、『力』に関してのものである。
 物理的に誇る『妖怪』としての『力』なら、大変に面白い殺しあいができることではあろう。
 ただ、その代償はかなりのものになることも容易に想像が付く。
 幼き妹君の『力』がいかほどか、幽香はその全貌をつかみ切れてはいない。
 ただ、易いものでないことを察するのは、容易い。
 手段と結果が入れ替わる、そんな事態を幽香は望んではいない。
 幽香が望んでいるのは、この館の奪取と、精神的勝利である。
 古き妖怪としてある、『力』としての勝利ではない。

「……でも、そんなんじゃ、いつもと一緒じゃない」
「だから、こっちも一興をしようと想ってね」

 ただ、それが長い時を過ごした妖怪としての暇つぶしだとも理解している。
 相手たる『力』が不満なのも、理解できないわけではない。
 ――かつての幽香がそうだったように。
 だから、彼女はある申し出を口にした。

「回数制限なしの、振るいあい。秒数無限、力の限り。ルールに乗った、無差別級」
「……へぇ?」
「宣言なしの、無制限。持てるスペルカードを、持てる『力』の数だけふるう」

 幽香の申し出に、フランドールは頬の笑みを深くする。
 想った以上に、聡い面もあるようだ。
 幽香の提案は、制限された力を、本来の『力』が及ぶ限り使っても良いという意味。
 それを瞬時に理解する。
 その反応が、幽香の心をくすぐる。

「いいよ、うん、いい。すごく、好み――!」
「喜んでもらえて嬉しいわ」

 フランドール同様に、幽香の笑みも深くなる。
 自身の言葉の意味を、よく知るがゆえに。

「さあ、始めましょう。お互いの『力』の及ぶ限りの、弾幕ごっこをね」

 そう言ってから、幽香は自嘲する。

 ――もっともらしいけど、『力』に近い理由が欲しいだけなのねぇ。

 そんな内心の呟きを、弾幕の開花と共に咲かせながら。



 ――そして幽香は、自身の見立てが甘かったことを知ることになる――






[- 03 -]

「――今夜は月が綺麗だわ」
「自画自賛ね」
「あら、どうして?」

 とぼけて微笑する相手の反応に、ため息を一つ。

「その美酒は何のために持ってきたの?」
「わたしは月そのものじゃないからね。だからこそ、ワインがあるの」
「あんたはなにをする人よ?」
「もちろん、糧とする者よ。ちなみに人じゃなくて吸血鬼ね」
「知ってるわ」

 曇ることもなく、空は明るい。
 深淵をまとう真円が、闇の幕を照らしている。

「はてさて、怖いわね。酔ってないのは」
「怖さは快楽と紙一重ね」

 じっと首もとへ寄せられる視線。
 その視線の意味に、今日は気づきたくはない。
 空に浮かぶ黄色い輝きと同じ、その瞳の隠された意味に。

「つまりあんたは、なにもかもお見通し?」
「美酒はそのためにあるのよ」

 紅いワインに、月の影が入り込む。

「こうして、その身に月の魔力を受け入れるためにね」

 そう呟き、吸血鬼はワインを含む。

「……だからかしら、ね」
「あら、従う気になってくれたのかしら?」
「好きなだけ飲んでいくといいわ。待ち合わせの時間まで、好きなようにね」
「……怖いねぇ、気にしないってのは」

 だからこそ、吸血鬼は彼女を見初めている。
 すべからく『運命』を繰られながらも意に介さぬ彼女だからこそ、吸血鬼はここにいることができる。
 それこそが『運命』に対する手段だと、もっともよく知っているからこそ。

「月に咲く花、散りゆく華――どうなるかしらね?」
「綺麗でしょうね」

 のんきな彼女の言葉に、吸血鬼は少しばかり微笑んだ。



 ∽∽∽



 無傷の館を手に入れる気は、勝負をかけた時点で捨てていた。
 だが、捨てたのは無傷の館だけだったのだ。

(――そうね、そうだったわ)

 傷になるのは、自分ではないと確信していたのに。
 思い知らされたのは、別のことだったのだ。

「あんなにも綺麗だから、あれも華だと想ってしまったのよね」

 そう、今宵は――満月。
 想いだした、その瞬間だった。
 紅い光が、幽香の頭上を薙いだのは。

(……!)

 空を裂き、大地を切る、紅い色。
 振動と響きが、紅魔館の内部に鳴り渡る。
 並の人間や妖怪なら、消滅するほどの『力』。
 たとえスペルカードというルールの上でも、受け手の存在を怪しくするほどの『力』。

「……あれ、もう終わり?」

 呟きは、『力』の振るい手のもの。
 遊び相手が疲れたのを不満がる、少女の不満声。

「やだなぁ、もっと楽しませてくれると思ったのに」

 きょろきょろと視線を走らせる。
 おもちゃを無くした子供のように。
 その視線の先で、裂かれた床に散らばる赤は――

「――花?」

 散らばっていたのは、幽香が待とう衣服と同じ、赤い色の花弁達。
 フランドールが怪訝な表情を浮かべた、その一瞬。
 ――その一瞬を縫うように。

「それは手向けね。あなたにも、赤が似合うでしょ?」

 幽香の声が後ろから響き。
 フランドールが振り向いた、その瞬間。

「!?」

 紅い屋敷を染めるほどの閃光が、お互いの空間を白く包む。

「それは、魔理沙の――!」

 フランドールが言い終わるより早く。
 幽香の傘から放たれた白い閃光が、彼女の身体を白く包みこんだ。



 ∽∽∽



 くるりくるりと花びらを。
 幻想郷で唯一枯れない花びらを。
 艶やかに回すは、赤い衣をまとった華。
 ついた吐息は嘆息か。それとも安堵か。
 口から出るのは、しかしその表情とは無関係。

「わざわざ自分のものだなんて主張みたいで、嫌なのよねぇ」

 閃光で砕かれた室内を眺め、幽香は呟く。
 傘より生まれる、空を薙ぐ白い光。
 久しぶりに使う力は、なんだかひどく殺伐としたものに想えた。
 それに、誰かに使われた技を使うのも、なんだかつまらないと想っていたところだったのに。

 ――使わされた、とも想える。認めたくはないが。

 それにしても、意外な名前を、意外な者から聞くものだと想う。
 努力してこの力を自分のものにした人間、霧雨 魔理沙。
 悪魔の妹が、まさかその名を知っているとは思わなかった。
 彼女の知名度は幻想郷でも割と高い方だが、この悪魔でもその名を知っているとは。
 案外に、世間は狭いのかもしれない。
 そしてまた、この技を一目見ただけで、魔理沙と関連づける発想力にも驚いた。

「勘が鋭すぎれば、ちょっとばかりおかしくもなるのかしらね?」

 末恐ろしいが、これを食らえばそうそう動けるものでもない。
 ましてや、直撃の手応えだった。
 だが――用心はしておくべきだ。
 幽香の勘が、そう告げる。
 ゆっくりと閃光の後を視線でなぞりながら、フランドールの姿を探して――

「残念」
「……!?」

 ――姿はなく。
 代わりに現れたのは、紅い紅い紅蓮の光。
 ふたたび背後からはぎ払われる、レーヴァテインの紅い光。

「――っ!?」

 急いで身をかわすも、グレイズだけではすまなかった。
 焦がれた衣服から、焼けるような熱が伝わってくる。
 ――弾幕ごっこで肉体の危機を感じるなど、久しいことだ。
 わずかながらに焼かれた身を、落ちゆく身で修復しながら、周囲を確認する。

「……双子だって言うのは、初めて聞いたわね?」

 幽香は、笑みが浮かべる。
 一筋の汗とともに。
 空に浮かぶ、同一の姿へと。

「あら、わたしにはアイツしか姉妹はいないわ?」
「ゾウリムシだとでも想われてるのかしら?」
「脳は一つだけどね」
「わたしにはあるわ。アイツとは違うもの」
「そうだっけ?」

 意味の断片が投げ出される、無意味な会話。
 交わすのは、二つの姿。
 呟かれる声も、まったく同じもの。
 幽香の瞳には、二つの少女の姿が映っている。
 共に同じ姿、同じ衣服、同じ顔、同じ力。
 まるで双子――いや、それ以上に同等な存在。

「知らない? アイツはやらないから、知らない? まあ、どっちでもいいけど」

 眼をこらせば、フランドールの姿が重なって見える。
 眼がかすれたのか。それとも、思いの外に先の弾幕の影響が残っているのか。
 二つが三つに、三つが四つに――

(――違うわ、ね)

 よく眼を凝らせば、相手の姿がよく見える。
 その姿は、霧状に朧。
 散るべき霞が、黒い雲となって少女の形を生んでいる。
 雲の内情は、無数に舞い飛ぶ、コウモリの群れ。
 そして散ったコウモリが集まるのは、違う場所へと浮かぶフランドールの元。
 雲のように散り広がるコウモリが、あどけない少女の姿を一つへとつないでいる。
 黒い雲海を支えるように、少女の姿を四つの数につないでいる。
 同じ姿、同じ笑みを浮かべる、雲間に生まれる少女の形として。
 フランドール・スカーレットという、悪魔の妹の姿を。

「……やれやれ、だわ」

 悪夢かとも想える光景に、しかし幽香は冷静だった。
 ただ、思い出しただけだ。
 眼前の存在が、なんと呼ばれているかを。

「吸血鬼って――これだけが、ホントの姿じゃないんだよ?」

 そう、満月の吸血鬼は――夜の王でもあるということを。
 太陽の光を受ける花の主は、嫌でも思い出さざるを得なかったのだ。

「――さて、第2ラウンドといきましょうか?」
「あれ、もう本番だったの?」

 挑発するようなフランドールの言葉。
 それが、少しばかり幽香の気分を害する。
 傘を一閃。
 周囲を覆うように、大輪の花を咲かせる。
 幻想の花。
 幽香のふるう『力』が、彼女を囲む四つの姿の壁となる。

「それって、造花?」
「!?」

 だが、せっかく幽香によって飾り立てられた花たちは、フランドールによって一瞬の藻屑とかす。
 その光景に奥歯を鳴らしながら、その原因が自分にあることを幽香は悟っている。
 ここは本来、幽香の花が咲くには不向きな場所なのだ。
 悪魔の気が満ち、安息を味わう、この場所は。

「――なら、これはどうかしら?」

 折りたたんだ傘を、刃物を振るうように再び一閃する。
 瞬間、花の種子が飛び散るように、幽香の傘から弾幕が放出される。

「へぇ?」

 あどけない花々を犠牲にするより、自身の『力』を駆使する。
 幽香から生み出された弾幕が向かう先は、もちろん敵であるフランドール。
 しかし、その弾幕はフランドールにとって微々たるもの。

「でも、それじゃあんまり変わらないよ?」

 事実だけが、四つの姿から告げられる。
 弾幕を潰そうと、すんなりとフランドールが手を伸ばした瞬間。

「――変わるわよ?」

 その、油断を突いた瞬間に。
 華開いた傘を、ぐるりと回転させる。
 そこから放たれるのは、螺旋の筋をも描く弾幕の花。

「――!?」

 卍を想わせる黄色い華が、幽香を取り囲む四つのフランドールへと飛び散る。

「う、んっ!?」

 そこに込められた力は、いかにフランドールといえど一瞬で消すには難しいもの。
 想わず、直線上に飛び退く。
 ――そこが、幽香の付け目。

「!?」

 放たれた一直線上の光線が、フランドールの身を刺し貫く。
 さきほどより出力を絞り、ただし連射を想定した光の矢。
 手応えはあった。なら、本体へと威力は伝わっているはず。
 雲海状に広がるフランドールの姿から、幽香はそう見当をつけていた。
 そして、その威力は他の三者へも伝わるはずだ。異常と共に。
 貫いた感触を感じながらも、幽香はその場をすぐに離れる。
 だが、そこにかけられたのは予想よりも早い声。

「遅いね?」
「――っ!?」

 幽香の誤算は、フランドールの移動速度が想定よりも速かったことだ。
 そして、刺し貫かれたであろう一体を気にする様子がまるでなかったことだ。

(――読み違えた、かしらね)

 至近距離で放たれた三方向からの弾幕を傘でいなし、距離をとろうと撃ち返す。
 だが、地の利は向こうにある。
 進んだ先、進んだ先に、フランドールから生み出された弾幕が向かってくる。

「やって、くれるわね……!」

 悪態をつきながら傘を構え、弾幕を避けようと身構えた時だった。
 ――くらり、と。
 身体が突然に揺れる。
 幽香の意思とは関係なく。
 同時、さきほど焼かれた身体の一部がうずく。

「し、まっ――!?」

 必死に身体を動かすが、元々、幽香の身体はそれほど軽快ではない。
 『力』の代償と引き替えに、その身の素早さは並の妖怪と同じようなものであった。
 だが、幽香にはその強大な『力』があった。
 それがあったからこそ、並大抵のことでは動じなかった。

 ――しかし今回は、並大抵の相手ではなかったということ――

「――アハハッ!」

 視界に映る、フランドールの笑いと共に。
 鈍い爆発音と、緑の髪が空へと舞った。



 ∽∽∽



「……あれ?」

 ふっと、間の抜けた声を出してみる。
 そんな気はなかったが、フランドールは少しばかり、我を忘れていたことを自覚する。
 癖というべきか、習性というべきか。
 こんなにも月が明るい晩は、尚更なりやすい。
 そう自覚してから改めて、少しばかり不満の感情をあらわにする。

「後ろの正面はわたししかいないのに、逃げてもしょうがないよ?」

 不満があるのは、受け止めきれない相手にである。
 『力』ある妖怪で、人間のように壊れない妖怪であるくせに、姿を隠したことが不満でならない。
 自分と対等の力を持つくせに、そんな行動に出た幽香に対して、ひどく不満が募る。

「でも、籠のなかにいるんだから、簡単だよね?」

 不満の口元は、すぐに歓喜の三日月へと変わる。
 ここはフランドールの籠の中。
 どこを向いても、そこはフランドールの見知った世界。
 ここから抜け出る手段など、ありはしない。
 意気揚々と手負いの鳥を探そうと、七色の羽を震わせた時だった。



「――ですが、籠の鳥を好き勝手にさせるわけにもいかないのです」



 そんな声が聞こえてきたのは。

「抜け出た鳥を捕まえるのは、大変だよ?」
「矛盾してますわ」

 咲夜の物言いに、フランドールは微笑んで答える。
 籠の鳥の管理者は、彼女だけではないのだった。
 そして咲夜の鳥は、フランドールの鳥と同じではない。
 そのことを、おそらくフランドールは自覚している。
 そう、咲夜はとらえている。日々のつきあいの中で。
 知恵が回る、からこそ、矛盾している。
 片方向に狂っていれば、それのみに『力』を注ぐことで、楽になれるのだろうに。

 ――悲しいことではあるけれど。

 メイドにしては不謹慎な考えを浮かべながら、咲夜はフランドールと対峙する。
 限りがあるからこそ、自由というのは美しいものなのだ。

「フランドールお嬢様。自室へ、お戻りください」

 咲夜の言葉に、しかしフランドールは表情を崩さない。

「えー? まだ足りないよ」
「館の被害も、メイドの被害も、それなりになっておりまして」

 ちらり、とフランドールは館内に眼を凝らす。
 きゅーとして目をくりくりとさせているメイドの姿がちらほらと。
 がりっとして崩れ落ちる館内の様子がぐらぐらと。
 フランドールの瞳の中に、それらの光景は容易く入ってきた。

「後始末はわたしが引き受けますので、お嬢様はお部屋に……」

 咲夜が瀟洒に場を収めようと、歩み寄ろうとした時に。

「やだ」

 フランドールの明確な拒絶の言葉が、ホールに響いた。

「ひさしぶりの弾幕ごっこだもの。まだ、遊び足りないよ」

 ――そのあまりにも、あどけない物言い。

 咲夜は苦笑しながら、さすがに困惑の表情を隠せない。
 子供っぽい言葉に伴わない、フランドールの破壊力。
 『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』。
 495年に及び閉ざされた『力』の意味を知っている咲夜は、だから館のためにも彼女のためにも引くわけにはいかない。
 その言葉の意味を受け止めたい気持ちが、あるからこそ。

「そう言われて、引くわけにもいかない立場なわけです」

 ここはレミリア・スカーレットの館。
 妹君ではあっても、フランドール・スカーレットのものではない。
 そして咲夜は、レミリアに対して、忠実で瀟洒なメイドなのだ。
 立ち塞がる咲夜に、ポツリとフランドールは提案した。
 頬の三日月を深くして。
 瞳に新たな好奇心を宿して。

「じゃあ……」
「――!?」

 爆発音とともに、咲夜が立っていた場所が破壊される。

「咲夜も、一緒に遊んでよ?」

 遊び道具が増えたことを喜ぶ子供のような表情で。
 フランドールは咲夜をも、ターゲットとすることを宣言した。

「――ルールを守れない子は嫌われますわ。魔理沙ですら、守るものですよ?」
「魔理沙は、人間だからね」

 スペルカードによる弾幕ごっこは、一対一が原則。
 式神の介入など、例外がないこともない。ただし、それはあくまで補助にとどまる。
 『力』を意味するスペルカードを行使するのは、対戦者達のみ。
 それがルール。弾幕ごっこにおける、最低限の取り決めの一つ。
 だが、今回はスペルカードを使用した『力』のぶつかりあい。
 なら、とフランドールは考える。

 ――妖怪も人間も、ちょっと増えたくらいじゃ変わらないよね?

 魔理沙が弾幕ルールを遵守する理由は、それだけではないが、それもあることをフランドールは知っている。
 並の魔物なら、純粋に『力』と『力』の撃ち合いでも、魔理沙はおそらく負けない。
 けれど、自分とは違う。
 だから、フランドールもルールを守る。
 魔理沙と遊び続けるために、ルールに従う。
 それは魔理沙が、壊れてしまう人間でもあるからだ。

「――けど、アレは妖怪だもの」

 今回の相手は、魔理沙ではない。
 館に侵入してきた、『力』のある妖怪なのだ。
 自分と近く、それでいて面識のない、とても遊びやすい相手なのだ。
 全力で『力』をふるえる、貴重なオモチャなのだ。

「あら、わたしも人間ですわ?」
「あら、咲夜は例外だわ。だって、メイドでしょ?」

 そのイントネーションだけ、ひどく年相応の少女の響きに満ちていて。
 だからこそ、十六夜 咲夜の内心は、ある諦めに満ちた。

 ――つまり、メイドとして、お嬢様の相手をしなければならないということですね?

 年端のいかない少女のわがままほど、困るものはない。
 再び弾幕を展開し始めたフランドールの気配を察し、咲夜はため息と共にナイフを構えた。

「――では、ご覚悟を」

 言葉と同時。
 フランドールの周囲に、彼女を狙う数百本のナイフが出現する。

「タネも仕掛けもまだまだね?」

 しかし、フランドールも心得たもの。
 瞬時にスペルカードを宣言し、弾幕を形成する。
 生み出されたスターボウブレイクの光が、フランドールの周囲に配置されたナイフを破壊する。
 前方、左右はもちろん、背後もまた。

 ――そこが狙い目。

「――?」

 弾幕を逃れた幾本かのナイフが、フランドールへと飛来する。
 密集した弾幕といえど、それは完全なものではない。抜け道は必ずある。
 その道を抜けたナイフが作り出す、わずかな隙。
 そこで取り抑え、『力』を止める。
 メイドとしての咲夜が選んだ、最善の一手。
 驚くフランドールを一瞬で確認し、自信にできる猛スピードで弾幕の嵐を抜け――

「――なんてね?」
「!?」

 ――そして見たのは、三日月に笑うフランドールの笑みだった。

(し、ま……)

 考えるよりも早く。
 次に繰り出されるスペルカードの力で、咲夜はその身を地上へと落としていった。

「……やっぱり?」

 フランドールがそう呟くのは、飛び行く咲夜の姿が、一瞬かすんだように見えたからだ。
 なら、その先に彼女はもういないだろう。
 いないことは、かまわない。その理由が、彼女の能力によるものだと知っているから。
 ただ、つまらない。
 咲夜の姿があるべき場所にないことを確認して、フランドールはその思いを強くする。

「……つまんないなぁ。遊んでくれないなら、ホント、みんな壊しちゃおうかな?」

 本気とも冗談ともとれぬ口調で、フランドールは再び動き出す。
 満たされない無邪気な子供として、遊び道具を探すために。



 ∽∽∽



 時間停止と空間操作で、わずかばかりだがフランドールとの距離をとる。
 近づかれても、気づかれぬようにその身を動かしながら。
 咲夜は、次の一手を考えていた。

 ――確かに、いつもよりずいぶんと激しいわ。困ったわね。

 思考を巡らすが、明確な対処法はすぐに浮かんでこない。
 下手な手を打てば、さきほどのように、返り討ちにされるだけだろう。
 いつもならば、さきほどの仕込みで諦めて捕まってくれる。
 それほどの分別は、狂気にとらわれた妹君でも持っている。
 なのに、である。
 解放された『力』と感情を、制御できなくなっているのだろうか。そんな考えも浮かぶ。
 ――今宵の月は、咲夜の主にとって、絶好の吉日なのだ。
 妹君にとっても、それは同じ。
 なら、ますます抑えることは難しくなる。
 困ったことは、魔理沙なり霊夢なりが今ここにくれば、更に被害が大きくなるということだろう。
 かねて加えて、館の主はもっか外出中でもある。その呼びたくない相手のところへと。
 これだけの被害なら門番や居候なら気づきそうなものだが、そう言えば門番はすでに行動不能だったことを思い出す。
 居候の魔女ならば助力としては十分だが、こちらもそう言えば魔法の森の人形遣いのところへ外出中だったことを思い出す。
 館にいる妖精メイドなど相手にならないことは、考えるまでもなくわかる。
 咲夜はここに来て、まるで図られたかのように戦力に乏しいことに気づく。
 ――責められるべきは、自分。明確な判断ミス。
 らしくもない状況、違和感と共に、咲夜は自身を叱責する。
 かといって、悲観に暮れるわけにもいかない。時間も物事も、咲夜の能力外は、有限でしかないからだ。
 あてになるのは、己の能力と手元のナイフ、それだけ。
 それだけだが、それだけで抑えられる相手でもない。
 必要なのは――最後の決め手。

「……あまり、とりたくはない手段ですけれど」

 ナイフの矛先を変える必要があるのかもしれない、とも考え始める。
 館の破壊をするものが変わっただけだが、なら話し合いに応じるほうとするのが得策だ。
 パーフェクト・メイドたる咲夜の足は、館内に潜む侵入者のほうへと踏み出された。



 ∽∽∽



「少なくとも、誤算ではあったのよね」

 苦笑しても、事態の解決にはなんの助けにもならない。
 壁の影に身を潜めるなど、らしくない行動に自嘲する。

「あれで案外に、頭がつかえるようだし。成長期かしら?」

 外見に騙されるなど、そんな油断をしたつもりはなかった。
 内に宿るは悪魔の妹、という認識は常に持っていたはずだった。
 だが今ある現実は、草花の力を奪う日陰へと追い込まれた、自身の姿。
 慣れない地形、屋内、草木も眠る夜の衰え。
 幽香にとっては言い訳でしかない状況分析。だが、それでも御せるほどの『力』は自身にあったはずだった。
 つまり、その自信を砕くほどの『力』を、あの悪魔の妹は持っていたということ。
 無秩序にばら撒かれたように見える弾幕は、実のところ数少ない逃げ道しか用意していない。
 その逃げ道もまた、更なる弾幕へのつなぎとしての役割を持っている。
 ただで隙間を抜けたつもりは、無論、幽香ほどの妖怪ならあるはずもない。
 直接、奇襲、誘導、いつもの彼女らしい弾幕を展開して反撃をしていたはずだった。
 そのことごとくを浴びながら、それでいて、悪魔の妹はなおも『遊び』を求め続ける。

「……ふぅ」

 『遊び』をするには、少しばかり場所とタイミングが悪い。
 そして、今日は――満月なのだ。
 吸血鬼が最も『力』を発揮し、存在を誇示することのできる特別な日。
 比べて幽香に、吸血鬼を倒すべき陽の加護はついていない。

「……さて、どうしたものかしらね?」

 厄介なものに火をつけたのかもしれない、と幽香が珍しくため息を吐いた時だった。
 聞き慣れない、それでいて油断できない、そんな声が横から聞こえてきたのは。

「一時の休戦を申し込みたいのですが」
「……あら、そういえばあなたもいたんだっけね。余力がありすぎて、忘れていたわ」

 そう呟きながら、幽香は新たな対策を頭の中で練らなければならなくなった。
 言葉ほどの余力があれば、そもそもここまで彼女の接近を許すはずがないのだから。
 そして咲夜もまた、壁にもたれかかった幽香を見て、全てをここで終りにするのは容易だとも気づく。
 なるほど、フランドールに発見されないわけだ、そうも想う。
 幽香の『力』は、容易に察せられるほどに、さきほどの弾幕で見事に削り落とされてしまっていたのだから。

「華に刈られる主というのも、なかなか洒落にならないわね」
「そうね。けれど、そうするわけにもいかないのよ」

 そう呟いて、咲夜はナイフの刃先をしまいこむ。
 抗戦の意思がないことを示すかのように。

「……? どういうことかしら」

 その態度に怪訝な表情を向ける幽香。
 咲夜も、その態度はもっともなものだと感じる。
 フランドールが現れなければ、幽香と弾幕を競り合っていたのは自分であるのだから。
 だからこそ、の提案を咲夜は言葉にする。

「手を組んでフランドール様をご満足させる、というのはどうかしら」

 その言葉で浮かんだ幽香の顔は、咲夜にとってなかなかに印象深いものだった。
 笑みとも苦笑とも違う、常に幽香が浮かべる余裕の表情とは異なる色が浮かんでいたからだ。
 一言で言えば、それは不愉快であった。

「お断りするわ。それじゃまるで、わたしがあの子に負けるから手を借りるみたいじゃない。納得できないわね」

 咲夜にも、幽香の気質は読み取れる。
 そう答えるのが当然だろう。咲夜はそう考える。
 だからこそ、拒否する幽香に、咲夜はそっと言葉を付け加えた。

「このまま弾幕ごっこを続ければ、館外にも被害は及ぶわね。そうしたら、あなたの気に入った花畑も散ってしまうわよ?」
「フラワーマスターであるわたしが、いちいち他人の花を気にかけるとでも思うの?」
「心ならず散っていく花を見過ごすの? そのような妖怪ではないと思っているけど。それに、この館が欲しいのならまずフランドール様を抑えないと」
「……」

 頭を抱えて、幽香は思考する。

 幽香にも、わかっている。これが破格の提案であり、他に方法がないということも。

 ただ一つわかるのは、ここで拒否したとして事態が好転しないということだろう。
 それに、眼の前のメイドも対処すべき相手の一人に他ならない。
 幽香が襲われていないのは、利用すべき価値があるという、その一点があるからだ。

 ……気にいらない。
 物語のように組まれた、明瞭な作戦。

「まるで、誰かの手の内で踊らされているみたいね」
「?」
「あまりにも出来過ぎた展開すぎて、しゃくに障るわ」

 その幽香の言葉に、咲夜はある者の姿を思い浮かべる。
 思い浮かべた姿が、自身の胸の内の違和感をかすかに打ち消し始める。
 だが、その思考は深まることなく、一瞬で遮られる。

「三分、ね」
「え?」

 ぽつりとした幽香の一言に、咲夜は脳内のイメージを飛ばされる。
 そして、瞬間に思考を切り替えて、幽香の言葉を待つ。
 ゆっくりと、幽香はその身を地面にたたせる。
 倒れた草木が、光を求めて、再び空へと頭を上げるように。
 言葉を待つ咲夜へ、幽香は宣言する。
 常の幽香らしい、余裕ある笑みと自信を魅せながら。

「三分持たせなさい。そうすれば、全てを終わりにしてあげるわ」
「終わらせるのではなくて、抑えるのですわ」
「あなたにとってはね。わたしにとっては、そうじゃないもの」

 その言い方が気にはなるものの、さりとて咲夜だけの力では今のフランドールを抑える力には足りない。
 そして、咲夜も肌で感じる。
 少しの会話時間だけでも、幽香の『力』が戻り始めていることに。

(――さすがに、時を経た妖怪ではあるのね)

 気迫を取り戻し始めた幽香を見て、少しばかり咲夜の心中が揺れる。
 協力の提案は、実のところ、危険な賭だったのではないかと。
 必要となるべき、決め手とはなる。だが同時に、決め手は全てを終わらせる諸刃の剣でもあるのだ。
 ――すでに遅い懸念ではある。
 手元のナイフをしかと握り、咲夜はその疑念を胸の奥へと押し込めた。

 さて、と両者は一瞬で真顔になり。

「仕方ないわね」
「仕方ないのです」

 と呟いた。

「あんなのがいるなんて聞いてなかったし、しょうがないわ」
「協力をお断りしたいのは、あなただけでないことを忘れないように」
「後ろに気をつけるわ」
「時間を止めれば無力です」
「じゃあ、そういう手はずでお願いするわね」

 幽香と咲夜がうなずきあった、と同時――

「見つけた。咲夜と一緒に、なにやってるの?」

 ――レーヴァテインの紅い光が、幽香と咲夜の間を切り裂いた。



 ∽∽∽



 すっと。
 フランドールの正面に立ったのは、ナイフを構えた十六夜 咲夜の姿。
 ただしその態度と口調は、屋敷のメイドらしい謙虚さに満ちたもの。
 それでいて、揺らがぬ意思を持った、人間のものだった。

「十六夜 咲夜、これよりフランドール様を止めるために動きます。ご理解を」
「……わからないわ」

 ぽつり、とフランドールは冷めた口調で呟く。

「ルールは破っちゃいけないんじゃないの?」
「何事にも例外はあるものです」
「こそこそ密談なんて、らしくないね?」
「奇術にも準備がございまして」
「あれ? 咲夜の手品には、タネはないんじゃなかったっけ?」
「いえ。今回ばかりは念入りに、準備させていただきましたわ。タネなしの、実入りの品を」

 すっと、咲夜が手を挙げると同時。
 くすり、とフランドールが嘲笑した。
 どこか、不満を入り混じらせた、不安定な笑みを。

「それじゃあ、いつもと一緒だよ?」

 空中に浮かぶ千のナイフにも、フランドールは笑みを浮かべるだけだ。
 振り下ろした手と同時、咲夜も同時に地を蹴る。
 瞬間、千のナイフが全て砕け散る。

「いつもと同じじゃ、今日のわたしは止められないよ?」
「止められます、止めてみせますわ。……お嬢様のために」

 ぽつり、と咲夜が呟いた些細な言葉。
 それが、フランドールの余裕めいた表情を一変させる。

「……お姉様お姉様、みんなお姉様ばっかり!」

 フランドールは考える。
 レミリアが今、どこにいっているかを。
 フランドールは想像する。
 レミリアが今、誰となにをしているかを。
 フランドールは疑念を持つ。
 レミリアが今、なぜこの場にいないかを。
 フランドールは気づかされる。
 レミリアが今、それでも慕われている存在であるということを。
 フランドールは自問する。
 レミリアが今、いなくとも、なぜ自分はここにいるのだろう。
 フランドールは、だから繰り返す。
 だから、その『力』をふるうのだということを。

「咲夜も、霊夢も、パチュリーも、みんなお姉様ばかり。アイツのことばかり!」

 絶叫に、咲夜の動きが止まる。
 その姿に、どこか触れてはいけない寂しさを感じてしまったからだ。

「……魔理沙も、来てくれない」
「フランドール様……」
「……咲夜はメイド?」

 不満顔のフランドールが、新たな弾幕を展開させると同時に言う。
 答える間もなく、その弾幕が咲夜へと向かってくる。

「――ッ!?」

 その狂気の弾幕を避けながら、咲夜は時間のカウントを始める。
 さきほど幽香に告げられた、稼ぐべき時間のカウントを。
 フランドールへと向ける、メイドとしての言葉を探しながら。

「ええ、咲夜はメイドですわ。お嬢様達の、忠実な」
「ならなんであいつと組んでるのよ、おかしいじゃない!?」

 その声と同時、フランドールの身体から赤、青、黄、緑の四色の弾幕が一斉にばらまかれる。
 館と咲夜を覆うほどの弾幕を、咲夜は時間停止能力を使いながらなんとか避けてゆく。

(……どれほど持つかしら?)

 ――相手の力量を考慮すれば、実時間よりも体感時間は長いものとなりそうだが。

「ならいいよ、いいよね、いいんだよね? みんな壊しても、わたしなんか関係ないものね!?」
「いえ、違います。大切だからこそ……なのです」

 しかし、咲夜の声はフランドールには届かない。

 巨大な『力』は、幸福だけを呼びはしない。
 その制御を覚えなければ。
 他のあらゆるものを、破壊するだけなのだ。

「大切なフランドール様だからこそ……なのです!」

 無差別に、『力』のままに、弾幕をふるいだしたフランドールに、その声は届かない

 ――かつて、人の里で同じ思いを持っていた少女の言葉は、妹君には届かない――



 ∽∽∽



(……わたしにも、あんなころがあったのかしらねぇ?)

 フランドールと咲夜より、少しばかり離れた場所。
 身体を休めながら、幽香はその弾幕ごっこの展開をその眼で見ていた。
 人間を越える妖怪の視力と聴覚には、先ほどの会話は筒抜けだった。

 どれほどの『力』と時を得た妖怪であろうと、生まれ落ちた瞬間はあるものだ。
 長の時を生きた幽香にとって、その瞬間はもう思い出すことも出来ない。
 ただ、少しばかり『力』を試すことに、貪欲な頃はあった。
 『力』を求め、自身にはない能力を欲したことがある。
 魔界の神に、喧嘩を売ったこともある。
 究極の魔法を求めて、遂に手に入れたこともある。
 『力』の追求。
 それは、自身の中にある『力』があればこそできたことだった。

「……まぁ、わたしとはちょっと違うか」

 彼女は未だ、内から来る衝動を操ることが出来ないのだろう。
 幽香には、それを察することが出来る。
 本能には逆らいがたい。飼いならすことを覚えなければいけないのだが。
 フランドールには、幽香のような『力』を飼い慣らす習性がまだないと見える。
 もしくは……元々、存在しないのかもしれない。制御すべきなにかが、彼女の中に。

 ――あのままでは、保つまい。自身の『力』の持つ反動に。


(……ガラじゃないんだけどねぇ)

 無秩序に咲き乱れ、他者を枯れさせる花。
 自分勝手に咲き乱れ、美しさを認められないままに、不理解のままに枯れてゆく。
 そのような存在に対して感じる寂しさを、幽香は胸中に押し込める。
 同時に、ある目的のために、回復した『力』を練り直す。
 かつて、『力』を試す頃に貪欲だった頃。
 その時代の自分を、練り直す。

「手向けの華は、派手にいくべきね」

 誰がために、我がために。
 苦笑しながら、そんなことを考える。
 もちろん、自分のために。
 そして、そんな自分を追い詰めた、吸血鬼の少女のために。
 風見 幽香は、しっかりと傘の根に『力』を込めた。
 フラワーマスターとして、悪魔の華を散らすために。
 自分を苦しめた、可憐な華を手折るために。



 ∽∽∽



「壊れちゃえ、壊れちゃえ、みんな、壊れちゃえぇぇぇ!!!」

 絶叫は、怒りではなく渇望からくるもの。
 衝動は、寂しさの裏返し。
 そう説いたのは、はたして誰であったのか。
 咲夜には、もう思い出せない。
 ただ、その言葉が本当であれば、フランドールはいかほどの寂しさをその身に込めていたのだろうか。
 495年もの間、降り積もった心の想い。
 弾幕という波紋となって、その想いは誰に向けられているのだろうか。

「フランドール様、私はあなたをお慕いしております」

 直線的な咲夜の弾幕は、フランドールの歪んだ弾幕のなかで効果をなさない。
 だが、フランドールの弾幕もまた、咲夜の空間操作により決定打を与えきれないでいる。

「……ですが、だからこそ。この屋敷は、あなたのものではない」

 必要なのは、フランドールを抑えること。
 空間操作とナイフさばき。
 その能力がとらえるものは、決して妖怪や人間だけではない。

「この場所は、私の主のもの。度が過ぎれば、たとえ妹様といえども、それは変わりない」

 軌道を変えた弾幕と弾幕が相殺する。
 被害を増やさぬように、変えられぬ矛先はナイフで切りとる。
 自身の身を守ることは、つまり、自身の役場を守ることでもある。 

「さあ、遊びの時間は終りです。お部屋へ、お戻りください」

 十六夜 咲夜の役目は、フランドールが言ったように、紅魔館のメイドであること。
 それはつまり、この場所そのものの秩序を守ることをも意味する。

「あなた自身のためにも!」
「……!」

 狂気に意思を覆われながらも、フランドールは咲夜の振る舞いの意味に気づく。
 そこに含まれる意味も知りながら、だからこそ、絶叫せざるを得なかった。

「咲夜が守りたいのは、お姉様だけなんだ!」

 孤独という波紋が心に止まぬまま、その『力』を咲き散らすしかなかった。
 姉のために咲く、一輪の月華の前に。



 ∽∽∽



(……鮮やかな弾幕と、動きね)

 ――月に咲く華、散りゆく花。

「惜しいわ。ほんと、良い咲き方」

 己が咲かせることが出来る華を、満開に屋敷へと展開させる。
 片方は理解を求め、不理解に陥り。
 もう一方は孤独を知り、だからこそ諦めない。
 むしろ、諦めているのは幽香だった。
 このように見事な信念を魅せる人間は、幽香の知る限り誰もいない。
 その諦めを心地よいと感じるほどに、今の咲夜の動きは幽香を感嘆させる。
 それを成させているのは、咲夜が仕えている、この屋敷の主。

「くやしいけれど、人間の咲かせ方は、さすがに糧とする方が一歩上なのかしらね?」

 苦笑しながらも、エネルギーの補充に抜かりはない。
 そして、咲夜に宣言した時間が――満ちようとしていた。



 ∽∽∽



「――これなら、これならッ!」
「!」

 咲夜の眼前に、円形の巨大な球が形成される。
 球から生える、歪な針。
 それは、時を刻む時計のように、回転しながら咲夜に向かってくる。
 まるで、フランドールの刻む過去の時計が、咲夜をなぎ払おうとするかのよう。

「――残念ですが、お嬢様」

 だが、時間ならば――咲夜のテリトリーなのだ。
 時計と時計の二つの弾幕、その二つが重なるその瞬間。
 咲夜は、その球体の横へと瞬間で移動していた。
 同時、幾十ものナイフがフランドールへと襲いかかる。

「こんなの――っ!?」

 直線的にフランドールへと向かう、ナイフの輝き。
 今までと同様、自身の『力』で瞬時にそれを破壊する。

「――?」

 だが、今回は――今までと少しだけ違う。
 視界の端で、視てしまったからだ。
 咲夜の頬が、少しばかり微笑んでいることに。

「タネも仕掛けもありませんが、だからこそ逃げ場もありませんわ」
「え?」

 その反対側からも、咲夜の声とナイフの群れが襲い来る。
 振り向いて、同様に破壊。
 だが、その全てを破壊できるわけではない。
 何本かのナイフが、フランドールのその身をかすめて。

「――!?」

 ナイフに隠されて発射されていた咲夜の弾幕が、フランドールの身へと炸裂する。

「こ、こんなの――!?」

 だがその隙は、咲夜だけではなく、もう一方の者にも好機となる。

「――いいのよ、その隙だけで」

 その呟きが、聞こえたわけでもないだろうが。
 しっかりと自分を見据えるその瞳を、フランドールも気づいた。
 瞬間。
 レーヴァテインの光が、幽香のいた周辺をえぐりとる。

「――幽香っ!?」

 咲夜の叫びがホールに響く。
 答えたのは、息も荒くなったフランドールの、勝ち誇る声。



「――これで、芸もお花も打ち止めでしょ?」



「そうでもないわよ?」
「――え?」

 聞いたことのある、しかし聞こえるはずのない、声が耳に入る。
 右を向いて、確認する。
 そこにいるのは傘をかざした緑髪の少女。
 幽香の姿に、フランドールは驚愕の顔を浮かべる。
 そんなはずはない。幽香のスピードで、先ほどの攻撃を避けて、ここまで接近できるはずはない。
 瞳をすぐさま下に向け、地上に転がっているであろう姿を確認する。
 だがそこにあったのは、花々に囲まれながら天へと傘をかざす、幽香の不適な微笑みだった。

「――えっ!?」
「教えてあげる。芸ができるのは、自分だけと思わないことね?」

 再び、フランドールが視線を右の幽香に戻した時。

「――っ!」

 地上と空から放たれた十字の巨大な閃光が、フランドールの身体を包み込んだ。






[- 04 -]

 後悔は嫌いだ。
 だが、してしまう時もある。
 フランドールの光で焼かれる花々を見て、幽香はそんなことを想った。
 我が身を守るためとはいえ、手折られる花を見るのは忍びない。
 他人の家の、しかも愛情の込められた花々の力を借りてしまうとは。
 情けない。残りの力で、明日には再び咲くようにはしたけれども。
 それでも、同じ花畑は戻ってこない。
 それでいて、甘い。
 今日の自分は、とことんまで鈍い。
 ――らしくない。様々に。
 幽香の自己分析が、幾度目かの叱責を繰り返す。
 今更ながらに自問する。自分らしからぬ、今日の高揚と行動に。
 ため息をついて、それに呼応するのはメイドの姿。

「誤算でしたわ」

 瀟洒なメイドには似合わない、黒ずみの姿。
 それでも、ナイフを構える瞳に衰えはない。

「首元に付けないでよ。もうなにもできないわ」

 両手を挙げて降参のポーズ。
 こちらの瞳は、裏のある笑顔の瞳。
 しかし、余力はもうない。

「あなたが魔理沙と懇意だなんて、聞いてなかったわ」
「わたしが本家。あの子のは、流行の著作権侵害ってやつよ」
「魔理沙の真骨頂ね」
「そうよ。模倣と研鑽、あの子はあなたみたいに嘘つきじゃないからね」
「あら、なんのことでしょう。私は常にオリジナルを心がけていますが」

 あくまで瀟洒な立場を貫く咲夜に、関心を抱きながらも苛立ちを覚える。

「独創性と独善性を履き違えちゃいけないわ。最後の最後に、『ずらし』たわね?」

 指摘するのは、協定をあっさりと破棄してきたことだ。

「ですから、ずれてなどいませんわ」
「あの状態で、わたしの閃光から『ずれる』なんて、ありえないもの。誰かが故意にやらない限り、ね」
「……言ったはずですわ。一時の、休戦と」

 その一時は、いついかなる時でもメイドに戻れるまでの一時だったのだ。
 なんのことはない、咲夜は確かに休戦していたのだ。
 ただし、フランドールが大人しくなるまでの、メイドとしての責務を果たせない状態を解決するまでは。

「……くせものねぇ、あんた。どこかのスキマとは全然違うけど、厄介だわ」
「ご心配なく。もう出会うこともないでしょうから」

 ――それならそれで、致し方あるまい。
 裏切られたもなにも、それを信じてしまった自分が甘いのだ。
 今日の自分は、とことんまで鈍い。
 まるで、誰かに操られているかのように。
 だから幽香は、ふぅ、とため息を一つついて。
 咲夜の手が、幽香の首元から離れるのをゆっくりと味わった。
 その、手が戻るまでの一時を。

 ――ま、長く生きたし、それもありかしらね?

 散り際を忘れた花ほど、醜いものはない。
 咲かせる者が、咲く者に、手折られる。
 そして、それもまた一興か。

「さようなら」

 その言葉で、ナイフの煌めきが幽香の首を――

「ダメッ!!!」

 ――走る瞬間に。
 ばきり、とした音が鳴り響く。
 同時に、咲夜のナイフが粉々に砕け散る。

「――!?」

 思わず、一人と一妖は声の方へと視線を向けてしまう。
 そこには、細い身体を傷つけ、紅い身体に黒をつけた、幼い悪魔の姿が一つ。

「……どういう風の吹き回しかしら?」

 タフな子ね、と言った幽香らしいセリフの代わりに出たのはそれだった。
 先ほどまで弾幕し合った相手らしからぬ――しかも相手は、あれほどの『力』を持っていた――その行動に、幽香も思わず疑問を呈する。
 咲夜も戸惑いの表情を隠さない。
 待ったすえにフランドールが発した言葉は、しかし両者にとって思いがけないものであった。

「魔理沙二号」

『……はい?』

 その言葉に想わずハモってしまうが、そんな両者の態度をフランドールはまるで意に介さない。
 むしろ、なんだかワクワクドキドキ好奇心と喜びでいっぱい! な表情を満面の笑みで浮かべている。

「壊れない魔理沙、うん、すごくいいわ。トリプルスパークとか、すごそうだよね?」
「なんだか失敬な名前をつけられたようなというか、失敬というか、というか、どういう意味よ!?」

 想わず絶叫してしまう幽香。本当にらしくない。
 別に、幽香は黒白の魔女のことを嫌ってはいないが、同列に語られるほど弱いとも想っていない。
 かつては破れたこともあるが、それは弾幕ルールの上での話だ。

「オモチャよ。壊れないんだもの、いいでしょ?」

 つまりはフランドールにとって、魔理沙はとても大切な存在であるようだ。
 そして幽香は、めでたくその第二号に選ばれたということのようだ。
 いやしかし、それは幽香にとってはどうでも良いというか、ものすごく失礼でしかない話なのだ。

「……わたしが、オモチャ呼ばわりされて楽しい妖怪に見えるかしら?」
「捨てられるよりいいでしょ?」

 にこにこと笑顔で問うフランドールの本心が、どこからくるものかは計りがたい。
 先ほどまで、幽香を消滅させるほどの『力』をふるっていた相手の態度にしては、あまりにも無邪気すぎる。
 ――狂気と純粋さは、紙一重なのかもしれない。
 ふっと、そんな考えが頭をよぎる。
 あどけないフランドールの笑顔の前に、さすがの幽香もため息と共に諦めを受け入れるしかなかった。

「……咲夜」
「はい?」

 フランドールに突然呼びかけられ、咲夜は少しばかり身構える。
 だが、かけられた言葉はそうした態度の必要がないものだった。

「ごめんなさい」
「……フランドール様?」
「最後、かばってくれたでしょ。ありがとう」

 閃光の中で包まれた、自分にはない暖かい二の腕。
 銀の髪がすこしばかり焦げる匂いを、フランドールはしっかりと感じた。
 その身をくるんだ、両腕の暖かみと共に。

「いえ、それが私の務めですから。この館を、あなたを守ることも、メイドとしての私の役目です」

 咲夜の言葉は義務的ながら、含まれた響きはそれ以上の親愛に満ちたものだった。
 本当に大切だからこそ、彼女はこの紅魔館のメイド長でいられる。
 そしてその大切なものの中には、フランドールもきちんと含まれていたのだ。

「うん、うん……」

 フランドールは、想う。
 かまってほしかっただけなのかもしれない。
 そして、叱って欲しかっただけだったのかもしれない。
 そして最後は、先ほどの咲夜のように、包んで欲しかっただけなのかもしれない。
 そんな人間くさい温もりを、らしくもなく欲してしまったのかもしれない。
 吸血鬼には本来存在しない、暖かさのようなものに憧れて。

「……美談はいいけれど、この場の流れにどうすればいいのかしらね?」

 事の流れは幽香も理解している。突っ込むのが野暮であると言うことも。
 ただ、だからこそ、部外者であり侵入者でもある幽香には、この状況がとても居づらい。

「帰っていいかしら?」
「残念ながら、それはまだ無理ですわ」

 咲夜が漏らした言葉に、幽香が文句を言おうとした時だった。
 ゆらり、とフランドールの身体が不自然に揺れたのは。

「……あれ?」
「フランドールお嬢様!」

 くらり、と倒れかかったフランドールを咲夜が受け止める。

「……疲れ、ちゃったのかなぁ」
「ゆっくり、お休みください。お部屋に運ばせていただきますので」
「うん、そう……お願いね、咲夜……」

 静かな吐息を漏らし始めたフランドールの顔を見て、幽香は苦笑する。

「……お子様ねぇ」

 寝息を出す子供ほど、幸せで無垢なものはない。
 たとえ悪魔の妹君であろうと、それは変わらない。

「屋敷の主はどういう仕付けをしているのかしらねぇ?」

 無邪気な『力』と幼さを、この屋敷の主はいかに想っているのか。
 そんな疑問を、幽香が述べた時だった。

「――思ったより、派手にやったものね」

 冷たく鋭い声が、頭上から落ちてきたのは。






[- 05 -]

「……あら、主(あるじ)さまのご帰宅かしら?」

 おどけたように幽香は言う。身動きもせずに。
 身動きはとれても、周囲には悪魔の犬がいる。
 だからやれることは、おどけてみることくらい。
 眼前の少女に対して今できることは、せいぜいがその程度のものだった。

「初めまして、でいいのかしらね」
「そうね。咲夜から話を聞いたことはあったけれど」
「そう。ところで、あなたはフランドール・スカーレット?」
「残念だけれど、姉のほうね」
「そうね。あと数時間早ければ、残念じゃなかったんだけどね」

 そう、あと数時間早ければ、本来の目的と問題なく出会えたのだ。
 面白い者には出会えたが、それは予想外すぎること。
 ここから本番、とするには少しばかり間が悪すぎる。

「屋敷の修復も大変なのよ。家のメイド、一部を除いて全然使えないから」

 ぐるりと周囲を見渡して、レミリアが呟く。

「あら、奇遇ね。わたしの館もそんなものよ」

 友人の言葉に同調するように、幽香も言葉を返す。

「ここまでしておいて、ただで帰れると思っていないだろうな?」

 帰ってきたのは、恫喝の言葉。
 だがなぜか、言葉の端には少しばかりの笑いが含まれている。
 そうすることで薄気味悪い効果があることを、幽香はよく知っている。

「あら、この屋敷をくれるのかしら。豪気なお嬢様ね」
「それでもいいけど、戯れるほどの力も残っていないだろ?」

 苦笑しながら、レミリアの言うとおりだと幽香の身体が答える。

「本当に戯れたかったのは、あなたのほうだったんだけど。予想外だったわ」
「わたしも、予想外だったよ」
「……?」

 満足そうに頷くレミリアを、幽香は怪訝な瞳で見つめる。
 なにかを知っているような、予想していたかのような、悟りきった表情。
 そんな表情を浮かべながら、レミリアは視線をフランドールへと移す。

「こんなに満足そうな妹の顔は、久しぶりに見たわ。そう、魔理沙と始めて会わせた時と同じ表情」

 そう語るレミリアの顔は、主(あるじ)としての顔ではなく姉としての顔だった。
 ゆっくりと、咲夜の腕にもたれかかるフランドールを抱きかかえる。

「お嬢様……」
「私も、随分と甘くなったものだわ。妹と妖怪の『遊び』を、許そうと思ったなんてね」

 苦笑するレミリアの言葉尻に、幽香は違和感を感じる。
 だが、レミリアの能力を知らない幽香には、その違和感の正体はつかめない。

「それを、よく覚えておくことね」

 幽香に背を向け、レミリアは咲夜になにかを言いつけると屋敷の奥へと去っていった。
 残されたのは、幽香と咲夜。
 天井の穴から注ぐ半月の光が、二人を照らす。

「……随分と優しい悪魔様なのね」

 レミリアが消えた方向に向けて幽香が呟く。

「家族思いなのですよ」

 と返した咲夜も、主の背を見つめる。

「シスコンなのかしら?」

 冗談交じりの幽香の言葉。

「……今日一日の出来事は、お嬢様にとって予想しうる一日だったのかもしれません」

 咲夜の口から出たのは、冗談からはほど遠い納得の響き。
 それは、彼女にとっても意外なことだったのだろうか。
 引っかかる咲夜の物言いに、幽香は疑問を発する。
 それが、先ほどからレミリアに対して感じていた違和感の答えだと、直感できたから。

「それは、どういう意味かしら」
「お嬢様は、あなたをフランドール様の遊び相手として託したということですわ。……『運命』を見ることによって」

 『運命』、という言葉に幽香は思い出す。
 紅い悪魔、レミリア・スカーレットの持つといわれる能力を。
 そう言われて、幽香はあることに気づく。
 怒りと共に。

「……あらあら。遊ばれたのは、実はわたしのほうだったのかしらね?」

 呟く幽香の口調に、変化はない。
 視線にも、表情にも、態度にも、変わったところはなにもない。
 だからこそ、三日月のように微笑んだ口元が、どこか異様に映る。
 睨み付けるような眼差しが、雄弁に語る。
 微笑みながら、背を向けて、奥歯をかみ締めながら、ゆっくりと告げる。

「今日は、もう帰ることにするわ」

 幽香は、ぱっと傘を広げる。
 幻想郷で唯一枯れない花の名のとおり、傘には傷ひとつついていない。

「けどね、諦めたわけじゃないから。むしろ、諦められない理由ができたわね」
「お嬢様の考え次第ですが、またのお越しはご遠慮願いたいところですわ」

 花が舞うように飛び上がった幽香は、空中で咲夜に向き直る。

「イジメるのは日課だけど、イジメられるのは性に合わないのよ。それに、なにもかもわかりきったように話すヤツなんてのも許せないのよ」
「では、また後日にどうしても?」
「イジめてあげるわ。あなたも含めて、今度こそね」

 幽香の言葉にため息をついた後、咲夜は最後にこう告げた。

「幻想郷唯一の枯れない花、今度は枯れることになるわよ?」
「枯らしてみせなさい。散らすことが、できるのならばね」

 最後にそう言葉を残し、幽香は空に消えた。
 後には、瓦礫の山をながめながら頭を抱えるメイド長の姿だけが残った。






[- Epilogue -]

 月夜のティータイム。

「お教えいただきたかったですわ」

 不満げな咲夜の呟きに、レミリアは言う。

「教えたら、フランが遊べなくなったでしょう?」

 紅い瞳の従者は微笑して、主(あるじ)のティーカップに紅茶を注いだ。

「不器用なのですね」
「……嫌?」
「わたしはお嬢様だけの従者です」
「だから、信用ならないのよ」
「いたわりのない主人ですわ」
「なら、早く血を吸わせて横に立つことね」
「お断りしますわ。そうなったら、従者でいられなくなるじゃありませんか」

 そうして、一つの夜が閉じていく。
 ただただ、平凡な一日と同じように。
 昼間の喧噪が夢のような、穏やかな時間と共に。

「あ、門番は減給ね」
「かしこまりましたわ」

 門前で、くしゅんと一つ音が鳴った。



 ∽∽∽



 満月から十六夜へと移り変わる、曖昧な境目。
 己が想いを含めて、その真円へと視線を向ける、二つの華。

 ――次こそは、キュッと。
 ――今度は、散らせる。

 目標を心に花開かせて、二つの少女が月を見上げていた。
 全てを睥睨するかのような、天空の黄色い華に対して。